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2020.02.29
群居終日、言不及義、好行小慧。難矣哉。(『論語』衞靈公篇)
「群居終日、言不及義、好行小慧。難矣哉。」(群居して日を終ふるも、言(げん)義に及ばず、好んで小慧(せうけい)を行ふ。難(かた)いかな。〔『論語』衞靈公篇〕)というところまで入力した。失言問題の追及と擁護に日を終えるまで喋喋喃喃(ちょうちょうなんなん)としている与党も野党も、議論の本筋を忘却して恥じることがない。喫緊(きっきん)の課題がいくらでもあるだろうのに。帷帳(いちょう)の中(うち)に群居する姿勢そのものが問われているのではないのかと思う。1/4万年前の状況そのままを彼らは眼の前に再現してくれている。閏年の記念の意味も兼ねて、そそくさと書いた。この社会は末端が支えているから、崩壊しないでいるのだ。忘れてはいけない。 〔これに前回の補足を追記した。〕
2020.02.28
由、知德者鮮矣。(『論語』衞靈公篇)
「子曰、由、知德者鮮矣。」(子曰はく、由〔いう〕よ、德を知る者は鮮〔すくな〕し。〔『論語』衞靈公篇〕)という、二千五百年前の孔子の嘆きは過去のものではない。「德は得なり。」という、音通による言い換えで「德」を説明するのが定石(じょうせき)だが、貨幣経済の浸透とともに徳は「有徳人(うとくにん)」の「徳」になってしまった。即物的なものの方が万事話が通じやすい、という意味でも、「徳」と「金」は相似の部分があるが、もう一度、手垢のついた銭を洗い直して、「有徳人」たらんとするのでなく、もとあったはずの(あるべきものだったはずの)徳を見直す必要があるのではないか。
2020.02.16
葉公問政。子曰、近者説、遠者來。(『論語』子路篇)
「葉公(せふこう)政(まつりごと)を問ふ。子曰(のたま)はく、近き者は説(よろこ)び、遠き者は來(きた)る、と。」古代でも、現代でも、政治の理想であろう。古代でも、現代でも、実現していない。新型肺炎の新しい報道を聞くたびに、「近き者は憂(うれ)へ、遠き者は畏(おそ)る。」とでも言い換えたくなる慘状を思う。「基本的人権」を唱えていない国は無いに違いないが、実際には眼の前で無視され続けている。端緒も出口も見出せない問題に実効性のある解決法は、対外的圧力によるしかないと思ったりもするが、やはり心の問題から始める以外にないだろう。
2020.02.12
色惡不食、臭惡不食、失飪不食。(「論語」郷黨篇)
「色の惡(あ)しきを食らはず、臭(にほ)ひの惡しきを食らはず、飪(じん)を失(あやま)ちたるを食らはず。」とある。最後の一句は十分に煮ていない物(あるいは煮すぎて焦げた物)は食べない、という意味だろう。さらに「時(とき)ならざるを食らはず、割(きりめ)正しからざるを食らはず、其の醤(しやう)を得ざるを食らはず。」と続く。旬(しゅん)のものを食べ、きちんと調理された信頼の置けるもの、変にアレンジされていないものを食べるというのは、別にグルメを気取るという意味ではないに違いない。
2020.02.02