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2020.02.16

葉公問政。子曰、近者説、遠者來。(『論語』子路篇)

 「葉公(せふこう)(まつりごと)を問ふ。子曰(のたま)はく、近き者は説(よろこ)び、遠き者は來(きた)る、と。」古代でも、現代でも、政治の理想であろう。古代でも、現代でも、実現していない。新型肺炎の新しい報道を聞くたびに、「近き者は憂(うれ)へ、遠き者は畏(おそ)る。」とでも言い換えたくなる慘状を思う。「基本的人権」を唱えていない国は無いに違いないが、実際には眼の前で無視され続けている。端緒も出口も見出せない問題に実効性のある解決法は、対外的圧力によるしかないと思ったりもするが、やはり心の問題から始める以外にないだろう。

 どこから書き始めたものか。何を書いてもまとまらない気がするが、古くて新しい問題とはやはり人間の自己定位の問題であろう。「尊厳」などという難しい言葉は、慘状を見たくない、繰り返したくない場合に、何かウィルスに拮抗する特効薬のような響きを持っている。だが、易しい言葉でないと考えるのには適しない。政治家たちが言葉遣いを気にするのは、本来ならば「名を正す」ために言葉を大切に扱わなければならない教えだったはずだが、多くは自分たちの得た(と信じている)社会的地位の飾り、「体面」「面子(めんつ)」に関する勝手気ままなこだわりでしかないように思われる。人間のプライドは、社会的地位や身分には関係の無いものでなければならない。自分の制服(お仕着せ)に塵埃を掛けられないように虚勢を張ることではない。だが、永年月生きてきても、そうでない人々は鮮(すくな)く、なんとそういう人々の多かったことだろう。

 孔子が兄弟国である衛国の都(帝丘)を訪れたとき、行き交う人々を見て「人が大勢いるなあ。」(庶矣哉。=庶〔おほ〕きかな。)と独りごちた。僕者(馭者)を務めていた冉有(ぜんゆう)が「これだけ大勢いて盛んな所に、この上どんなことをなさろうとお考えですか。」(既庶矣、又何加焉。=既〔すで〕に庶きに、又何をか加へん。)と孔子の気を引くと、「もっと豊かにしてやろう。」(富之。=之〔これ〕を富まさん。)という。さらに冉有が「さて盛んにしたあかつきには、その上なにをなさいますか。」(既富矣、又何加焉。=既に富まんには、又何をか加へん。)と再び尋ねると、師の曰(のたま)わく、「これに教えよう。」(教之。=之に教へん。)という。(『論語』子路篇)「之」は他動詞を受ける添え字と考えると、「盛んにしたい。」「教えたい。」という返事である。衛の霊公には用いられず、南子の厄(やく)まであったが、今でも隣接する国々の「宮廷」の事情は大同小異であろう。間に横たわるこの溝を、これまで見事に越えてきたものがあっただろうか。数を利用して「富」までは手に入れても、「教」に至る道はどこかに通じていたか。はるか後代、晋の竹林の七賢の一人、王戎(おうじゅう)が車を駆って大道を直進し、川に至って号泣(ごうきゅう)したという故事を思い出した。「狂狷(きやうけん)」は仁(じん)に近いのである。

 南方の大国である楚(そ)の大夫葉公(しょうこう)が政治のあり方について孔子に尋ねた。情報は乏しくとも、大きな国の通弊は想像の内だったと思われる。孔子は君主たちの下問に対して一言で対(こた)えるのを習いとしたが、ここでも「近き者は説(よろこ)び、遠き者は來(きた)る。」これが善い政治の姿ですと応接した。六字の提言は格別に短く、至って難しかった。相手に解ける課題でないことくらい、重々承知だったはずである。どうしたらそんなことができるだろう。経済を活性化させれば、オリンピックを催せば、多額の海外援助を行えば、国際化の時代である、各地から遊びにはやって来るだろう。観光客の隕したお金で地元産業が潤って、手元が豊かになれば、不如意の時に比べて説びは大きいだろう。だがしかし、これが善い政治のもたらすべき恩恵なのだろうか。もっと金にクリーンで、災害には誠実に対処してくれる公務員の政府であったなら、国民の心はどれだけ落ち着き、温かな態度を取り戻せることだろうか。やはり、迂遠なようでも、足元をきれいに掃除するところから始めないと本当の快適な状態にはならないというのが常識である。そのためには、あまり大国でありすぎることは、都市化を進めるばかりの資本主義の自動運動に身を任せることは、危ない。

 『論語』の入力をしている関係から、この本の引用ばかりが続くけれども、古代アジアの君主專制はかようなものをいうのか、とまるで映画でも見ているかのようにまざまざと古代社会を思い浮かべることのできる最近の世相が恐しい。平気で人を殺す、監禁する、言論弾圧を行う、さらには互いに憎悪の目で罵り合う。『論語』はこんな荒地に芽生えた亭々たる大木であった。どんなにか風が強く吹き付けていたことか。一言ずつ、言葉の背後に重苦しい時代の空気を感じさせる。儒学は知識官僚主導の現実的政策を手に入れて、古代の王政、貴族制を倒すところまでは歴史を進めた。しかし、現実的な力を背景にした政治改革は、制度の革命に止まった。歴史は確かに歩みを進めたのだが、玉座の配置を変更したけれども、座る人間の顔を変えることはできなかった。教育さえ、時の政府の臨時的な政策のための具と化した面が無くはない。その背景とされる国民的要請なるものもまた、さまざまな条件の下に「作られて」きたものなのではないか。独立国家のプライドは、個人のそれをしっかりと支えることから始まる。そのための後押しを謙虚に行うのが、あるべき公務の姿であるはずだ。迎合(げいごう)することでも、圧服することでもない。まして贋造(がんぞう)するものであるはずがない。

 

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