(
1)
子曰
ハク、
述ベテ而不
レ作ラ、
信ジテ而
好ムレ古ヲ、
竊カニ比スト二我ヲ於
老彭ニ一。
子曰、述而不作、信而好古、竊比我於老彭。
子曰はく、述べて作らず、信じて古を好む、竊かに我を老彭に比すと。
(
2)
子曰
ハク、
默シテ而
識スレ之
ヲ、
學ンデ而不
ルレ厭ハ、
誨ヘテレ人
ニ不
ルレ倦マ、
何カ有
ランヤ二於
我ニ一哉
ト。〔於
テレ我
ニ何
カ有
ラン哉
ト。〕
子曰、默而識之、學而不厭、誨人不倦、何有於我哉。〔於我何有哉。〕
子曰はく、默して之を識す、學んで厭はざる、人に誨へて倦まざる、何か我に有らんやと。〔我に於て何か有らんと。〕
(
3)
子曰
ハク、
コノ之不
ルレ修マラ、
學ノ之不
ルレ講ゼ、聞
キテレ義ヲ不
ルレ能ハレ徙ル、
不善ヲ不
ルレ能
ハレ改ムル、
是レ吾ガ憂ヒナリ也
ト。
子曰、コ之不修、學之不講、聞義不能徙、不善不能改、是吾憂也。
子曰はく、コの修まらざる、學の講ぜざる、義を聞きて徙る能はざる、不善を改むる能はざる、是れ吾が憂ひなりと。
(
4)
子
ノ之
燕居スルヤ、
申申如タリ也、
夭夭如タリ也。
子之燕居、申申如也、夭夭如也。
子の燕居するや、申申如たり、夭夭如たり。
(
5)
子曰
ハク、
甚ダシイカナ矣
吾ノ衰ヘタルヤ也、
久シイカナ矣吾
ノ不
ルコト三復タ夢ニ見
二周公ヲ一。
子曰、甚矣吾衰也、久矣吾不復夢見周公。
子曰はく、甚だしいかな吾の衰へたるや、久しいかな吾の復た夢に周公を見ざること。
(
6)
子曰
ハク、
志シ二於道
ニ一、
據リ二於コ
ニ一、
依リ二於仁
ニ一、
游ブト二於藝
ニ一。
子曰、志於道、據於コ、依於仁、游於藝。
子曰はく、道に志し、コに據り、仁に依り、藝に游ぶと。
(
7)
子曰
ハク、
自リレ行フ二束脩ヲ一以上ハ、
吾未ダ二嘗テ無
クンバアラ一レ誨フルコト焉
ト。
子曰、自行束脩以上、吾未嘗無誨焉。
子曰はく、束脩を行ふより以上は、吾未だ嘗て誨ふること無くんばあらずと。
(
8)
子曰
ハク、不
ンバレ憤セ不
レ啓セ、不
ンバレ悱セ不
レ發セ。
擧ゲテ二一隅ヲ一、不
ンバ下以テ二三隅
ヲ一反サ上、則
チ不
レ復ビセ也
ト。
子曰、不憤不啓、不悱不發。擧一隅、不以三隅反、則不復也。
子曰はく、憤せずんば啓せず、悱せずんば發せず。一隅を擧げて、三隅を以て反さずんば、則ち復びせずと。
(
9)
子
食スレバ二於有
ルレ喪者
ノ之
側ニ一、
未ダ二嘗テ飽カ一也。子
於テ二是ノ日
ニ一哭スレバ、
則チ不
レ歌ハ。
子食於有喪者之側、未嘗飽也。子於是日哭、則不歌。
子喪有る者の側に食すれば、未だ嘗て飽かず。子是の日に於て哭すれば、則ち歌はず。
(
10)
子
謂ヒテ二顏淵ニ一曰
ハク、
用ウレバレ之
ヲ則チ行ヒ、
舍ツレバレ之
ヲ則
チ藏ルゝ
ハ、
惟ダ我
ト與レ爾有
ルカナレ是レ夫
ト。
子路曰
ク、子
行ハバ二三軍ヲ一、則
チ誰ト與ニカスルト。子曰
ハク、
暴虎馮リレ河ヲ、死
シテ而無
キレ悔イ者
ハ、吾不
レ與ニセ也。必
ズヤ也
臨ンデレ事
ニ而
懼レ、好
ンデレ謀ヲ而
成サン者
ナリ也
ト。
子謂顏淵曰、用之則行、舍之則藏、惟我與爾有是夫。子路曰、子行三軍、則誰與。子曰、暴虎馮河、死而無悔者、吾不與也。必也臨事而懼、好謀而成者也。
子顏淵に謂ひて曰はく、之を用うれば則ち行ひ、之を舍つれば則ち藏るゝは、惟だ我と爾と是れ有るかなと。子路曰く、子三軍を行はば、則ち誰と與にかすると。子曰はく、暴虎河を馮り、死して悔い無き者は、吾與にせず。必ずや事に臨んで懼れ、謀を好んで成さん者なりと。
(
11)
子曰
ハク、
富ニシテ而
可クンバレ求ム也、
雖モ二執鞭ノ之
士ト一、
吾モ亦爲サンレ之
ヲ。
如シ不
ンバレ可
カラレ求
ム、
從ハント二吾ガ所ニ一レ好ム。
子曰、富而可求也、雖執鞭之士、吾亦爲之。如不可求、從吾所好。
子曰はく、富にして求むべくんば、執鞭の士と雖も、吾も亦之を爲さん。如し求むべからずんば、吾が好む所に從はんと。
(
12)
子ノ之
所ハレ愼ム齊・
戰・
疾ナリ。
子之所愼齊・戰・疾。
子の愼む所は齊・戰・疾なり。
(
13)
子
在リテレ齊ニ聞
キレ韶ヲ、
三月不
レ知
ラ二肉ノ之
味ヲ一。曰
ハク、不
リキレ圖ラ爲スコトノレ樂ヲ之
至ラントハ二於
斯ニ一也
ト。
子在齊聞韶、三月不知肉之味。曰、不圖爲樂之至於斯也。
子齊に在りて韶を聞き、三月肉の味を知らず。曰はく、圖らざりき樂を爲すことの斯に至らんとはと。
(
14)
冉有曰
ク、
夫子ハ爲クルカ二衞ノ君ヲ一乎
ト。
子貢曰
ク、
諾、吾
將ニト レ問
ハントレ之
ヲ。
入リテ曰
ク、
伯夷・
叔齊ハ何人ゾヤ也
ト。曰
ハク、
古ノ之
賢人ナリ也
ト。曰
ク、
怨ミタルカ乎
ト。曰
ハク、求
メテレ仁ヲ而
得タリレ仁
ヲ、又
何ゾ怨
ミント。
出デテ曰
ク、夫子
ハ不レ爲ケ也
ト。
冉有曰、夫子爲衞君乎。子貢曰、諾、吾將問之。入曰、伯夷・叔齊何人也。曰、古之賢人也。曰、怨乎。曰、求仁而得仁、又何怨。出曰、夫子不爲也。
冉有曰く、夫子は衞の君を爲くるかと。子貢曰く、諾、吾將に之を問はんとすと。入りて曰く、伯夷・叔齊は何人ぞやと。曰はく、古の賢人なりと。曰く、怨みたるかと。曰はく、仁を求めて仁を得たり、又何ぞ怨みんと。出でて曰く、夫子は爲けじと。
(
15)
子曰
ハク、
ヒ二蔬食ヲ一飮ミレ水ヲ、
曲ゲテレ肱ヲ而
枕スルモレ之
ニ、
樂シミ亦在リ二其
ノ中ニ一矣。
不義ニシテ而
富ミ且ツ貴キハ、
於テレ我ニ如シト二浮雲ノ一。
子曰、蔬食飮水、曲肱而枕之、樂亦在其中矣。不義而富且貴、於我如浮雲。
子曰はく、蔬食をひ水を飮み、肱を曲げて之に枕するも、樂しみ亦其の中に在り。不義にして富み且つ貴きは、我に於て浮雲のごとしと。
(
16)
子曰
ハク、
加シテ二我
ニ數年ヲ一、
卒ヘシメバ二以
テ學ブコトヲ一レ易ヲ、
可シ三以
テ無
カル二大過一矣
ト。
子曰、加我數年、卒以學易、可以無大過矣。
子曰はく、我に數年を加して、以て易を學ぶことを卒へしめば、以て大過無かるべしと。
(
17)
子
ノ所
ハ二雅ニ言フ一、
詩ト書ト執禮ト。
皆雅
ニ言
フナリ也。
子所雅言、詩書執禮。皆雅言也。
子の雅に言ふ所は、詩と書と執禮と。皆雅に言ふなり。
(
18)
葉公問
フ二孔子ヲ於
子路ニ一。子路不
レ對ヘ。子曰
ハク、
女奚ゾ不
ルレ曰ハ、其
ノ爲リヤレ人ト也、
發シテハレ憤リヲ忘レレ食ヲ、
樂シミテハ以
テ忘
レレ憂ヒヲ、不
レ知
ラ二老イノ之
將ニルヲ 一レ至ラント、
云フトレ爾。
葉公問孔子於子路。子路不對。子曰、女奚不曰、其爲人也、發憤忘食、樂以忘憂、不知老之將至、云爾。
葉公孔子を子路に問ふ。子路對へず。子曰はく、女奚ぞ曰はざる、其の人と爲りや、憤りを發しては食を忘れ、樂しみては以て憂ひを忘れ、老いの將に至らんとするを知らず、爾云ふと。
(
19)
子曰
ハク、
我ハ非ズ二生マレナガラニシテ而知
ルレ之
ヲ者
ニ一、好
ミレ古ヲ敏メテ以
テ求ムルレ之
ヲ者
ナリ也
ト。
子曰、我非生而知之者、好古敏以求之者也。
子曰はく、我は生まれながらにして之を知る者に非ず、古を好み敏めて以て之を求むる者なりと。
(
20)
子
ハ不
レ語ラ二怪力亂神ヲ一。
子不語怪力亂神。
子は怪力亂神を語らず。
(
21)
子曰
ハク、三人
行ヘバ必ズ有
リ二我ガ師一焉。
擇ンデ二其
ノ善ナル者
ヲ一而
從ヒレ之
ニ、其
ノ不善ナル者
ハ而
改ムトレ之
ヲ。
子曰、三人行必有我師焉。擇其善者而從之、其不善者而改之。
子曰はく、三人行へば必ず我が師有り。其の善なる者を擇んで之に從ひ、其の不善なる者は之を改むと。
(
22)
子曰
ハク、
天生ゼリ二コヲ於
予ニ一。
桓魋其レ如レ予
ヲ何セント。
子曰、天生コ於予。桓魋其如予何。
子曰はく、天コを予に生ぜり。桓魋其れ予を如何せんと。
(
23)
子曰
ハク、
二三子、以
テレ我ヲ爲スカレ隱セリト乎。吾
ハ無
シレ隱
スコト二乎
爾ニ一。吾
ハ無
シ下行フトシテ而不
ルレ與ニセ二二三子
ト一者
上。
是レ丘ナリ也
ト。
子曰、二三子、以我爲隱乎。吾無隱乎爾。吾無行而不與二三子者。是丘也。
子曰はく、二三子、我を以て隱せりと爲すか。吾は爾に隱すこと無し。吾は行ふとして二三子と與にせざる者無し。是れ丘なりと。
(
24)
子
以テレ四ヲヘフ、
文・
行・
忠・
信。
子以四ヘ、文・行・忠・信。
子四を以てヘふ、文・行・忠・信。
(
25)
子曰
ハク、
聖人ハ吾不
二得テ而見
一レ之
ヲ矣。
得バレ見
ルヲ二君子
ナル者
ヲ一斯チ可ナリ矣
ト。子曰
ハク、
善人ハ吾不
二得
テ而見
一レ之
ヲ矣。得
バレ見
ルヲ二有
ルレ恆者
ヲ一斯
チ可
ナリ矣。
亡ケレドモ而
爲シレ有
リト、
虚シケレドモ而爲
シレ盈テリト、
約マヤカナレドモ而爲
スレ泰レリト。
難イカナ乎有
ルコトレ恆矣
ト。
子曰、聖人吾不得而見之矣。得見君子者斯可矣。子曰、善人吾不得而見之矣。得見有恆者斯可矣。亡而爲有、虚而爲盈、約而爲泰。難乎有恆矣。
子曰はく、聖人は吾得て之を見ず。君子なる者を見るを得ば斯ち可なりと。子曰はく、善人は吾得て之を見ず。恆有る者を見るを得ば斯ち可なり。亡けれども有りと爲し、虚しけれども盈てりと爲し、約まやかなれども泰れりと爲す。難いかな恆有ることと。
(
26)
子
釣スレドモ而不
レ網セ、
弋スレドモ不
レ射レ宿レルヲ。
子釣而不網、弋不射宿。
子釣すれども網せず、弋すれども宿れるを射ず。
(
27)
子曰
ハク、
蓋シ有
ラン二不
シテレ知
ラ而
作スレ之
ヲ者
一、我
ハ無
シレ是レ也。多
ク聞
キ擇ンデ二其
ノ善ナル者
ヲ一而
從ヒレ之
ニ、多
ク見
テ而
識スハレ之
ヲ、知
ルノ之
次ナリ也
ト。
子曰、蓋有不知而作之者、我無是也。多聞擇其善者而從之、多見而識之、知之次也。
子曰はく、蓋し知らずして之を作す者有らん、我は是れ無し。多く聞き其の善なる者を擇んで之に從ひ、多く見て之を識すは、知るの次なりと。
(
28)
互ク難シ二與ニ言ヒ一。
童子見エントシ、
門人惑フ。子曰
ハク、
與セン二其
ノ進
ムルニ一也、
不レ與
セ二其
ノ退クニハ一也。
唯ダ何ゾ甚ダシキ。人
潔クシテレ己ヲ以
テ進
マバ、與
セン二其
ノ潔
キニ一也、
不レ保セ二其
ノ往ヲ一也
ト。
互ク難與言。童子見、門人惑。子曰、與其進也、不與其退也。唯何甚。人潔己以進、與其潔也、不保其往也。
互ク與に言ひ難し。童子見えんとし、門人惑ふ。子曰はく、其の進むるに與せん、其の退くには與せじ。唯だ何ぞ甚だしき。人己を潔くして以て進まば、其の潔きに與せん、其の往を保せじと。
(
29)
子曰
ハク、
仁ハ遠カランヤ乎哉。我
欲スレバレ仁
ヲ、
斯チ仁
至ル矣
ト。
子曰、仁遠乎哉。我欲仁、斯仁至矣。
子曰はく、仁は遠からんや。我仁を欲すれば、斯ち仁至ると。
(
30)
陳ノ司敗問
フ、
昭公ハ知
ルカレ禮ヲ乎
ト。孔子曰
ハク、知
ルトレ禮
ヲ。孔子
退ク。
揖シテ二巫馬期ヲ一而
進メテレ之
ヲ曰
ク、
吾聞
ク、
君子ハ不
トレ黨セ。君子
モ亦黨
スルカ乎。君
取ルニ二於
呉ニ一、
爲リ二同姓一、
謂フ二之
ヲ呉孟子ト一。
君ニシテ而知
ラバレ禮
ヲ、
孰カ不
ラントレ知
ラレ禮
ヲ。巫馬期以
テ告グ。子曰
ハク、
丘ハ也
幸ヒナリ。
苟クモ有
ラバレ過チ、人必
ズ知
ルトレ之
ヲ。
陳司敗問、昭公知禮乎。孔子曰、知禮。孔子退。揖巫馬期而進之曰、吾聞、君子不黨。君子亦黨乎。君取於呉、爲同姓、謂之呉孟子。君而知禮、孰不知禮。巫馬期以告。子曰、丘也幸。苟有過、人必知之。
陳の司敗問ふ、昭公は禮を知るかと。孔子曰はく、禮を知ると。孔子退く。巫馬期を揖して之を進めて曰く、吾聞く、君子は黨せずと。君子も亦黨するか。君呉に取るに、同姓たり、之を呉孟子と謂ふ。君にして禮を知らば、孰か禮を知らざらんと。巫馬期以て告ぐ。子曰はく、丘は幸ひなり。苟くも過ち有らば、人必ず之を知ると。
(
31)
子
與レ人歌
ウテ而
善ケレバ、必
ズ使メレ反セレ之
ヲ、
而ル後ニ和スレ之
ニ。
子與人歌而善、必使反之、而後和之。
子人と歌うて善ければ、必ず之を反せしめ、而る後に之に和す。
(
32)
子曰
ハク、
文ハ莫カランヤ二吾
モ猶ホクナルコト 一レ人
ノ也。
躬-二行スルハ君子
ヲ一、
則チ吾
未ダト 二之
ヲ有
ラ一レ得ルコト。
子曰、文莫吾猶人也。躬行君子、則吾未之有得。
子曰はく、文は吾も猶ほ人のごとくなること莫からんや。君子を躬行するは、則ち吾未だ之を得ること有らずと。
(
33)
子曰
ハク、
若キハ二聖ト與ノ一レ仁、
則チ吾
豈ニ敢ヘテセンヤ。
抑モ爲シテレ之
ヲ不
レ厭ハ、
誨ヘテレ人
ヲ不
レ倦マ、則
チ可キノミレ謂フレ云フトレ爾已矣
ト。
公西華曰
ク、
正ニ唯ダ弟子不
ルノミレ能ハレ學ブコト也
ト。
子曰、若聖與仁、則吾豈敢。抑爲之不厭、誨人不倦、則可謂云爾已矣。公西華曰、正唯弟子不能學也。
子曰はく、聖と仁とのごときは、則ち吾豈に敢へてせんや。抑も之を爲して厭はず、人を誨へて倦まず、則ち爾云ふと謂ふべきのみと。公西華曰く、正に唯だ弟子學ぶこと能はざるのみと。
(
34)
子
疾病ナリ。
子路請フレ禱ラント。子曰
ハク、有
リヤトレゥ。子路
對ヘテ曰
ク、有
リレ之。
誄ニ曰
ク、禱
ルト二爾ヲ于
上下ノ神祇ニ一。子曰
ハク、
丘ノ之禱
ルコト久シ矣
ト。
子疾病。子路請禱。子曰、有ゥ。子路對曰、有之。誄曰、禱爾于上下神祇。子曰、丘之禱久矣。
子疾病なり。子路禱らんと請ふ。子曰はく、ゥ有りやと。子路對へて曰く、之有り。誄に曰く、爾を上下の神祇に禱ると。子曰はく、丘の禱ること久しと。
(
35)
子曰
ハク、
奢ナレバ則チ不孫ナリ、
儉ナレバ則
チ固ナリ。
與リハ二其ノ不孫
ナラン一也、
寧ロ固
ナレト。
子曰、奢則不孫、儉則固。與其不孫也、寧固。
子曰はく、奢なれば則ち不孫なり、儉なれば則ち固なり。其の不孫ならんよりは、寧ろ固なれと。
(
36)
子曰
ハク、君子
ハ坦ラカニシテ蕩蕩タリ、
小人ハ長ニ戚戚タリト。
子曰、君子坦蕩蕩、小人長戚戚。
子曰はく、君子は坦らかにして蕩蕩たり、小人は長に戚戚たりと。
(
37)
子
ハ温ニシテ而
シ、
威アリテ而不
レ猛カラ、
恭シクシテ而
安シ。
子温而氏A威而不猛、恭而安。
子は温にして獅オ、威ありて猛からず、恭しくして安し。
(本文はtaiju生作「漢文エディタ」原文よりHTMLに変換したものである。原文は後日利用の便を考えて、このファイルに含めてある。又、上下のコラムを連動させるスクリプトも入っている。)