言志録
(
101)
諺ニ云ク、
禍ヒハ自リレ下起コルト。
余謂フ、
是レ亡國ノ之
言ナリ也。不
レ可
カラレ使ム三人主ヲシテ誤-二信セ之
ヲ一。
凡ソ禍
ヒハ皆
自リシテレ上而起
コル。
雖モ下其
ノ出ヅル二於下
ニ一者
ト上、而
亦必
ズ有
リレ所
レ致ス。
成湯ノ之
誥ニ曰ク、
爾萬方ノ有
ルハレ罪在リト二予一人ニ一。
爲ル二人主一者
ハ、
當ニシト レ監ミル二此ノ言ニ一。
諺云、禍自下起。余謂、是亡國之言也。不可使人主誤信之。凡禍皆自上而起。雖其出於下者、而亦必有所致。成湯之誥曰、爾萬方有罪在予一人。爲人主者、當監此言。
諺に云く、禍ひは下より起こると。余謂ふ、是れ亡國の言なり。人主をして之を誤信せしむべからず。凡そ禍ひは皆上よりして起こる。其の下に出づる者と雖も、亦必ず致す所有り。成湯の誥に曰く、爾萬方の罪有るは予一人に在りと。人主たる者は、當に此の言に監みるべしと。
(
102)
征止ムレバ二十ガ一ニ一、
則チ井田ナリ也。
經界不
レバレ慢リニセ、則
チ井田
ナリ也。深
ク耕シ易メ耨レバ、則
チ井田
ナリ也。
百姓親睦スレバ、則
チ井田
ナリ也。
何ゾ必ズシモ抅-二抅-乎トシテ方里九區ニ一、
然ル後爲サンヤ二井田
ト一哉。
征止十一、則井田也。經界不慢、則井田也。深耕易耨、則井田也。百姓親睦、則井田也。何必抅抅乎方里九區、然後爲井田哉。
征十が一に止むれば、則ち井田なり。經界慢りにせざれば、則ち井田なり。深く耕し易め耨れば、則ち井田なり。百姓親睦すれば、則ち井田なり。何ぞ必ずしも方里九區に抅抅乎として、然る後井田と爲さんや。
(
103)
夏后氏ヨリ而來、
人君皆
傳フ二於
子ニ一矣。
是レ世ニスルナリ二其ノ禄ヲ一也。人君
既ニ自ラ世
ニシテ二其
ノ禄
ヲ一、
而モ使
ムル二人臣ヲシテ獨リ不
ラ一レ得レ世
ニスルヲ二其
ノ禄
ヲ一者
ハ、
斯チ不
ランヤ三亦爲ラ二自
ラ私スルモノ一乎。
故ニ世禄ノ之
法ハ、
天下ノ之
公ナリ也。
夏后氏而來、人君皆傳於子矣。是世其禄也。人君既自世其禄、而使人臣獨不得世其禄者、斯不亦爲自私乎。故世禄之法、天下之公也。
夏后氏より而來、人君皆子に傳ふ。是れ其の禄を世にするなり。人君既に自ら其の禄を世にして、而も人臣をして獨り禄を其の世にするを得ざらしむる者は、斯ち亦自ら私するものたらざらんや。故に世禄の法は、天下の公なり。
(
104)
天下
ノ事物ハ、有
リ二理勢ノ不
ルレ得レ不
ルヲレ然ラ者
一。
學人或ハ輙チ斥ケテ二人事ヲ一、
目スルニ以
テス二無用ヲ一。
殊ニ不
レ知
ラ、天下無
ケレバ二無用
ノ之物
一、則
チ亦無
シ二無用
ノ之事
一。其
ノ斥
ケテ以
テ爲ス二無用
ト一者、
安クンゾ知
ランヤ二其
ノ不
ルヲ一レ爲ラ二大有用ノ者
一乎。
若シ輙
チ一概ニ以
テ二無用
ヲ一目
スレバレ之
ヲ、則
チ天
ノ之
生ズル二萬物ヲ一、
一ニ何ゾ無用
ナルモノノ之
多キヤ也。有
リ二不
ルレ中タラレ材ニ之
草木一、有
リ二不
ルレ可
カラレ食
ラフ之
禽獸蟲魚一。天
果シテ有
ツテ二何ノ用一而
生ズルレ之
ヲ。
殆ンド非ズ二情量ノ所
ニ一レ及ブ。
易ニ曰ク、
賁ルト二其
ノ須ヲ一。須
モ亦將タ何
ノ用
ゾ。
天下事物、有理勢不得不然者。學人或輙斥人事、目以無用。殊不知、天下無無用之物、則亦無無用之事。其斥以爲無用者、安知其不爲大有用者乎。
若輙一概以無用目之、則天之生萬物、一何無用之多也。有不中材之草木、有不可食之禽獸蟲魚。天果有何用而生之。殆非情量所及。易曰、賁其須。須亦將何用。
天下の事物は、理勢の然らざるを得ざる者有り。學人或は輙ち人事を斥けて、目するに無用を以てす。殊に知らず、天下無用の物無ければ、則ち亦無用の事無し。其の斥けて以て無用と爲す者、安くんぞ其の大有用の者たらざるを知らんや。
若し輙ち一概に無用を以て之を目すれば、則ち天の萬物を生ずる、一に何ぞ無用なるものの多きや。材に中たらざる之草木有り、食らふべからざる之禽獸蟲魚有り。天果して何の用有つて之を生ずる。殆んど情量の及ぶ所に非ず。易に曰く、其の須を賁ると。須も亦將た何の用ぞ。
(
105)
凡ソ年間ノ人事萬端、
算ヘ來レバ十中ノ七ハ無用
ナリ。
但ダ人
ノ處ル二平世ニ一、心
ノ無
ケレバレ所
レ寄スル、
則チ闍シテ爲スモ二不善ヲ一亦不
レ少カラ。今
連ネ二貴賤男女ヲ一、
率ネ爲レテ二無用
ニ纏綿驅役セ一、以
テ渉レバレ日
ヲ、則
チ念ノ及ブ二不善ニ一者、
或ハ少
カラン矣。
此モ亦其
ノ用アル處ナリ。
葢シ治安ノ世界
ニハ不
ルモレ得レ不
ルヲレ然ラ、
亦理勢ナリ也。
凡年間人事萬端、算來十中七無用。但人處平世、心無所寄、則闍鐘ィ不善亦不少。今連貴賤男女、率爲無用纏綿驅役、以渉日、則念及不善者、或少矣。此亦其用處。葢治安世界不得不然、亦理勢也。
凡そ年間の人事萬端、算へ來れば十中の七は無用なり。但だ人の平世に處る、心の寄する所無ければ、則ち闍盾オて不善を爲すも亦少からず。今貴賤男女を連ね、率ね無用に纏綿驅役せられて、以て日を渉れば、則ち念の不善に及ぶ者、或は少からん。此も亦其の用ある處なり。葢し治安の世界には然らざるを得ざるも、亦理勢なり。
(
106)
欲セバレ知
ラント二性ノ之
善ナルヲ一、
須ラクシ 三先ヅ究ム二爲スレ惡ヲ之所
ヲ一レ由ル。人
ノ之爲
スハレ惡
ヲ果シテ何ノ爲メゾヤ也。
非ズヤレ爲
メニスルニ二耳目・
鼻口・
四肢ノ一乎。
有ツテ二耳目
一而ル後ニ溺レ二於
聲色ニ一、有
ツテ二鼻口
一而
ル後
ニ耽リ二於
臭味ニ一、有
ツテ二四肢
一而
ル後
ニ縱ニス二於
安逸ヲ一。皆
惡ノ之所
ナリ二由ツテ起
コル一也。
設シ令メバ下軀殻ヲシテ去リ二耳目鼻口
ヲ一、
打ツテ做サ中一塊ノ血肉ト上、
則チ此ノ人
果シテ何ノ所
アランヤレ爲スレ惡ヲ邪。
又令
メバ三性ヲシテ脱セ二軀殻ヲ一、則
チ此
ノ性果
シテ有
ルヤ二爲
スレ惡
ヲ之
想ヒ一否ヤ。
盍ゾル 二試ミニ一タビ思ハ一レ之ヲ。
欲知性之善、須先究爲惡之所由。人之爲惡果何爲也。非爲耳目・鼻口・四肢乎。有耳目而後溺於聲色、有鼻口而後耽於臭味、有四肢而後縱於安逸。皆惡之所由起也。
設令軀殻去耳目鼻口、打做一塊血肉、則此人果何所爲惡邪。又令性脱軀殻、則此性果有爲惡之想否。盍試一思之。
性の善なるを知らんと欲せば、須らく先づ惡を爲す之由る所を究むべし。人の惡を爲すは果して何の爲めぞや。耳目・鼻口・四肢の爲めにするに非ずや。耳目有つて而る後に聲色に溺れ、鼻口有つて而る後に臭味に耽り、四肢有つて而る後に安逸を縱にす。皆惡の由つて起こる所なり。
設し軀殻をして耳目鼻口を去り、打つて一塊の血肉と做さしめば、則ち此の人果して何の惡を爲す所あらんや。又性をして軀殻を脱せしめば、則ち此の性果して惡を爲す之想ひ有るや否や。盍ぞ試みに一たび之を思はざる。
(
107)
性ハ稟ケ二ゥヲ天
ニ一、
軀殻ハ受ク二ゥ
ヲ地ニ一。天
ハ純粹ニシテ無
シレ形。無
ケレバレ形
則チ通ズ。
乃チ一ナルノミ二於
善ニ一而已。地
ハ駁雜ニシテ有
リレ形。有
レバレ形則
チ滯ル。
故ニ兼ヌ二善惡ヲ一。地
ハ本ト能ク承ケ二乎
天ニ一以
テ成スレ功ヲ者、
如キ下起コシ二風雨ヲ一以
テ生ズルガ中萬物ヲ上、
是レナリ也。又有
リテカレ時乎風雨
壞レバレ物
ヲ、則
チ兼
ヌ二善惡
ヲ一矣。其
ノ所ルレ謂ハ惡
ナル者
モ、亦
非ズ二眞ニ有
ルニ一レ惡、
由リテレ有
ルニ二過不及一而
然リ。性
ノ之善
ト與三軀殻
ノ之兼
ヌル二善惡
ヲ一、亦
如シレ此クノ。
性稟ゥ天、軀殻受ゥ地。天純粹無形。無形則通。乃一於善而已。地駁雜有形。有形則滯。故兼善惡。地本能承乎天以成功者、如起風雨以生萬物、是也。又有時乎風雨壞物、則兼善惡矣。其所謂惡者、亦非眞有惡、由有過不及而然。性之善與軀殻之兼善惡、亦如此。
性はゥを天に稟け、軀殻はゥを地に受く。天は純粹にして形無し。形無ければ則ち通ず。乃ち善に一なるのみ。地は駁雜にして形有り。形有れば則ち滯る。故に善惡を兼ぬ。地は本と能く天に承け以て功を成す者、風雨を起こし以て萬物を生ずるがごとき、是れなり。又時有りてか風雨物を壞れば、則ち善惡を兼ぬ。其の謂は所る惡なる者も、亦眞に惡有るに非ず、過不及有るによりて然り。性の善と軀殻の善惡を兼ぬると、亦此くのごとし。
(
108)
性ハ雖モレ善ナリト、而無
ケレバ二軀殻一、不
レ能ハレ行フコト二其
ノ善
ヲ一。軀殻
ノ之
設クル、
本ト趨キテ二心
ノ之
使役ニ一以
テ爲スレ善
ヲ者
ナリ也。
但ダ其
ノ有
ルレ形者
滯レバ、則
チ既ニ承ケテ二乎心
ニ一以
テ爲
シレ善
ヲ、又
由ツテレ有
ルニ二過不及一而
流ル二於
惡ニ一。
孟子云ク、
形ト色トハ天性ナリ也。
惟ダ聖人ノミ然ル後可シト二以
テ踐ム一レ形
ヲ。可
シレ見
ル、軀殻
モ亦
本ト無
キヲ二不善一。
性雖善、而無軀殻、不能行其善。軀殻之設、本趨心之使役以爲善者也。但其有形者滯、則既承乎心以爲善、又由有過不及而流於惡。孟子云、形色天性也。惟聖人然後可以踐形。可見、軀殻亦本無不善。
性は善なりと雖も、軀殻無ければ、其の善を行ふこと能はず。軀殻の設くる、本と心の使役に趨きて以て善を爲す者なり。但だ其の形有る者滯れば、則ち既に心に承けて以て善を爲し、又過不及有るに由つて惡に流る。孟子云く、形と色とは天性なり。惟だ聖人のみ然る後以て形を踐むべしと。見るべし、軀殻も亦本と不善無きを。
(
109)
人
ハ不
レ能ハレ無
キコトレ欲。欲
ハ能ク爲スレ惡ヲ。天
既ニ賦フルニレ人
ニ、
以テシテ二性ノ之
善ナル者
ヲ一、
而モ又必
ズ溷スニレ之
ヲ、以
テス二欲
ノ之
惡ナル者
ヲ一。天
何ゾ不
ルレ使メ二人
ヲシテ初メヨリ無カラ一レ欲。欲
果シテ何ノ用アリヤ也。
余謂フ、
欲ナル者
ハ、
人身ノ之
生氣ニシテ、
膏脂精液ノ之所
ナリレ蒸ルヽ也。有
ツテレ此而
生ジ、無
クシテレ此而死
ス。人身
ノ欲氣ハ四ニ暢ビ、
由ツテ二九竅毛孔ニ一而
漏出ス。
因ツテ使ム三軀殻ヲシテ熾ナラ二其
ノ願ヒヲ一。
所-三以ナリ流ルヽ二於
惡ニ一也。
凡ソ生物ハ不
レ能ハレ無
キコトレ欲。
唯ダ聖人
用ヰルノミ二其
ノ欲
ヲ於
善處ニ一耳。
孟子曰ク、
可キヲレ欲ス之謂フトレ善
ト。
孔子曰
ク、
從フト二心
ノ所
ニ一レ欲スル。
舜曰
ク、
俾メヨト二予ヲシテ從
ヒテレ欲
スルニ以
テ治メ一。皆
就キテ二善處
ニ一言フレ之
ヲ。
人不能無欲。欲能爲惡。天既賦人、以性之善者、而又必溷之、以欲之惡者。天何不使人初無欲。欲果何用也。
余謂、欲者、人身之生氣、膏脂精液之所蒸也。有此而生、無此而死。人身欲氣四暢、由九竅毛孔而漏出。因使軀殻熾其願。所以流於惡也。
凡生物不能無欲。唯聖人用其欲於善處耳。孟子曰、可欲之謂善。孔子曰、從心所欲。舜曰、俾予從欲以治。皆就善處言之。
人は欲無きこと能はず。欲は能く惡を爲す。天既に人に賦ふるに、性の善なる者を以てして、而も又必ず之を溷すに、欲の惡なる者を以てす。天何ぞ人をして初めより欲無からしめざる。欲果して何の用ありや。
余謂ふ、欲なる者は、人身の生氣にして、膏脂精液の蒸るゝ所なり。此有つて生じ、此無くして死す。人身の欲氣は四に暢び、九竅毛孔に由つて漏出す。因つて軀殻をして其の願ひを熾ならしむ。惡に流るゝ所以なり。
凡そ生物は欲無きこと能はず。唯だ聖人其の欲を善處に用ゐるのみ。孟子曰く、欲すべきを之善と謂ふと。孔子曰く、心の欲する所に從ふと。舜曰く、予をして欲するに從ひて以て治めしめよと。皆善處に就きて之を言ふ。
(
110)
人身ノ之
生氣ハ、
乃チ地氣ノ之
精ナリ也。
故ニ生物ハ必
ズ有
リレ欲。
地ハ兼ヌ二善惡ヲ一。故
ニ欲
モ亦有
リ二善惡
一。
人身之生氣、乃地氣之精也。故生物必有欲。地兼善惡。故欲亦有善惡。
人身の生氣は、乃ち地氣の精なり。故に生物は必ず欲有り。地は善惡を兼ぬ。故に欲も亦善惡有り。
(
111)
草木ノ之
有リテ二生氣一、而
日ニ暢茂スルモ、
是レ其
ノ欲ナリ也。
從ヘバ二其
ノ枝葉ノ之所
ニ一レ長ズル、
則チ欲
漏ル。
故ニ伐レバ二其
ノ枝葉
ヲ一、則
チ生氣
反ツテ二於
根ニ一、而
幹乃チ大ナリ。
如キモレ人
ノ亦從
ヘバ二軀殻ノ之欲
ニ一、則
チ欲漏
ル。欲漏
ルレバ、則
チ神耗シ、不
レ能ハレ靈ナルコト也。故
ニ窒ゲバ二欲
ヲ於
外ニ一、則
チ生氣
畜ヘテ二於
内ニ一、而心
乃チ靈ニ、
身モ亦
健カナリ矣。
草木之有生氣、而日暢茂、是其欲也。從其枝葉之所長、則欲漏。故伐其枝葉、則生氣反於根、而幹乃大。如人亦從軀殻之欲、則欲漏。欲漏、則神耗、不能靈也。故窒欲於外、則生氣畜於内、而心乃靈、身亦健矣。
草木の生氣有りて、日に暢茂するも、是れ其の欲なり。其の枝葉の長ずる所に從へば、則ち欲漏る。故に其の枝葉を伐れば、則ち生氣根に反つて、幹乃ち大なり。人のごときも亦軀殻の欲に從へば、則ち欲漏る。欲漏るれば、則ち神耗し、靈なること能はず。故に欲を外に窒げば、則ち生氣内に畜へて、心乃ち靈に、身も亦健かなり。
(
112)
鍋内ノ之
湯、
蒸シテ成ス二烟氣ヲ一。
氣漏ルレバ二於
外ニ一、
則チ湯
減ズ。以
テレ蓋ヲ塞ゲバレ之
ヲ、則
チ氣不
レ能ハレ漏
ルヽコト、
化シテレ露ト滴下シ、湯
乃チ不
レ減
ゼ。人
能ク窒ゲバレ欲
ヲ、則
チ心身並ビニ得ルモ二其
ノ養ヒヲ一、
亦如シレ此クノ。
鍋内之湯、蒸成烟氣。氣漏於外、則湯減。以蓋塞之、則氣不能漏、化露滴下、湯乃不減。人能窒欲、則心身並得其養、亦如此。
鍋内の湯、蒸して烟氣を成す。氣外に漏るれば、則ち湯減ず。蓋を以て之を塞げば、則ち氣漏るゝこと能はず、露と化して滴下し、湯乃ち減ぜず。人能く欲を窒げば、則ち心身並びに其の養ひを得るも、亦此くのごとし。
(
113)
近代賞スルニ二孝子ヲ一、
賜ヒ二金帛・
粟米ヲ一以
テ旌スレ之
ヲ。
於テハ下風-二勵スル頽俗ヲ一之
意ニ上、
則チ得タリ矣。
但ダ其
ノ賞
スルニレ之
ヲ、
當ニキヲ レ原ク二ゥヲ孝子
ノ之
心ニ一爲スレ可ト。孝子
ノ之心
ハ、
愛スルレ親ヲ之
外、無
シ二他念一。其
ノ身
ノ之
艱苦スラ、
且ツ甘ンジテ受クレ之
ヲ。
況ンヤ敢ヘテ求メンヤレ名ヲ乎。
故ニ金帛・粟米
ノ之
賜ハ、
宜シクシ 下厚クシテ二於其
ノ親ニ一、而
薄クス中於
其ノ子
ニ上。
葢シ非ズレ薄キニ二於
其ノ子
ニ一。
所-三以ノ厚クスル二於其
ノ親
ニ一者
ハ、
即チ所
-三以
ナリ厚
クスル二於其
ノ子
ニ一也。
賞スルレ親
ヲ之
辭ニ曰ク、
庭訓有
リトレ素。賞
スルレ子
ヲ之辭
ニ曰
ク、
能ク從フト二庭訓
ニ一。
如ケレバレ此クノ、則
チ孝子
ノ之
素願足レリ矣。
近代賞孝子、賜金帛・粟米以旌之。於風勵頽俗之意、則得矣。但其賞之、當原ゥ孝子之心爲可。孝子之心、愛親之外、無他念。其身之艱苦、且甘受之。況敢求名乎。故金帛・粟米之賜、宜厚於其親、而薄於其子。
葢非薄於其子。所以厚於其親者、即所以厚於其子也。賞親之辭曰、庭訓有素。賞子之辭曰、能從庭訓。如此、則孝子之素願足矣。
近代孝子を賞するに、金帛・粟米を賜ひ以て之を旌す。頽俗を風勵する之意に於ては、則ち得たり。但だ其の之を賞するに、當にゥを孝子の心に原くべきを可と爲す。孝子の心は、親を愛する之外、他念無し。其の身の艱苦すら、且つ甘んじて之を受く。況んや敢へて名を求めんや。故に金帛・粟米の賜は、宜しく其の親に厚くして、其の子に薄くすべし。
葢し其の子に薄きに非ず。其の親に厚くする所以の者は、即ち其の子に厚くする所以なり。親を賞する之辭に曰く、庭訓素有りと。子を賞する之辭に曰く、能く庭訓に從ふと。此くのごとければ、則ち孝子の素願足れり。
(
114)
孝名ノ之
著ハルヽハ、必
ズ由レバナリ二於
貧窶・
艱難・
疾病・
變故ニ一。
則チ凡ソ有
ル二孝名
一者
ハ、
率ネ不幸ナル人
ナリ也。今
若シ徒ラニ厚ク賜ウテ二於
孝子ニ一、
而モ不
レバレ及バ二於
親ニ一、則
チ於テ下爲ル二孝子
一者
ニ上、
幾シ下乎
資トシテ二其
ノ家
ノ之不幸
ヲ一以
テ博リレ賞ヲ徼ムルニ上レ名
ヲ也。
其ノ心
恐ラクハ有
ランレ所
レ不
ルレ安カラ。
且ツ凡
ソ稱スルハ二人
ノ之
善ヲ一、
當ニシ 三必
ズ本ヅク二其
ノ父兄ニ一。
如ケレバレ此クノ、則
チ不
シテ三獨リ勸ムルノミナラ二其
ノ孝弟ヲ一、而
并セテ以
テ勸
ム二其
ノ慈友ヲ一。
可シレ謂フ三一擧シテ而
兩-二得スト之
ヲ一。
孝名之著、必由於貧窶・艱難・疾病・變故。則凡有孝名者、率不幸人也。今若徒厚賜於孝子、而不及於親、則於爲孝子者、幾乎資其家之不幸以博賞徼名也。其心恐有所不安。且凡稱人之善、當必本其父兄。如此、則不獨勸其孝弟、而并以勸其慈友。可謂一擧而兩得之。
孝名の著はるゝは、必ず貧窶・艱難・疾病・變故に由ればなり。則ち凡そ孝名有る者は、率ね不幸なる人なり。今若し徒らに厚く孝子に賜うて、而も親に及ばざれば、則ち孝子たる者に於て、其の家の不幸を資として以て賞を博り名を徼むるに幾し。其の心恐らくは安からざる所有らん。且つ凡そ人の善を稱するは、當に必ず其の父兄に本づくべし。此くのごとければ、則ち獨り其の孝弟を勸むるのみならずして、并せて以て其の慈友を勸む。一擧して之を兩得すと謂ふべし。
(
115)
古今以
テレ舜ヲ爲ス二大孝ノ人
ト一。舜
ハ固ヨリ大孝
ナリ矣。
然レドモ余ハ爲メニレ舜
ノ不
レ願ハレ稱スルヲ二此ノ名
ヲ一。舜
ハ果シテ爲リシカ二孝子
一歟。
聞クニ三其
ノ有
ルヲ二此
ノ名
一、必
ズ將ニ四竦然トシテ惴懼シ、不
ラント三翅ダニ膚-二受スルノミナラ砭刺ヲ一。
葢シ舜
ノ之
孝名ハ、
由ツテ二瞽瞍ノ之
不慈ニ一而
顯ハル。
使メバ三瞽瞍
ヲシテ爲ラ二慈父一、
則チ舜
ノ之
孝モ亦
泯然トシテ無
カランレ迹。
此レ固ヨリ其
ノ所
ナリレ願フ也。
乃チ不
ルガレ得レ然ルヲ故ニ、舜
ハ只ダ憂苦百端シテ、
負ヒレ罪
ヲ引キレ慝ヲ、
爲メニレ父
ノ隱サントシテレ之
ヲ思
フ、
己寧ロ得ルモ二不孝ノ之
謗リヲ一、
而モ不トレ使メ二親
ノ之不慈
ヲ暴白セ一。
然リ而シテ天下
後世ノ論已ニ定マリ、
推シテレ舜
ヲ以
テ爲シテ二古今第一等ノ孝子ト一、而
目シテ二瞽瞍
ヲ一以
テ爲
ス二古今第一等
ノ不慈
ト一。
夫レ舜
ノ之孝名不
レバレ可
カラ二磨滅ス一、則
チ瞽瞍
ノ之不慈
モ亦不
レ可
カラ二磨滅
ス一。
使メバ二舜
ヲシテ知
ラ一レ之
ヲ、必
ズ有
ラン下不
ルレ勝ヘ二痛苦ニ一者
上。
故ニ曰ク、爲
メニレ舜
ノ不
トレ願
ハレ稱
スルヲ二此
ノ名
ヲ一。
古今以舜爲大孝人。舜固大孝矣。然余爲舜不願稱此名。舜果爲孝子歟。聞其有此名、必將竦然惴懼、不翅膚受砭刺。
葢舜之孝名、由瞽瞍之不慈而顯。使瞽瞍爲慈父、則舜之孝亦泯然無迹。此固其所願也。乃不得然故、舜只憂苦百端、負罪引慝、爲父隱之思、己寧得不孝之謗、而不使親之不慈暴白。
然而天下後世論已定、推舜以爲古今第一等孝子、而目瞽瞍以爲古今第一等不慈。夫舜之孝名不可磨滅、則瞽瞍之不慈亦不可磨滅。使舜知之、必有不勝痛苦者。故曰、爲舜不願稱此名。
古今舜を以て大孝の人と爲す。舜は固より大孝なり。然れども余は舜の爲めに此の名を稱するを願はず。舜は果して孝子たりしか。其の此の名有るを聞くに、必ず將に竦然として惴懼し、翅だに砭刺を膚受するのみならざらんとす。
葢し舜の孝名は、瞽瞍の不慈に由つて顯はる。瞽瞍をして慈父たらしめば、則ち舜の孝も亦泯然として迹無からん。此れ固より其の願ふ所なり。乃ち然るを得ざるが故に、舜は只だ憂苦百端して、罪を負ひ慝を引き、父の爲めに之を隱さんとして思ふ、己寧ろ不孝の謗りを得るも、而も親の不慈を暴白せしめじと。
然り而して天下後世の論已に定まり、舜を推して以て古今第一等の孝子と爲して、瞽瞍を目して以て古今第一等の不慈と爲す。夫れ舜の孝名磨滅すべからざれば、則ち瞽瞍の不慈も亦磨滅すべからず。舜をして之を知らしめば、必ず痛苦に勝へざる者有らん。故に曰く、舜の爲めに此の名を稱するを願はずと。
(
116)
上古ノ之
時、無
ク二人君一、無
シ二百官有司一。人
各〻食ミ二其
ノ力ニ一以
テ爲スレ生ヲ。
殆ンド與二禽獸一等シキノミ耳。
當リ二是ノ之時
ニ一、
強キハ陵ギレ弱キヲ、
衆キハ暴ヒレ寡キヲ、有
リ下不
ルレ得レ遂グルヲ二其
ノ生
ヲ一者
上。其
ノ間有
レバ下才コノ出ヅル二於
衆ニ一者
上、則
チ人
心トシテ有
リ下來タリ控フルニ以
テシレ情ヲ、
請フ二宰斷ヲ一者
上。
於テレ是ニ徃キテ而
爲メニ理-二解ス之
ヲ一。強
キ者・衆
キ者、
屈シテ二於
其ノ直ニ一、而
服シ二於其
ノ義ニ一、不
二敢ヘテ復タ陵暴セ一、弱
キ者・寡
キ者、
因ツテ以
テ得タリレ遂
グルヲ二其
ノ生
ヲ一。
如キレ此クノ者
漸ク多
ク、
遂ニ至ル二於
群然トシテ來
リ控
フルニ一。不
レ能ハ三自ラ食ム二其
ノ力
ニ一、
勢ヒ不
レ得レ不
ルヲ三距-二絶セ之
ヲ一。
於テレ是ニ衆必
ズ相議シテ曰ク、
微カリセバ二是ノ人
一、
患ヘ復タ作コラン。
盍ゾル 丁各〻出ダシテ二衣食ヲ一以
テ給シレ之
ニ、
使メ丙是ノ人
ヲシテ無
カラ乙復タ食
ムレ力
ニ之
勞甲。
則チ必
ズ能ク爲メニレ我ガ肯ゼント二專ラ任ズルヲ一レ之
ニ。
衆議乃チ諧ヒ、
以テレ是レヲ再ビ請フ。
才コアル者、
果シテ諾スレ之
ヲ。
是レ則チ君長ノ之
始メニシテ、
而シテ貢賦ノ之所
ナリ二由ツテ起
コル一也。
如キレ是クノ者、
彼此有
リレ之、其
ノ間又有
ラバ下才コ
ノ大ニ卓-二越スル乎
衆ニ一者
上、
次ナル者
モ亦皆
來ツテ聽ケリレ命ヲ焉。
推シテ而
上ゲレ之
ヲ、以
テ二第一等ノ才コ
ノ者
ヲ一置
ク二ゥヲ第一等
ノ地位ニ一。
乃チ億兆ノ之
君師ハ是レナリ也。
孟子ノ所ルレ謂ハ得テ二乎
邱民ニ一、而
爲ルノ二天子ト一意モ、亦
與レ此類ス。
上古之時、無人君、無百官有司。人各食其力以爲生。殆與禽獸等耳。當是之時、強陵弱、衆暴寡、有不得遂其生者。其間有才コ出於衆者、則人心有來控以情、請宰斷者。於是徃而爲理解之。強者・衆者、屈於其直、而服於其義、不敢復陵暴、弱者・寡者、因以得遂其生。
如此者漸多、遂至於群然來控。不能自食其力、勢不得不距絶之。於是衆必相議曰、微是人、患復作。盍各出衣食以給之、使是人無復食力之勞。則必能爲我肯專任之。衆議乃諧、以是再請。才コ者、果諾之。是則君長之始、而貢賦之所由起也。
如是者、彼此有之、其間又有才コ大卓越乎衆者、次者亦皆來聽命焉。推而上之、以第一等才コ者置ゥ第一等地位。乃億兆之君師是也。孟子所謂得乎邱民、而爲天子意、亦與此類。
上古の時、人君無く、百官有司無し。人各〻其の力に食み以て生を爲す。殆んど禽獸と等しきのみ。是の時に當り、強きは弱きを陵ぎ、衆きは寡きを暴ひ、其の生を遂ぐるを得ざる者有り。其の間才コの衆に出づる者有れば、則ち人心として來たり控ふるに情を以てし、宰斷を請ふ者有り。是に於て徃きて爲めに之を理解す。強き者・衆き者、其の直に屈して、其の義に服し、敢へて復た陵暴せず、弱き者・寡き者、因つて以て其の生を遂ぐるを得たり。
此くのごとき者漸く多く、遂に群然として來り控ふるに至る。自ら其の力に食む能はず、勢ひ之を距絶せざるを得ず。是に於て衆必ず相議して曰く、是の人微かりせば、患へ復た作こらん。盍ぞ各〻衣食を出だして以て之に給し、是の人をして復た力に食む之勞無からしめざる。則ち必ず能く我が爲めに專ら之に任ずるを肯ぜんと。衆議乃ち諧ひ、是れを以て再び請ふ。才コある者、果して之を諾す。是れ則ち君長の始めにして、而して貢賦の由つて起こる所なり。
是くのごとき者、彼此之有り、其の間又才コの大に衆に卓越する者有らば、次なる者も亦皆來つて命を聽けり。推して之を上げ、第一等の才コの者を以てゥを第一等の地位に置く。乃ち億兆の君師は是れなり。孟子の謂はゆる邱民に得て、天子と爲るの意も、亦此と類す。
(
117)
欲スルハレ爲ラント二世間第一等
ノ人物
一、其
ノ志不
レ小ナラ矣。
余ハ則チ以
テ爲ス二猶ホ小
ナリト一也。世間
ニ生民雖モレ衆シト、
而モ數有
リレ限リ。
茲ノ事恐
ラクハ非ズレ難キニレ濟シ。
如キハ二前古已ニ死スル之人
ノ一、則
チ幾-二萬-倍セン於
今ニ一。其
ノ中聖人・
賢人・
英雄・
豪傑、不
レ可
カラ二勝ゲテ數フ一。我
今日未ダレバ レ死
セ、則
チ似キモ二稍〻出頭ノ人
ノ一、而
明日即チ死
セバ、
輙チ忽チ入ラン二於
古人ノ籙中ニ一。
於テレ是ニ以テ二我
ガ所
ヲ一レ爲シタル、
校ブレバ二ゥヲ古人
ニ一、無
カラン二足ルレ比ブルニレ數ヲ者
一。
是レ則チ可
シレ愧ヅ矣。
故ニ有
ルレ志者、
要スルニ當ニシ 下以
テ二古今第一等
ノ人物
ヲ一自ラ期ス上焉。
欲爲世間第一等人物、其志不小矣。余則以爲猶小也。世間生民雖衆、而數有限。茲事恐非難濟。如前古已死之人、則幾萬倍於今。其中聖人・賢人・英雄・豪傑、不可勝數。我今日未死、則似稍出頭人、而明日即死、輙忽入於古人籙中。於是以我所爲、校ゥ古人、無足比數者。是則可愧矣。故有志者、要當以古今第一等人物自期焉。
世間第一等の人物たらんと欲するは、其の志小ならず。余は則ち以て猶ほ小なりと爲す。世間に生民衆しと雖も、而も數限り有り。茲の事恐らくは濟し難きに非ず。前古已に死する之人のごときは、則ち今に幾萬倍せん。其の中聖人・賢人・英雄・豪傑、勝げて數ふべからず。我今日未だ死せざれば、則ち稍〻出頭の人の似きも、明日即ち死せば、輙ち忽ち古人の籙中に入らん。是に於て我が爲したる所を以て、ゥを古人に校ぶれば、數を比ぶるに足る者無からん。是れ則ち愧づべし。故に志有る者、要するに當に古今第一等の人物を以て自ら期すべし。
(
118)
士ハ當ニシ レ恃ム二在ルレ己ニ者
ヲ一。
動天驚地ノ極大事業
モ、
亦キテ自リ二一ノ己一締造ス。
士當恃在己者。動天驚地極大事業、亦キ自一己締造。
士は當に己に在る者を恃むべし。動天驚地の極大事業も、亦キて一の己より締造す。
(
119)
喪ヘバレ己ヲ、
斯チ喪
フレ人
ヲ。喪
ヘバレ人
ヲ、斯
チ喪
フレ物
ヲ。
喪己、斯喪人。喪人、斯喪物。
己を喪へば、斯ち人を喪ふ。人を喪へば、斯ち物を喪ふ。
(
120)
士ハ貴ブ二於
獨立自信ヲ一矣。
依リレ熱
ニ附クレ炎ニ之
念、不
レ可
カラレ起
コス。
士貴於獨立自信矣。依熱附炎之念、不可起。
士は獨立自信を貴ぶ。熱に依り炎に附く之念、起こすべからず。
(
121)
有
リ二本然ノ之
眞己一、有
リ二軀殻ノ之
假己一。
須ラクシ レ要ス二自ラ認メ得ルヲ一。
有本然之眞己、有軀殻之假己。須要自認得。
本然の眞己有り、軀殻の假己有り。須らく自ら認め得るを要すべし。
(
122)
人
方タリ二少壯ノ時
ニ一、不
レ知
ラ二惜陰ヲ一。
雖モレ知
ルト不
レ至ラ二太
ダ惜シムニ一。
過ギテ二四十ヲ一已後、
始メテ知
ル二惜陰
ヲ一。
既ニ知
ル之時、
精力漸ク耗ス。
故ニ人
ノ爲スニレ學
ビヲ、
須ラクシ レ要ス二及ンデレ時
ニ立志勉勵スルヲ一。
不ザレバ則チ百悔スルモ亦竟ニ無
シレu。
人方少壯時、不知惜陰。雖知不至太惜。過四十已後、始知惜陰。既知之時、精力漸耗。故人爲學、須要及時立志勉勵。不則百悔亦竟無u。
人少壯の時に方たり、惜陰を知らず。知ると雖も太だ惜しむに至らず。四十を過ぎて已後、始めて惜陰を知る。既に知る之時、精力漸く耗す。故に人の學びを爲すに、須らく時に及んで立志勉勵するを要すべし。不ざれば則ち百悔するも亦竟にu無し。
(
123)
雲烟ハ聚マリ二於不
ルニレ得レ已ムヲ一、
風雨ハ洩レ二於不
ルニレ得
レ已
ムヲ一、
雷霆ハ震フ二於不
ルニレ得
レ已
ムヲ一。
斯チ可シ三以
テ觀ル二至誠ノ之
作用ヲ一。
雲烟聚於不得已、風雨洩於不得已、雷霆震於不得已。斯可以觀至誠之作用。
雲烟は已むを得ざるに聚まり、風雨は已むを得ざるに洩れ、雷霆は已むを得ざるに震ふ。斯ち以て至誠の作用を觀るべし。
(
124)
動ケバ二於不
ルレ可
カラレ已ム之
勢ヒニ一、
則チ動
ケドモ而不
レ括ガラ。
履メバ二於不
ルレ可
カラレ枉グ之
途ヲ一、則
チ履
メドモ而不
レ危カラ。
動於不可已之勢、則動而不括。履於不可枉之途、則履而不危。
已むべからざる之勢ひに動けば、則ち動けども括がらず。枉ぐべからざる之途を履めば、則ち履めども危からず。
(
125)
周官ニ有
リ二食醫一、
掌ル二飲食ヲ一。飲食
ハ須
ラクキノミ 三視ヘテ爲ス二常用ノ藥餌ト一耳。
食ハ不
レ厭ハレ精ナルヲ、
膾ハ不
トハレ厭
ハレ細キヲ、
即チ是レ製法謹嚴ノ意思ナリ。食
饐エテ而
餲リ、
魚鯘レテ而肉
敗リタルヲ不
レ食ラハ、色
ノ惡シキヲ不
レ食
ラハ、
臭ヒノ惡
シキヲ不
トハレ食
ラハ、即
チ是
レ藥品精良ノ意思
ナリ。肉
雖モレ多シト不
レ使メレ勝ラ二食氣ニ一、即
チ是
レ君臣佐使分量ノ意思
ナリ。
周官有食醫、掌飲食。飲食須視爲常用藥餌耳。食不厭精、膾不厭細、即是製法謹嚴意思。食饐而餲、魚鯘而肉敗不食、色惡不食、臭惡不食、即是藥品精良意思。肉雖多不使勝食氣、即是君臣佐使分量意思。
周官に食醫有り、飲食を掌る。飲食は須らく視へて常用の藥餌と爲すべきのみ。食は精なるを厭はず、膾は細きを厭はずとは、即ち是れ製法謹嚴の意思なり。食饐えて餲り、魚鯘れて肉敗りたるを食らはず、色の惡しきを食らはず、臭ひの惡しきを食らはずとは、即ち是れ藥品精良の意思なり。肉多しと雖も食氣に勝らしめず、即ち是れ君臣佐使分量の意思なり。
(
126)
聖人ハ如ク二強健ニシテ無キレ病人
ノ一、
賢人ハ如
ク二攝生シテ愼ムレ病
ヲ人
ノ一、
常人ハ如
シ二虚羸ニシテ多キレ病人
ノ一。
聖人如強健無病人、賢人如攝生愼病人、常人如虚羸多病人。
聖人は強健にして病無き人のごとく、賢人は攝生して病を愼む人のごとく、常人は虚羸にして病多き人のごとし。
(
127)
身恒ニ病ム者
ハ、不
レ覺エ二其
ノ痛ミヲ一。
心恒
ニ病
ム者
モ、
亦不
レ覺
エ二其
ノ痛
ミヲ一。
身恒病者、不覺其痛。心恒病者、亦不覺其痛。
身恒に病む者は、其の痛みを覺えず。心恒に病む者も、亦其の痛みを覺えず。
(
128)
需ハ、
雨天ナリ也。
待テバ則チ霽ル。不
レバレ待
タ則
チ沾濡ス。〔需
ハ、
古文作ルレ〓雨/天
ニ。
丙子正月録ス。〕
需、雨天也。待則霽。不待則沾濡。〔需、古文作〓{雨/天}。丙子正月録。〕
需は、雨天なり。待てば則ち霽る。待たざれば則ち沾濡す。〔需は、古文〓に作る。丙子正月録す。〕 (1)〓{雨/天}
(
129)
急迫スレバ敗ルレ事ヲ。
寧耐スレバ成スレ事
ヲ。
急迫敗事。寧耐成事。
急迫すれば事を敗る。寧耐すれば事を成す。
(
130)
茫茫タル宇宙ニ、
此ノ道只ダ是レ一貫ス。
從リレ人
視レバレ之
ヲ、有
リ二中國一、有
リ二夷狄一。從
リレ天視
レバレ之
ヲ、無
ク二中國
一、無
シ二夷狄
一。中國
ニ有
レバ二秉彝ノ之
性一、夷狄
モ亦有
リ二秉彝
ノ之性
一。中國
ニ有
レバ二惻隱・
羞惡・
辭讓・
是非ノ之
情一、夷狄
モ亦有
リ二惻隱・羞惡・辭讓・是非
ノ之情
一。中國
ニ有
レバ二父子・
君臣・
夫婦・
長幼・
朋友ノ之
倫一、夷狄
モ亦有
リ二父子・君臣・夫婦・長幼・朋友
ノ之倫
一。天
寧クンゾ有タンヤ二厚薄・
愛憎ヲ於其
ノ間ニ一。
所-二以ナリ此
ノ道只
ダ是
レ一貫
スル一。
但ダ漢土古ノ聖人ノ、
發-二揮スル此ノ道
ヲ一者、
獨リ先ンジ、
又獨
リ精ナリ。
故ニ其
ノ言語・
文字、
足ル三以
テ興-二起スルニ人心ヲ一。
而レドモ其
ノ實ハ則チ道
ハ在リテ二於人心
ニ一、
非ズ三言語・文字
ノ之所
ニ二能ク盡ス一。
若シ謂ハヾ三道
ハ獨
リ在
リト二於漢土
ノ文字
ニ一、則
チ試ミニ思
ヘレ之ヲ。
六合ノ内ニ、
同文ノ之
域、
凡ソ有スルレ幾クヲ。
而モ猶ホ有
リ二治亂一。其
ノ餘横文ノ之
俗モ、
亦能ク性トシ二其
ノ性
ヲ一、無
クレ所
レ不
ルレ足ラ、
倫トシ二其
ノ倫
ヲ一、無
キヲレ所
レ不
ルレ具セ。以
テ養ヒ二其
ノ生ヲ一、以
テ送ル二其
ノ死
ヲ一。
然ラバ則チ道
豈ニ獨
リ在
ルノミナランヤ二於漢土
ノ文字ニ一已乎。天
果シテ有
リト二厚薄愛憎ノ之
殊ナル一云ハンヤ乎。
茫茫宇宙、此道只是一貫。從人視之、有中國、有夷狄。從天視之、無中國、無夷狄。中國有秉彝之性、夷狄亦有秉彝之性。中國有惻隱・羞惡・辭讓・是非之情、夷狄亦有惻隱・羞惡・辭讓・是非之情。中國有父子・君臣・夫婦・長幼・朋友之倫、夷狄亦有父子・君臣・夫婦・長幼・朋友之倫。天寧有厚薄・愛憎於其間。所以此道只是一貫。
但漢土古聖人、發揮此道者、獨先、又獨精。故其言語・文字、足以興起人心。而其實則道在於人心、非言語・文字之所能盡。若謂道獨在於漢土文字、則試思之。六合内、同文之域、凡有幾。而猶有治亂。其餘横文之俗、亦能性其性、無所不足、倫其倫、無所不具。以養其生、以送其死。然則道豈獨在於漢土文字已乎。天果有厚薄愛憎之殊云乎。
茫茫たる宇宙に、此の道只だ是れ一貫す。人より之を視れば、中國有り、夷狄有り。天より之を視れば、中國無く、夷狄無し。中國に秉彝の性有れば、夷狄も亦秉彝の性有り。中國に惻隱・羞惡・辭讓・是非の情有れば、夷狄も亦惻隱・羞惡・辭讓・是非の情有り。中國に父子・君臣・夫婦・長幼・朋友の倫有れば、夷狄も亦父子・君臣・夫婦・長幼・朋友の倫有り。天寧くんぞ厚薄・愛憎を其の間に有たんや。此の道只だ是れ一貫する所以なり。
但だ漢土古の聖人の、此の道を發揮する者、獨り先んじ、又獨り精なり。故に其の言語・文字、以て人心を興起するに足る。而れども其の實は則ち道は人心に在りて、言語・文字の能く盡す所に非ず。若し道は獨り漢土の文字に在りと謂はゞ、則ち試みに之を思へ。六合の内に、同文の域、凡そ幾くを有する。而も猶ほ治亂有り。其の餘横文の俗も、亦能く其の性を性とし、足らざる所無く、其の倫を倫とし、具せざる所無きを。以て其の生を養ひ、以て其の死を送る。然らば則ち道豈に獨り漢土の文字に在るのみならんや。天果して厚薄愛憎の殊なる有りと云はんや。
(
131)
聖人ハ安ンズレ死ニ。
賢人ハ分トスレ死
ヲ。
常人ハ畏ルレ死
ヲ。
聖人安死。賢人分死。常人畏死。
聖人は死に安んず。賢人は死を分とす。常人は死を畏る。
(
132)
賢者ハ臨ミレ歾スルニ、見
二理ノ當ニキヲ 一レ然ル、以
テ爲スレ分ト。
恥ヂテレ畏ルヽヲレ死
ヲ而
希フレ安ンズルヲレ死
ニ。
故ニ神氣不
レ亂レ、又有
リ二遺訓一、
足ル二以
テ聳ヤカスニ一レ聽ヲ。
而レドモ其ノ不
ルモレ及バ二聖人
ニ一、
亦在リ二於
此ニ一。聖人
平生ノ言動ハ、無
シ二一トシテ非ザル一レ訓ヘニ。
而レドモ臨
ミレ歾
スルニ未ダ三必ズシモ爲
サ二遺訓
ヲ一。
視ルコト二死生ヲ一、
眞ニ如ク二晝夜ノ一、無
ケレバナリレ所
レ着クルレ念ヲ。
賢者臨歾、見理當然、以爲分。恥畏死而希安死。故神氣不亂、又有遺訓、足以聳聽。而其不及聖人、亦在於此。聖人平生言動、無一非訓。而臨歾未必爲遺訓。視死生、眞如晝夜、無所着念。
賢者は歾するに臨み、理の當に然るべきを見、以て分と爲す。死を畏るゝを恥ぢて死に安んずるを希ふ。故に神氣亂れず、又遺訓有り、以て聽を聳やかすに足る。而れども其の聖人に及ばざるも、亦此に在り。聖人平生の言動は、一として訓へに非ざる無し。而れども歾するに臨み未だ必ずしも遺訓を爲さず。死生を視ること、眞に晝夜のごとく、念を着くる所無ければなり。
(
133)
堯・
舜・
文王、其
ノ所
ノレ遺ス典謨・
訓誥ハ、皆
可シ三以
テ爲ス二萬世ノ法ト一。
何ノ遺命カ如カンレ之ニ。
至ツテハ二於
成王ノ顧命・
曾子ノ善言ニ一、賢人
分上、
自ヅカラ當ニキノミ レ如クナルレ此クノ已。
因ツテ疑フ、
孔子ノ泰山ノ之
歌ハ、
後人假托シテ爲スカトレ之
ヲ。
檀弓ノ叵キハレ信ジ、多
シ二此
ノ類一。
欲シテレ尊バント二聖人
ヲ一、而
却ツテ爲ス二之ガ累ヲ一。
堯・舜・文王、其所遺典謨・訓誥、皆可以爲萬世法。何遺命如之。至於成王顧命・曾子善言、賢人分上、自當如此已。因疑、孔子泰山之歌、後人假托爲之。檀弓叵信、多此類。欲尊聖人、而却爲之累。
堯・舜・文王、其の遺す所の典謨・訓誥は、皆以て萬世の法と爲すべし。何の遺命か之に如かん。成王の顧命・曾子の善言に至つては、賢人分上、自づから當に此くのごとくなるべきのみ。因つて疑ふ、孔子の泰山の歌は、後人假托して之を爲すかと。檀弓の信じ叵きは、此の類多し。聖人を尊ばんと欲して、却つて之が累を爲す。
(
134)
常人ハ平素無クシテ二一善ノ可キ一レ稱ス、而
偶〻有
レドモ下及ビ二病篤キニ一、
自ラ知
リレ不
ルヲレ起タ、
遺囑不
レ亂レ、
如キ二賢者ノ之
爲スガ一者
上、
此ハ則チ臨ムレ死
ニ一節似タリレ可
キニレ取ル。
然レドモ一種死病ノ証候、
或ハ有
リレ致スコトレ然ルヲ。
是レ亦不
レ可
カラレ不
ルレ知
ラ。
常人平素無一善可稱、而偶有及病篤、自知不起、遺囑不亂、如賢者之爲者、此則臨死一節似可取。然一種死病証候、或有致然。是亦不可不知。
常人は平素一善の稱すべき無くして、偶〻病篤きに及び、自ら起たざるを知り、遺囑亂れず、賢者の爲すがごとき者有れども、此は則ち死に臨む一節取るべきに似たり。然れども一種死病の証候、或は然るを致すこと有り。是れ亦知らざるべからず。
(
135)
氣節ノ之
士、
貞烈ノ之
婦、其
ノ心
ニ有
リレ所
レ激スル、不
ルハ二敢ヘテ畏レ一レ死
ヲ、
分トスルレ死
ヲ者
ノ之
次ナリ也。
血氣ノ之
勇ノ輕ンジレ死
ヲ、
狂惑ノ之
夫ノ甘ンズルハレ死
ニ、
則チ下ル二於
畏ルヽレ死
ヲ者
ニ一。
又如キ二釋老ノ之
徒ノ一、
處スルニレ死
ニ頗ル有
リ二自得スルコト一。
然レドモ其
ノ學モ畢竟亦由リシテレ畏
ルヽレ死
ヲ而
來ル。
獨リ極大ノ老人、
生氣全ク盡キ、
溘然トシテ無
クシテレ病以テ終ル者
ハ、則
チ與二安ンズルレ死
ニ者
一無
キノミレ異ナル耳。
氣節之士、貞烈之婦、其心有所激、不敢畏死、分死者之次也。血氣之勇輕死、狂惑之夫甘死、則下於畏死者。又如釋老之徒、處死頗有自得。然其學畢竟亦由畏死而來。獨極大老人、生氣全盡、溘然無病以終者、則與安死者無異耳。
氣節の士、貞烈の婦、其の心に激する所有り、敢へて死を畏れざるは、死を分とする者の次なり。血氣の勇の死を輕んじ、狂惑の夫の死に甘んずるは、則ち死を畏るゝ者に下る。又釋老の徒のごとき、死に處するに頗る自得すること有り。然れども其の學も畢竟亦死を畏るゝよりして來る。獨り極大の老人、生氣全く盡き、溘然として病無くして以て終る者は、則ち死に安んずる者と異なる無きのみ。
(
136)
生物ハ皆畏ルレ死
ヲ。人
ハ其
ノ靈ナリ也。
當ニシ 下從リ二畏
ルヽレ死
ヲ之
中一、
揀ビ-中出ダス不
ルレ畏
レ之
理ヲ上。
吾思
フ、
我ガ身ハ天物ナリ也。
死生ノ之
權ハ在リレ天
ニ。當
ニシ 二順ヒテ受ク一レ之
ヲ。
我ノ之
生マルヽヤ也、
自然ニシテ而
生マル。生
マルヽ時
未ダ二嘗テ知
ラ一レ喜ブヲ矣。
則チ我
ノ之死
スルヤ也、
應ニシ 三亦自然
ニシテ而死
シ、死
スル時未
ダル 二嘗
テ知
ラ一レ悲
シムヲ也。天
生ジテレ之ヲ、而天
死セシムレ之
ヲ。
一ニ聽スルノミ二乎
天ニ一而已。吾
何ゾ畏レン焉。
吾ガ性ハ即チ天地ナリ也。
軀殻ハ則チ藏スルレ天
ヲ之
室ナリ也。
精氣ノ之
爲ルヤレ物ト也、天
寓シ二於
此ノ室
ニ一。
遊魂ノ之
爲スヤレ變
ヲ也、天
離ル二於此
ノ室
ヲ一。
死スル之
後ハ、
即チ生マルヽ之
前ニシテ、生
マルヽ之前
ハ、即
チ死
スル之後
ナリ。
而シテ吾
ガ性
ノ之
所-二以ノ爲ル一レ性
者ハ、
恒ニ在リ二於
死生ノ之
外ニ一。吾
何ヲカ畏レン焉。
夫レ晝夜ハ一理ニシテ、
幽明モ一理
ナリ。
原ネレ始メヲ反リレ終ハリニ、
知ル二死生ノ之
説ヲ一。
何ゾ其
ノ易簡ニシテ而
明白ナルヤ也。
吾人當ニシ 下以
テ二此
ノ理
ヲ一自省ス上焉。
生物皆畏死。人其靈也。當從畏死之中、揀出不畏之理。吾思、我身天物也。死生之權在天。當順受之。我之生也、自然而生。生時未嘗知喜矣。則我之死也、應亦自然而死、死時未嘗知悲也。天生之、而天死之。一聽乎天而已。吾何畏焉。
吾性即天地也。軀殻則藏天之室也。精氣之爲物也、天寓於此室。遊魂之爲變也、天離於此室。死之後、即生之前、生之前、即死之後。而吾性之所以爲性者、恒在於死生之外。吾何畏焉。夫晝夜一理、幽明一理。原始反終、知死生之説。何其易簡而明白也。吾人當以此理自省焉。
生物は皆死を畏る。人は其の靈なり。當に死を畏るゝ之中より、畏れざる之理を揀び出だすべし。吾思ふ、我が身は天物なり。死生の權は天に在り。當に順ひて之を受くべし。我の生まるゝや、自然にして生まる。生まるゝ時未だ嘗て喜ぶを知らず。則ち我の死するや、應に亦自然にして死し、死する時未だ嘗て悲しむを知らざるべし。天之を生じて、天之を死せしむ。一に天に聽するのみ。吾何ぞ畏れん。
吾が性は即ち天地なり。軀殻は則ち天を藏する之室なり。精氣の物と爲るや、天此の室に寓し、遊魂の變を爲すや、天此の室を離る。死する之後は、即ち生まるゝ之前にして、生まるゝ之前は、即ち死する之後なり。而して吾が性の性たる所以の者は、恒に死生の外に在り。吾何をか畏れん。夫れ晝夜は一理にして、幽明も一理なり。始めを原ね終はりに反り、死生の説を知る。何ぞ其の易簡にして明白なるや。吾人當に此の理を以て自省すべし。
(
137)
畏ルヽハレ死
ヲ者、
生マレテ後ノ之
情ナリ也。
有ツテ二軀殻一、
而ル後有
リ二是ノ情
一。不
ルハレ畏
レレ死
ヲ者
ハ、生
マルヽ前ノ之
性ナリ也。
離レテ二軀殻
ヲ一、而
始メテ見
ル二是
ノ性
ヲ一。人
ハ須ラクシ 三自-二得ス不
ルレ畏
レレ死
ヲ之
理ヲ於畏
ルヽレ死
ヲ之
中ニ一。
庶カラン二乎
復ルニ一レ性
ニ焉。
畏死者、生後之情也。有軀殻、而後有是情。不畏死者、生前之性也。離軀殻、而始見是性。人須自得不畏死之理於畏死之中。庶乎復性焉。
死を畏るゝは、生まれて後の情なり。軀殻有つて、而る後是の情有り。死を畏れざるは、生まるゝ前の性なり。軀殻を離れて、始めて是の性を見る。人は須らく死を畏れざる之理を死を畏るゝ之中に自得すべし。性に復るに庶からん。
(
138)
亡靈ノ現ズルコトレ形ヲ、
徃徃有
リレ之。
葢シ其
ノ人
於テ二未ダル レ死
セ之時
ニ一、
或ハ切ニ二思慕ニ一、或
ハ極メ二憤恨ヲ一、
氣既ニ凝結シテ遍クレ身ニ、身
雖モレ死
スト而
氣ノ之凝結
スル者不
レ散ゼ、
因ツテ或
ハ爲シレ祟リヲ爲
スレヲ。
然レドモ聚マル者
ハ無シ二不
ルレ散ゼ之
理一。
譬ヘバ猶ホシ 下冬月貯ヘ二水ヲ於
器ニ一、
凍沍シテ成シレ氷ヲ、器雖
モレ毀ルト而モ氷
尚ホ存セシガ、
終ニ亦不
ルガ上レ能ハレ不
ル二澌盡セ一。
亡靈現形、徃徃有之。葢其人於未死之時、或切思慕、或極憤恨、氣既凝結遍身、身雖死而氣之凝結者不散、因或爲祟爲氏B然聚者無不散之理。譬猶冬月貯水於器、凍沍成氷、器雖毀而氷尚存、終亦不能不澌盡。
亡靈の形を現ずること、徃徃之有り。葢し其の人未だ死せざる之時に於て、或は思慕に切に、或は憤恨を極め、氣既に凝結して身に遍く、身死すと雖も氣の凝結する者散ぜず、因つて或は祟りを爲し獅爲す。然れども聚まる者は散ぜざる之理無し。譬へば猶ほ冬月水を器に貯へ、凍沍して氷を成し、器毀ると雖も而も氷尚ほ存せしが、終に亦澌盡せざる能はざるがごとし。
(
139)
方リテハ二讀ムレ經ヲ時
ニ一、
須ラクシ 下把リテ二我
ガ所
ノレ遭フ人情・
事變ヲ一做ス中注脚ト上。
臨ミテハ二處スルレ事ヲ時
ニ一、
則チ須
ラクシ 下倒マニ把
リテ二聖賢ノ言語ヲ一做
ス中注脚
ト上。
庶カラン下乎
事理融會シ、
見-中得スルニ學問ノ不
ルレ離レ二日用ヲ一意思ヲ上。
方讀經時、須把我所遭人情・事變做注脚。臨處事時、則須倒把聖賢言語做注脚。庶乎事理融會、見得學問不離日用意思。
經を讀む時に方りては、須らく我が遭ふ所の人情・事變を把りて注脚と做すべし。事を處する時に臨みては、則ち須らく倒まに聖賢の言語を把りて注脚と做すべし。事理融會し、學問の日用を離れざる意思を見得するに庶からん。
(
140)
一部ノ歴史、皆
傳フレドモ二形迹ヲ一、而
情實ハ或ハ不
レ傳ヘ。
讀ムレ史ヲ者
ハ、
須ラクシ レ要ス下就キテ二形迹
ニ一以テ討ネ-中出ダスヲ情實
ヲ上。
一部歴史、皆傳形迹、而情實或不傳。讀史者、須要就形迹以討出情實。
一部の歴史、皆形迹を傳ふれども、情實は或は傳へず。史を讀む者は、須らく形迹に就きて以て情實を討ね出だすを要すべし。
(
141)
吾方リレ讀ムニレ書ヲ、
一タビ想ヘバ二古昔ノ聖賢・
豪傑ノ體魄皆
死セルヲ一、
則チ俯シテレ首ヲ感愴ス。一
タビ想
ヘバ二聖賢・豪傑
ノ精神尚ホ存スルヲ一、則
チ開キテレ眼ヲ憤興ス。
吾方讀書、一想古昔聖賢・豪傑體魄皆死、則俯首感愴。一想聖賢・豪傑精神尚存、則開眼憤興。
吾書を讀むに方り、一たび古昔の聖賢・豪傑の體魄皆死せるを想へば、則ち首を俯して感愴す。一たび聖賢・豪傑の精神尚ほ存するを想へば、則ち眼を開きて憤興す。
(
142)
古徃ノ歴史ハ、
是レ現世界ニシテ、
今來ノ世界
ハ、
是レ活歴史
ナリ。
古徃歴史、是現世界、今來世界、是活歴史。
古徃の歴史は、是れ現世界にして、今來の世界は、是れ活歴史なり。
(
143)
博聞強記ハ、
聰明ノ横ナリ也。
精義入神ハ、聰明
ノ豎ナリ也。
博聞強記、聰明横也。精義入神、聰明豎也。
博聞強記は、聰明の横なり。精義入神は、聰明の豎なり。
(
144)
有
リ二一耆宿一、好
ミレ讀ムヲレ書ヲ、
除ク二飲食ヲ一外、手
ニ不
レ釋カレ卷ヲ、以
テ至ル二於
老ニ一。人皆
稱ス二篤學ト一。以
テレ余ヲ視ルニレ之
ヲ、
恐ラクハ不
ランレ濟サレ事
ヲ。
渠レ其
ノ心
常常放カレテ在リテ二書
ノ上ニ一、不
三收メテ在
ラ二腔子ノ裏ニ一。人
ハ五官ノ之
用、
須ラクシ 二均齊ニ役ス一レ之
ヲ。
而ルヲ渠レハ精神
耑ラ注シ二於
目ニ一、目
偏ヘニ受
ケテ二其
ノ勞ヲ一、
而シテ精神
モ亦從ヒテ昏聵ス。
如キハレ此クノ則チ雖モ二能ク看ルト一レ書
ヲ、
而モ決シテ不
レ能ハ二深
ク造ツテ自得スルコト一。
便チ除ダ是レ放心ナルノミ。
且ツ如キ二孔門ノ之
ヘヘノ一、
自リレ終フルレ食ヲ、
至ルマデ二造次顛沛ニ一、不
二敢ヘテ違ハ一レ仁ニ。
試ミニ思
ヘ、渠
レ一生手
ニ不
トモレ釋
カレ卷、放心
スルコト如キハレ此
クノ、
能ク不
ヤレ違ハレ仁
ニ否ヤト。
有一耆宿、好讀書、除飲食外、手不釋卷、以至於老。人皆稱篤學。以余視之、恐不濟事。渠其心常常放在書上、不收在腔子裏。人五官之用、須均齊役之。而渠精神耑注於目、目偏受其勞、而精神亦從昏聵。如此則雖能看書、而決不能深造自得。便除是放心。且如孔門之ヘ、自終食、至造次顛沛、不敢違仁。試思、渠一生手不釋卷、放心如此、能不違仁否。
一耆宿有り、書を讀むを好み、飲食を除く外、手に卷を釋かず、以て老に至る。人皆篤學と稱す。余を以て之を視るに、恐らくは事を濟さざらん。渠れ其の心常常放かれて書の上に在りて、收めて腔子の裏に在らず。人は五官の用、須らく均齊に之を役すべし。而るを渠れは精神耑ら目に注し、目偏へに其の勞を受けて、而して精神も亦從ひて昏聵す。此くのごときは則ち能く書を看ると雖も、而も決して深く造つて自得すること能はず。便ち除だ是れ放心なるのみ。且つ孔門のヘへのごとき、食を終ふるより、造次顛沛に至るまで、敢へて仁に違はず。試みに思へ、渠れ一生手に卷釋かずとも、放心すること此くのごときは、能く仁に違はずや否やと。
(
145)
孔門ノゥ子、
或ハァァ如タリ、或
ハ行行如タリ、或
ハ侃侃如タリ。
氣象何等ノ剛直・
明快ゾ。
今ノ之
學者ハ、
終歳爲リ三故紙陳編ノ所
ト二驅役スル一、
神氣奄奄トシテ不
レ奮ハ、
養-二成ス一種衰颯ノ氣象
ヲ一。
與二孔門
ノゥ子
一霄壤ナリ。
孔門ゥ子、或ァァ如、或行行如、或侃侃如。氣象何等剛直・明快。今之學者、終歳爲故紙陳編所驅役、神氣奄奄不奮、養成一種衰颯氣象。與孔門ゥ子霄壤。
孔門のゥ子、或はァァ如たり、或は行行如たり、或は侃侃如たり。氣象何等の剛直・明快ぞ。今の學者は、終歳故紙陳編の驅役する所と爲り、神氣奄奄として奮はず、一種衰颯の氣象を養成す。孔門のゥ子と霄壤なり。
(
146)
伯魚趨リレ庭ヲ、
始メテ聞
ク二詩・
禮ヲ一。時
ニ年葢シ已ニ過グ二二十ヲ一。
古者ハ易ヘテレ子ヲ而
ヘフレバレ之ヲ、
則チ伯魚
ハ必
ズ既ニ從學セシナラン矣。
而ルニ趨庭ノ之
前、
未ダルハ レ聞
カ二詩・禮
ヲ一、所
ノレ學ブ者
何事ゾ。
陳亢モ亦喜
ベバ二於
問ヒテレ一ヲ得タルヲ一レ三ヲ、
則チ似タリ二前レ此ヨリ未ダルニ 一レ學
バ二詩・禮
ヲ一。
此等ノ處、
學者宜シクシ 二深
ク思
フ一レ之ヲ。
伯魚趨庭、始聞詩・禮。時年葢已過二十。古者易子而ヘ之、則伯魚必既從學矣。而趨庭之前、未聞詩・禮、所學者何事。陳亢亦喜於問一得三、則似前此未學詩・禮。此等處、學者宜深思之。
伯魚庭を趨り、始めて詩・禮を聞く。時に年葢し已に二十を過ぐ。古者は子を易へて之をヘふれば、則ち伯魚は必ず既に從學せしならん。而るに趨庭の前、未だ詩・禮を聞かざるは、學ぶ所の者何事ぞ。陳亢も亦一を問ひて三を得たるを喜べば、則ち此より前未だ詩・禮を學ばざるに似たり。此等の處、學者宜しく深く之を思ふべし。
(
147)
取ルハ二信ヲ於
人ニ一難シ也。人不
シテレ信
ゼ二於
口ヲ一、而信
ジ二於
躬ヲ一、不
シテレ信
ゼ二於躬
ヲ一、而信
ズ二於
心ヲ一。
是ヲ以テ難
シ。
取信於人難也。人不信於口、而信於躬、不信於躬、而信於心。是以難。
信を人に取るは難し。人口を信ぜずして、躬を信じ、躬を信ぜずして、心を信ず。是を以て難し。
(
148)
臨時ノ之
信ハ、
累ネ二功ヲ於
平日ニ一、平日
ノ之信
ハ、
收ム二功
ヲ於臨時
ニ一。
臨時之信、累功於平日、平日之信、收功於臨時。
臨時の信は、功を平日に累ね、平日の信は、功を臨時に收む。
(
149)
信孚メバ二於
上下ニ一、
天下ニ無
シ二甚ダシクハ難キレ處シ事
一。
信孚於上下、天下無甚難處事。
信上下に孚めば、天下に甚だしくは處し難き事無し。
(
150)
責ムルハレ善ヲ朋友ノ之
道ナリ也。
只ダ須ラクシ 二懇到切至以テ告グ一レ之
ニ。不
ンバレ然ラ、
徒ラニ資シテ二口舌ニ一以
テ博ス二責善ノ之
名ヲ一。
渠レ不
二以
テ爲サ一レコト、
却ツテ以
テ爲
スレ仇ト。無
シレ益也。
責善朋友之道也。只須懇到切至以告之。不然、徒資口舌以博責善之名。渠不以爲コ、却以爲仇。無益也。
善を責むるは朋友の道なり。只だ須らく懇到切至以て之に告ぐべし。然らずんば、徒らに口舌に資して以て責善の名を博す。渠れ以てコと爲さず、却つて以て仇と爲す。益無し。
(本文はtaiju生作「漢文エディタ」原文よりHTMLに変換したものである。原文は後日利用の便を考えて、このファイルに含めてある。又、上下のコラムを連動させるスクリプトも入っている。)