(
1)
子曰
ハク、
雍ハ也
可シトレ使ム二南面セ一。
仲弓問
フ二子桑伯子ヲ一。子曰
ハク、
可ナリ也、
簡ナリト。仲弓曰
ク、
居テレ敬ニ而
行ヒレ簡
ヲ、
以テ臨ム二其ノ民ニ一、不
ヤ二亦可
ナラ一乎。居
テレ簡
ニ而行
ハバレ簡
ヲ、無
カランカ二乃チ大簡ナルコト一乎
ト。子曰
ハク、雍
ノ之
言然リト。
子曰、雍也可使南面。仲弓問子桑伯子。子曰、可也、簡。仲弓曰、居敬而行簡、以臨其民、不亦可乎。居簡而行簡、無乃大簡乎。子曰、雍之言然。
子曰はく、雍は南面せしむべしと。仲弓子桑伯子を問ふ。子曰はく、可なり、簡なりと。仲弓曰く、敬に居て簡を行ひ、以て其の民に臨む、亦可ならずや。簡に居て簡を行はば、乃ち大簡なること無からんかと。子曰はく、雍の言然りと。
(
2)
哀公問
フ、
弟子孰カ爲ストレ好
ムトレ學ヲ。
孔子對ヘテ曰
ハク、有
リ二顏囘ナル者
一、好
ムレ學
ヲ。不
レ遷サレ怒リヲ、不
レ貳タビセレ過チヲ。
不幸短命ニシテ死
セリ矣。今
ヤ也
則チ亡シ。
未ダルナリ レ聞
カ二好
ムレ學
ヲ者
ヲ一也
ト。
哀公問、弟子孰爲好學。孔子對曰、有顏囘者、好學。不遷怒、不貳過。不幸短命死矣。今也則亡。未聞好學者也。
哀公問ふ、弟子孰か學を好むと爲すと。孔子對へて曰はく、顏囘なる者有り、學を好む。怒りを遷さず、過ちを貳たびせず。不幸短命にして死せり。今や則ち亡し。未だ學を好む者を聞かざるなりと。
(
3)
子華使ヒス二於
齊ニ一。
冉子爲メニ二其
ノ母
ノ一請フレ粟ヲ。子曰
ハク、
與ヘヨト二之
ニ釜ヲ一。
請フレuサンコトヲ。曰
ハク、與
ヘヨト二之
ニ庾ヲ一。冉子與
フ二之
ニ粟
五秉ヲ一。子曰
ハク、
赤ノ之
適クヤレ齊
ニ也、
乘リ二肥馬ニ一、
衣タリ二輕裘ヲ一。吾聞
ケリレ之ヲ也、
君子ハ周ヒテレ急ヲ、不
トレ繼ガレ富ヲ。
原思爲ル二之
ガ宰ト一。與
フルニ二之
ニ粟
九百ヲ一、
辭ス。子曰
ハク、
毋レ。
以テ與ヘンカ二爾ガ鄰里郷黨ニ一乎
ト。
子華使於齊。冉子爲其母請粟。子曰、與之釜。請u。曰、與之庾。冉子與之粟五秉。子曰、赤之適齊也、乘肥馬、衣輕裘。吾聞之也、君子周急、不繼富。原思爲之宰。與之粟九百、辭。子曰、毋。以與爾鄰里郷黨乎。
子華齊に使ひす。冉子其の母の爲めに粟を請ふ。子曰はく、之に釜を與へよと。uさんことを請ふ。曰はく、之に庾を與へよと。冉子之に粟五秉を與ふ。子曰はく、赤の齊に適くや、肥馬に乘り、輕裘を衣たり。吾之を聞けり、君子は急を周ひて、富を繼がずと。原思之が宰と爲る。之に粟九百を與ふるに、辭す。子曰はく、毋れ。以て爾が鄰里郷黨に與へんかと。
(
4)
子
謂ヒテ二仲弓ヲ一曰
ク、
犂牛ノ之
子、
騂ク且ツ角アラバ、
雖モレ欲ストレ勿ラントレ用ヰルコト、
山川其
レ舍テンヤトレゥヲ。
子謂仲弓曰、犂牛之子、騂且角、雖欲勿用、山川其舍ゥ。
子仲弓を謂ひて曰く、犂牛の子、騂く且つ角あらば、用ゐること勿らんと欲すと雖も、山川其れゥを舍てんやと。
(
5)
子曰
ハク、
囘ハ也
其ノ心
三月不
レ違ハレ仁ニ。其
ノ餘ハ則チ日ニ月
ニ至
ルノミ焉而已矣
ト。
子曰、囘也其心三月不違仁。其餘則日月至焉而已矣。
子曰はく、囘は其の心三月仁に違はず。其の餘は則ち日に月に至るのみと。
(
6)
季康子問
フ、
仲由ハ可キカレ使ムレ從ハレ政ニ也與
ト。子曰
ハク、
由ヤ也
果、
於テレ從
フニレ政
ニ乎
何カ有ラント。曰
ク、
賜ハ也可
キカレ使
ムレ從
ハレ政
ニ也與
ト。曰
ハク、賜
ヤ也
達、於
テレ從
フニレ政
ニ乎何
カ有
ラント。曰
ク、
求ハ也可
キカレ使
ムレ從
ハレ政
ニ也與
ト。曰
ハク、求
ヤ也
藝、於
テレ從
フニレ政
ニ乎何
カ有
ラント。
季康子問、仲由可使從政也與。子曰、由也果、於從政乎何有。曰、賜也可使從政也與。曰、賜也達、於從政乎何有。曰、求也可使從政也與。曰、求也藝、於從政乎何有。
季康子問ふ、仲由は政に從はしむべきかと。子曰はく、由や果、政に從ふに於て何か有らんと。曰く、賜は政に從はしむべきかと。曰はく、賜や達、政に從ふに於て何か有らんと。曰く、求は政に從はしむべきかと。曰はく、求や藝、政に從ふに於て何か有らんと。
(
7)
季氏使メントス三閔子騫ヲシテ爲ラ二費ノ宰一。閔子騫曰
ク、
善ク爲メニレ我ガ辭セヨ焉。
如シ有
ラバ二復ビスルレ我ニ者
一、
則チ吾ハ必
ズ在ラン二汶ノ上ニ一矣
ト。
季氏使閔子騫爲費宰。閔子騫曰、善爲我辭焉。如有復我者、則吾必在汶上矣。
季氏閔子騫をして費の宰たらしめんとす。閔子騫曰く、善く我が爲めに辭せよ。如し我に復びする者有らば、則ち吾は必ず汶の上に在らんと。
(
8)
伯牛有
リレ疾。子問
ヒレ之
ヲ、
自リレ牖執リテ二其ノ手
ヲ一曰
ハク、
亡ハンハレ之
ヲ、
命ナルカナ矣夫。
斯ノ人
ニシテ也、而有
ルトハ二斯ノ疾
一也。斯
ノ人
ニシテ也、而有
ルトハ二斯
ノ疾
一也
ト。
伯牛有疾。子問之、自牖執其手曰、亡之、命矣夫。斯人也、而有斯疾也。斯人也、而有斯疾也。
伯牛疾有り。子之を問ひ、牖より其の手を執りて曰はく、之を亡はんは、命なるかな。斯の人にして、斯の疾有るとは。斯の人にして、斯の疾有るとはと。
(
9)
子曰
ハク、
賢ナルカナ哉、
囘ヤ也。
一簞ノ食、
一瓢ノ飮、
在リ二陋巷ニ一。人
ハ不
レ堪ヘ二其ノ憂ヒニ一、囘
ヤ也不
レ改
メ二其
ノ樂シミヲ一。賢
ナルカナ哉、囘
ヤ也
ト。
子曰、賢哉、囘也。一簞食、一瓢飮、在陋巷。人不堪其憂、囘也不改其樂。賢哉、囘也。
子曰はく、賢なるかな、囘や。一簞の食、一瓢の飮、陋巷に在り。人は其の憂ひに堪へず、囘や其の樂しみを改めず。賢なるかな、囘やと。
(
10)
冉求曰
ク、
非ズレ不
ルニレ説バ二子ノ之道
ヲ一、力不
ルナリレ足ラ也
ト。子曰
ハク、力不
ルレ足
ラ者
ハ、
中道ニシテ而
廢ス。今
女ハ畫レリト。
冉求曰、非不説子之道、力不足也。子曰、力不足者、中道而廢。今女畫。
冉求曰く、子の道を説ばざるに非ず、力足らざるなりと。子曰はく、力足らざる者は、中道にして廢す。今女は畫れりと。
(
11)
子
謂ヒテ二子夏ニ一曰
ハク、
女爲レ二君子ノ儒ト一、
無カレトレ爲
ルコト二小人ノ儒
ト一。
子謂子夏曰、女爲君子儒、無爲小人儒。
子子夏に謂ひて曰はく、女君子の儒と爲れ、小人の儒と爲ること無かれと。
(
12)
子游爲ル二武城ノ宰ト一。子曰
ハク、
女得
タルカレ人
ヲ焉爾乎
ト。曰
ク、有
リ二澹臺滅明トイフ者
一。
行クニ不
レ由ラレ徑ニ、
非ザレバ二公事ニ一、
未ダルナリ 三嘗テ至
ラ二於
偃ノ之
室ニ一也
ト。
子游爲武城宰。子曰、女得人焉爾乎。曰、有澹臺滅明者。行不由徑、非公事、未嘗至於偃之室也。
子游武城の宰と爲る。子曰はく、女人を得たるかと。曰く、澹臺滅明といふ者有り。行くに徑に由らず、公事に非ざれば、未だ嘗て偃の室に至らざるなりと。
(
13)
子曰
ハク、
孟之反ハ不
レ伐ラ。
奔ツテ而
殿シ、
將ニルニ レ入ラントレ門ニ、
策ツテ二其ノ馬ニ一曰
ク、
非ズ二敢ヘテ後レタルニ一也、馬不
ルナリレ進マ也
ト。
子曰、孟之反不伐。奔而殿、將入門、策其馬曰、非敢後也、馬不進也。
子曰はく、孟之反は伐らず。奔つて殿し、將に門に入らんとするに、其の馬に策つて曰く、敢へて後れたるに非ず、馬進まざるなりと。
(
14)
子曰
ハク、不
ンバ下有
リテ二祝駝ノ之
佞一、而有
ラ中宋朝ノ之
美上、
難イカナ乎、
免レンコトハ二於
今ノ之
世ニ一矣
ト。
子曰、不有祝駝之佞、而有宋朝之美、難乎、免於今之世矣。
子曰はく、祝駝の佞有りて、宋朝の美有らずんば、難いかな、今の世に免れんことはと。
(
15)
子曰
ハク、
誰カ能ク出ヅルニ不
ランレ由ラレ戸ニ。
何ゾ莫キレ由
ルコトノ二斯ノ道
ニ一也
ト。
子曰、誰能出不由戸。何莫由斯道也。
子曰はく、誰か能く出づるに戸に由らざらん。何ぞ斯の道に由ることの莫きと。
(
16)
子曰
ハク、
質勝
テバレ文ニ則チ野、文勝
テバレ質
ニ則
チ史。文質
彬彬トシテ、
然ル後君子
ナリト。
子曰、質勝文則野、文勝質則史。文質彬彬、然後君子。
子曰はく、質文に勝てば則ち野、文質に勝てば則ち史。文質彬彬として、然る後君子なりと。
(
17)
子曰
ハク、人
ノ之
生クルハ也
直ナリ。
罔ミシテレ之ヲ生
クルハ也
幸ヒニシテ而
免ルヽノミト。
子曰、人之生也直。罔之生也幸而免。
子曰はく、人の生くるは直なり。之を罔みして生くるは幸ひにして免るゝのみと。
(
18)
子曰
ハク、知
ルレ之
ヲ者
ハ不
レ如カ二好ムレ之
ヲ者
ニ一、好
ムレ之
ヲ者
ハ不
トレ如
カ二樂シムレ之
ヲ者
ニ一。
子曰、知之者不如好之者、好之者不如樂之者。
子曰はく、之を知る者は之を好む者に如かず、之を好む者は之を樂しむ者に如かずと。
(
19)
子曰
ハク、
中人以上ニハ可シ二以
テ語グ一レ上ヲ也、中人
以下ニハ不
レ可
カラ二以
テ語
グ一レ上
ヲ也
ト。
子曰、中人以上可以語上也、中人以下不可以語上也。
子曰はく、中人以上には以て上を語ぐべし、中人以下には以て上を語ぐべからずと。
(
20)
樊遲問
フレ知ヲ。子曰
ハク、
務メ二民ノ之
義ヲ一、
敬スレドモ二鬼神ヲ一而
遠ザカルレ之
ニ、
可シレ謂フレ知
ト矣
ト。問
フレ仁ヲ。曰
ハク、
仁者ハ先ニシテレ難キヲ而
後ニスレ獲ルヲ、可
シレ謂
フレ仁
ト矣
ト。
樊遲問知。子曰、務民之義、敬鬼神而遠之、可謂知矣。問仁。曰、仁者先難而後獲、可謂仁矣。
樊遲知を問ふ。子曰はく、民の義を務め、鬼神を敬すれども之に遠ざかる、知と謂ふべしと。仁を問ふ。曰はく、仁者は難きを先にして獲るを後にす、仁と謂ふべしと。
(
21)
子曰
ハク、
知者ハ樂シミレ水ヲ、
仁者ハ樂
シムレ山
ヲ。知者
ハ動
キ、仁者
ハ靜カナリ。知者
ハ樂
シミ、仁者
ハ壽シト。
子曰、知者樂水、仁者樂山。知者動、仁者靜。知者樂、仁者壽。
子曰はく、知者は水を樂しみ、仁者は山を樂しむ。知者は動き、仁者は靜かなり。知者は樂しみ、仁者は壽しと。
(
22)
子曰
ハク、
齊一變セバ至ラン二於
魯ニ一、魯一變
セバ至
ラント二於
道ニ一。
子曰、齊一變至於魯、魯一變至於道。
子曰はく、齊一變せば魯に至らん、魯一變せば道に至らんと。
(
23)
子曰
ハク、
觚ハ不
レ觚
ナラ。觚
ナランヤ哉、觚
ナランヤ哉
ト。
子曰、觚不觚。觚哉、觚哉。
子曰はく、觚は觚ならず。觚ならんや、觚ならんやと。
(
24)
宰我問ウテ曰
ク、
仁者ハ雖モ三告ゲテレ之
ニ曰
フト二井ニ有
リト一レ仁焉、
其レ從フカレ之
ニ也
ト。子曰
ハク、
何爲レゾ其
レ然ラン也。君子
ハ可キモレ逝カシム也、不
レ可
カラレ陷ル也、可
キモレ欺ク也、不
レ可
カラレ罔フ也
ト。
宰我問曰、仁者雖告之曰井有仁焉、其從之也。子曰、何爲其然也。君子可逝也、不可陷也、可欺也、不可罔也。
宰我問うて曰く、仁者は之に告げて井に仁有りと曰ふと雖も、其れ之に從ふかと。子曰はく、何爲れぞ其れ然らん。君子は逝かしむべきも、陷るべからず、欺くべきも、罔ふべからずと。
(
25)
子曰
ハク、君子
ハ博ク學
ビ二於文
ヲ一、
約ムルニレ之
ヲ以
テスレバレ禮ヲ、
亦可
キカナ二以
テ弗
ル一レ畔カ矣夫
ト。
子曰、君子博學於文、約之以禮、亦可以弗畔矣夫。
子曰はく、君子は博く文を學び、之を約むるに禮を以てすれば、亦以て畔かざるべきかなと。
(
26)
子
見ユ二南子ニ一。
子路不
レ説バ。
夫子矢ウテレ之
ニ曰
ク、
予ニ所
ノレ否キ者
アラバ、天
厭テンレ之
ヲ、天厭
テントレ之
ヲ。
子見南子。子路不説。夫子矢之曰、予所否者、天厭之、天厭之。
子南子に見ゆ。子路説ばず。夫子之に矢うて曰く、予に否き所の者あらば、天之を厭てん、天之を厭てんと。
(
27)
子貢曰
ク、
如シ有
ラバ下博ク施シテ二於
民ニ一、而
能ク濟フコト上レ衆ヲ、
何如。
可キカレ謂フレ仁ト乎
ト。子曰
ハク、
何ゾ事トセン二於仁
ヲ一、必
ズヤ也
聖カ乎。
堯舜モ其レ猶ホ病メリレゥヲ。
夫レ仁者ハ、
己欲シテレ立
タント而立
テレ人
ヲ、己欲
シテレ達セント而達
スレ人
ヲ。
能ク近
ク取
ルヲレ譬ヲ、可
キノミレ謂
フ二仁
ノ之
方ト一也已
ト。
子貢曰、如有博施於民、而能濟衆、何如。可謂仁乎。子曰、何事於仁、必也聖乎。堯舜其猶病ゥ。夫仁者、己欲立而立人、己欲達而達人。能近取譬、可謂仁之方也已。
子貢曰く、如し博く民に施して、能く衆を濟ふこと有らば、何如。仁と謂ふべきかと。子曰はく、何ぞ仁を事とせん、必ずや聖か。堯舜も其れ猶ほゥを病めり。夫れ仁者は、己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。能く近く譬を取るを、仁の方と謂ふべきのみと。
(本文はtaiju生作「漢文エディタ」原文よりHTMLに変換したものである。原文は後日利用の便を考えて、このファイルに含めてある。又、上下のコラムを連動させるスクリプトも入っている。)