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2020.02.12

色惡不食、臭惡不食、失飪不食。(「論語」郷黨篇)

「色の惡(あ)しきを食らはず、臭(にほ)ひの惡しきを食らはず、飪(じん)を失(あやま)ちたるを食らはず。」とある。最後の一句は十分に煮ていない物(あるいは煮すぎて焦げた物)は食べない、という意味だろう。さらに「時(とき)ならざるを食らはず、割(きりめ)正しからざるを食らはず、其の醤(しやう)を得ざるを食らはず。」と続く。旬(しゅん)のものを食べ、きちんと調理された信頼の置けるもの、変にアレンジされていないものを食べるというのは、別にグルメを気取るという意味ではないに違いない。

  『論語』の入力を十日ほど怠けていた。というか、ヤボ用のために時間を奪われていたためである。それと少しの怠けもあった。ようやく全篇の半分近くになり、孔子の郷里での生活、日常生活の教えを多く記したという「郷党篇」にさしかかったところで、ちょっと面白い文章を見つけた。それは、孔子の実践した養生法の一コマである。一節だけを引き、注目したところだけ書いてみたい。

 まず、米は精米して食うこと。精米技術の進んだ今日から古代の精米法を想像してみる。自分も、小麦フスマがよいというので、一頃パンを焼くのに盛んに入れてみたが、今では止めた。やはり食味が悪いのと、パンを薄切りにできず、製パン機の内側にべっとりとフスマが貼り付く等、細かい難点の他、大袋を買ってもひと月ほどしか日持ちしない点が面倒だった。精米に話しを戻すと、玄米の良さが分からないわけではないが、消化管の弱くなった老人には精米の方が優しいのではないか。私はまだ老人ではないけれども、米には麦を混ぜ込む程度で済ませている。

 次に肉の膾は細いのがよいとしていること。子路が殺されて醢(かい)にされてから醢は食べなくなったという孔子だが、膾は食べていたことだろう。魚ばかり食べているわけにも行かなかっただろうし、ベジタリアンでもなかっただろうから。韓国料理に全く不案内ながら、ユッケは「肉膾」と書くそうである。膾はレア肉そのままではなく、油・薬味・酒等で調味したものだった。脯(ほじし)〔=干した肉(しし)の略〕にも薑(はじかみ)を加え、孔子は添え物の薑は残さずに食べたというから、食中(あ)たりする類のものではないと思われる。魚については、肉とは少し異なっていたのかもしれない。『史記』の「鴻門の会」で、殴り込みをかけた樊噲(はんかい)が項羽(こうう)から「壯士(さうし)也。」と賞められて斗卮酒(とししゅ)と生の彘肩(ていけん)を賜わったとあるのは、この細切り肉とは対蹠(たいせき)的な逸話といえるだろう。生肉を食べ続けて全身に寄生虫が湧いたという雲南省の女性の話に衝撃を受けたのが、調べ直してみるともう4年も前のことだった。「『食治』を按(あん)ずるに云(いは)く、凡(およ)そ物の命を殺す、既に仁愛を虧(か)く。且(か)つ肉未だ冷に停(いた)らざるは、動性猶(な)ほ存し、旋(ま)た烹(に)ること熟せざれば、食(し)も猶ほ人を害す。(いは)んや魚膾(ぎよくわい)と肉の生なる、人を損(そこ)なふこと尤(もつと)も甚(はなは)だしく、症瘕(しやうか)を爲(な)し、痼疾(こしつ)を爲し、奇病を爲す。知らざるべからず。(李時珍『本草綱目』「魚膾」)というのも、古人の知慧である。我々はこの脅威を知り抜いていなければならない。「蓼酢(たです)」というものを調べたとき、中世日本で「熬(い)り酒、山蓼(さんれう)、生薑(しやうきやう)、醋(さく)」等で生の魚を和(あ)えていたことを知った。これらの知慧は、紀元前六世紀よりさらに遡ることができるというわけである。

 次に「食(し)の饐(す)えて餲(くさ)りたる、魚の鯘(あざ)れて肉の敗(くさ)りたるを食らはず。」とある。この「鯘る」は、「いとあやしく、潮海のほとりにてあざれ合へり。」(『土佐日記』冒頭部)で注目の言葉だ。「郷党篇」ではその説明に続けて「色の惡(あ)しきを食らはず、臭(にほ)ひの惡しきを食らはず、飪(じん)を失(あやま)ちたるを食らはず。」とある。最後の一句は十分に煮ていない物(あるいは煮すぎて焦げた物)は食べない、という意味だろう。さらに「(とき)ならざるを食らはず、割(きりめ)正しからざるを食らはず、其の醤(しやう)を得ざるを食らはず。」と続く。旬(しゅん)のものを食べ、きちんと調理された信頼の置けるもの、変にアレンジされていないものを食べるというのは、別にグルメを気取るという意味ではないに違いない。食の本来の姿、安全性の追求という文脈で私は読み取りたい。

 「酒は量無けれども、亂(らん)に及ばず。」とあるのも面白い。孔子が意外に酒飲みだったというのではあるまい。古代人(こだいびと)は一体に酒に強かったのだろう。斗酒ほどでないにせよ、現代人より酒量があったのではないか。またエタノール適性があったもか、肝臓も強かったかしたかもしれない。但し「沽酒(こしゆ)・沽脯(こほ)は食らはず。」とある。「沽酒市脯」という熟語にもなっている。「沽」は「売る・買う」だが、ここは「善賈(ぜんこ)を求めて諸(これ)を沽(う)らんか。」(『論語』子罕篇)の「売る」であろうか。これを見ると、品質保証された物が食べられるのは、紛れもなく現代の恩恵であった。市販の酒肉はあてにならない、自家製が何よりだと書かれたのは、その方が鮮度の保証があるからだ。後半の文に「薑(はじかみ)を撒(す)てずして食らふ。」とあるが、生姜科の植物や山椒などの香辛料やハーブの効能もすでに理解されていた。「多く食らはず。」は腹八分目。「祭の肉は三日を出ださず。三日を出づれば之を食らはず。」とあるのは、太牢(牛)・少牢(豚・羊)のお下がりのことを指すが、これらは生の物であったか、塩漬けや干したか、調理されたものであったか。三日が限度とすれば、生の物か、ないしは汁気を含んだ煮物・焼き物の類であろうか。

 今度のコロナ・ウィルスは、嘘か真(まこと)か、滋養強壮又はただのイカモノ喰いの趣味のために「野味(やみ)」として沽られたコウモリの肉に起因するとも言われていて、日頃のニュースでは常識ではなかなか考えられないことが常態化している現代だが、これも本当なら呆れたことと感じられる。祭祀儀礼の伝統との関わりには言及がないが、原因はまだ明らかでない。感染力の強さや感染経路も諸説区々(まちまち)で、目下底止(ていし)するところの無い脅威である。科学がまだ威力を発揮していない領域では迷信が頭を擡(もた)げ出す。流言蜚語(ひご)に振り回されるのは嫌(いや)だが、そうはいいつつ自分もずいぶん不安に悸(おび)えて、自衛のためにできるだけの手は打とうと考え、マスクはもう入手が考えられないので消毒液など買い込んだのだったが、懐も痛んだと同時に反省頻(しき)りでもあった。もう少し腹の据(す)わった人間を目指さなければいけないが、ひとまず徒(いたず)らに迷信の淵に落ち込まないためには常識に拠るのも一法である。祭祀が途方もない猛威を振るっていた古代社会にあっても、日常の場において古代人は確かな常識を持っていた。飪の程度をきちんと確かめる、それが不確かなものは食べないに越したことはない。悪食(あくじき)を避け、冬場に筍(たけのこ)など欲しがらず、お国柄に合せた醤(ジャン)でしっかりと漬け込むか焼くかした物を食べていくのが一番だ。魯山人だって、火食の最も原初的な形に究極の美味を見出だしたというではないか。(2.12)

〔追記〕 これを書いた後、適々子どもからAGEs(終末糖化産物)の話を聞いた。ベーコンやステーキ、鶏の唐揚げ等、肉を加熱すると何倍にも増加する老化促進物質をいうそうだ。焼いて色が茶色くなるタンパク質食品がいけないそうで、これだと「火食」がいけないことになるが、膾や刺身に一気に復帰する必要もなさそうだ。緑茶カテキンや野菜等のビタミン、ブロッコリースプラウトのスルフォラファン等が抗AGEsによいそうだ、と。上の記述でいうと、酢・酒・油・醤等を合せて摂取することで増加に歯止めがかかるらしい。恐らく葱(そう)・韭(きう)・椒(せう)・薑(きやう)・桂(けい)の類も味付けのみならず幾分か薬効を伴っていたに違いない。新しい医学の知見も、古人の説いた「五味」で味付けを整える知慧の範囲に収まっていると言える。また、焼くよりは煮る方がいいそうで、「飪」を過(あやま)たないことも、基本的に変わりがない。但し、自力の食糧防衛が不可能な現代では、「沽酒市脯」は買うな、という状況には再び戻りたくないと思う。(2.13)

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