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2020.05.31
人之有道也、飽食煖衣、逸居而無敎、則近於禽獸。(『孟子』滕文公上)
「人之有道也、飽食煖衣、逸居而無敎、則近於禽獸。」(『孟子』滕文公上)とは、言うまでもなく「煖衣飽食」の典拠だが、後半がこんなに厳しい物言いになっていることは知らなかった。令和二年は正月の末以来、世の中の言動がすっかり「禽獣」に近くなってしまったと思う。政治とは、さまざまな思惑が複雑な過程を通って、世の中のバランスをとっているもの、という漠然とした依頼心が消え、この四ヶ月ほど毎日のように苛々しながら新聞・雑誌・ネットのニュースを追ううち、どうも各種の事象がまとめて禽獣の振る舞いに近づいているように思えてならない。人間の誇りを取り戻すことが、これほど大事な時代もないと思う。元はエテ公であれ、霊長としての人は「独立」を奪われてはならない。そして、富や権力を手中にしても「勘違い」を起こしてはならない。古今の「知言」の人は、動態的な人間の無様を明鏡止水のように見せつけてくれる。一人一人が「独立の気概」「浩然の気」を養って、話し始めなければならない。どんなに素朴な議論からであれ、出立点を誤った美辞麗句に比べれば霄壌の差があるものだ。私はともかくも教員であったから、「無教」の状態に置かれることの悲惨について多少は考えを巡らすことができると思う。
2020.05.12
「曰、難言也。」「何謂知言?」(『孟子』公孫丑章句上篇)
「曰く言ひ難し。」という熟語は何かの説明に窮したときの逃げ口上のように捉えられているが、元来は『孟子』に由来する。孟子の言動は一見居丈高な調子を感じてしまうが、その言葉と態度の由来するところを孟子自身が説き聞かせようとしたものと考えることができるくだりだ。孟子の弟子に連なる公孫丑(こうそんちゅう)が孟子に「敢へて問ふ、夫子は惡(いづ)くにか長ぜる。(敢問夫子惡乎長。)」(『孟子』公孫丑上)と尋ねた。本当にずいぶん思い切った問いかけである。孟子がこれに答えていわく、「我は言を知る。我は善く吾が浩然の気を養ふ。(我知言。我善養吾浩然之氣。)」と答えた。答えは二つあるが議論は一つである。これの説明に難解なところがあり、初めは考えたが、ある時点で「スッと」心に入ってきた。
2020.05.06