言志録 (佐藤一齋) (3) 101−150/245章
 

言志録げんしろく

101)  ことわざいはわざはヒハしもコルトわれおも亡國ばうこくげんナリ也。不カラ使人主じんしゆヲシテ-しんおよヒハリシテかみ而起コルいへどヅル於下、而またいた成湯せいたうこういはなんぢ萬方ばんぱうルハつみリトわれ一人いちにん人主じんしゆまさシト かんがミルげん
諺云、禍自下起。余謂、是亡國之言也。不可使人主誤信之。凡禍皆自上而起。雖其出於下者、而亦必有所致。成湯之誥曰、爾萬方有罪在予一人。爲人主者、當監此言。
諺に云く、禍ひは下より起こると。余謂ふ、是れ亡國の言なり。人主をして之を誤信せしむべからず。凡そ禍ひは皆上よりして起こる。其の下に出づる者と雖も、亦必ず致す所有り。成湯の誥に曰く、爾萬方の罪有るは予一人に在りと。人主たる者は、當に此の言に監みるべしと。

102)  せいとゞムレバじふいちすなは井田せいでんナリ也。經界けいかいレバみだリニセ、則井田ナリ也。深たがやをさくさぎレバ、則井田ナリ也。百姓ひやくせい親睦しんぼくスレバ、則井田ナリ也。なんかならズシモこう-こう-トシテ方里はうり九區きうくしかのちサンヤ井田哉。
征止十一、則井田也。經界不慢、則井田也。深耕易耨、則井田也。百姓親睦、則井田也。何必抅抅乎方里九區、然後爲井田哉。
征十が一に止むれば、則ち井田なり。經界慢りにせざれば、則ち井田なり。深く耕し易め耨れば、則ち井田なり。百姓親睦すれば、則ち井田なり。何ぞ必ずしも方里九區に抅抅乎として、然る後井田と爲さんや。

103)  夏后氏かこうしヨリ而來このかた人君じんくんつた矣。よゝニスルナリろく也。人君すでみづかニシテしか使ムル人臣じんしんヲシテひと一レニスルヲすなはランヤまたわたくしスルモノ乎。ゆゑ世禄せいろくほふ天下てんかおほやけナリ也。
夏后氏而來、人君皆傳於子矣。是世其禄也。人君既自世其禄、而使人臣獨不得世其禄者、斯不亦爲自私乎。故世禄之法、天下之公也。
夏后氏より而來、人君皆子に傳ふ。是れ其の禄を世にするなり。人君既に自ら其の禄を世にして、而も人臣をして獨り禄を其の世にするを得ざらしむる者は、斯ち亦自ら私するものたらざらんや。故に世禄の法は、天下の公なり。

104)  天下事物じぶつ、有理勢りせいルヲしか學人がくじんあるいすなはしりぞケテ人事じんじもくスルニテス無用むようこと、天下無ケレバ無用之物、則また無用之事。其ケテ無用者、いづクンゾランヤルヲ一レ大有用だいいうよう乎。
一概いちがい無用スレバ、則しやうズル萬物ばんぶついつなんぞ無用ナルモノノおほキヤ也。有タラざい草木さうもく、有カララフ禽獸きんじう蟲魚ちゆうぎよ。天はたシテツテなんようしようズルほとンドあら情量じやうりやう一レおよえきいはかざルトひげ。須また
天下事物、有理勢不得不然者。學人或輙斥人事、目以無用。殊不知、天下無無用之物、則亦無無用之事。其斥以爲無用者、安知其不爲大有用者乎。
若輙一概以無用目之、則天之生萬物、一何無用之多也。有不中材之草木、有不可食之禽獸蟲魚。天果有何用而生之。殆非情量所及。易曰、賁其須。須亦將何用。
天下の事物は、理勢の然らざるを得ざる者有り。學人或は輙ち人事を斥けて、目するに無用を以てす。殊に知らず、天下無用の物無ければ、則ち亦無用の事無し。其の斥けて以て無用と爲す者、安くんぞ其の大有用の者たらざるを知らんや。
若し輙ち一概に無用を以て之を目すれば、則ち天の萬物を生ずる、一に何ぞ無用なるものの多きや。材に中たらざる之草木有り、食らふべからざる之禽獸蟲魚有り。天果して何の用有つて之を生ずる。殆んど情量の及ぶ所に非ず。易に曰く、其の須を賁ると。須も亦將た何の用ぞ。

105)  およ年間ねんかん人事じんじ萬端ばんたんかぞきたレバ十中じつちゆうしち無用ナリ平世へいせい、心ケレバスルすなはかんきよシテスモ不善ふぜんまたすくなカラ。今つら貴賤きせん男女だんぢよおほむレテ無用纏綿てんめん驅役くえき、以わたレバ、則ねんおよ不善ふぜん者、あるいカラン矣。これ亦其ようアルところナリけだ治安ちあん世界ニハルモルヲしかまた理勢りせいナリ也。
凡年間人事萬端、算來十中七無用。但人處平世、心無所寄、則闍鐘ィ不善亦不少。今連貴賤男女、率爲無用纏綿驅役、以渉日、則念及不善者、或少矣。此亦其用處。葢治安世界不得不然、亦理勢也。
凡そ年間の人事萬端、算へ來れば十中の七は無用なり。但だ人の平世に處る、心の寄する所無ければ、則ち闍盾オて不善を爲すも亦少からず。今貴賤男女を連ね、率ね無用に纏綿驅役せられて、以て日を渉れば、則ち念の不善に及ぶ者、或は少からん。此も亦其の用ある處なり。葢し治安の世界には然らざるを得ざるも、亦理勢なり。

106
ほつセバラントせいぜんナルヲすべかラク きはあく之所一レ。人之爲スハはたシテなんメゾヤ也。あらズヤメニスルニ耳目じもく鼻口びこう四肢しし乎。ツテ耳目しかのちおぼ聲色せいしよく、有ツテ鼻口ふけ臭味しうみ、有ツテ四肢ほしいまゝニス安逸あんいつ。皆あく之所ナリツテコル也。
メバ軀殻くかくヲシテ耳目鼻口ツテ一塊いつくわい血肉けつにくすなははたシテなんアランヤあく邪。またメバせいヲシテだつ軀殻くかく、則性果シテルヤおもいななん こゝろミニひとタビおも一レこれ
欲知性之善、須先究爲惡之所由。人之爲惡果何爲也。非爲耳目・鼻口・四肢乎。有耳目而後溺於聲色、有鼻口而後耽於臭味、有四肢而後縱於安逸。皆惡之所由起也。
設令軀殻去耳目鼻口、打做一塊血肉、則此人果何所爲惡邪。又令性脱軀殻、則此性果有爲惡之想否。盍試一思之。
性の善なるを知らんと欲せば、須らく先づ惡を爲す之由る所を究むべし。人の惡を爲すは果して何の爲めぞや。耳目・鼻口・四肢の爲めにするに非ずや。耳目有つて而る後に聲色に溺れ、鼻口有つて而る後に臭味に耽り、四肢有つて而る後に安逸を縱にす。皆惡の由つて起こる所なり。
設し軀殻をして耳目鼻口を去り、打つて一塊の血肉と做さしめば、則ち此の人果して何の惡を爲す所あらんや。又性をして軀殻を脱せしめば、則ち此の性果して惡を爲す之想ひ有るや否や。盍ぞ試みに一たび之を思はざる。

107)  せいこれ軀殻くかく。天純粹じゆんすゐニシテかたち。無ケレバすなはつうすなはいつナルノミぜん而已。地駁雜ばくざつニシテ形。有レバ形則とどこほゆゑ善惡ぜんあく。地てんこうものごとコシ風雨ふううしやうズルガ萬物ばんぶつレナリ也。又有リテカとき乎風雨やぶレバ、則善惡矣。其ナル、亦あらしんルニ一レ惡、リテルニ過不及くわふきふしか。性之善軀殻之兼ヌル善惡、亦ごとクノ
性稟ゥ天、軀殻受ゥ地。天純粹無形。無形則通。乃一於善而已。地駁雜有形。有形則滯。故兼善惡。地本能承乎天以成功者、如起風雨以生萬物、是也。又有時乎風雨壞物、則兼善惡矣。其所謂惡者、亦非眞有惡、由有過不及而然。性之善與軀殻之兼善惡、亦如此。
性はゥを天に稟け、軀殻はゥを地に受く。天は純粹にして形無し。形無ければ則ち通ず。乃ち善に一なるのみ。地は駁雜にして形有り。形有れば則ち滯る。故に善惡を兼ぬ。地は本と能く天に承け以て功を成す者、風雨を起こし以て萬物を生ずるがごとき、是れなり。又時有りてか風雨物を壞れば、則ち善惡を兼ぬ。其の謂は所る惡なる者も、亦眞に惡有るに非ず、過不及有るによりて然り。性の善と軀殻の善惡を兼ぬると、亦此くのごとし。

108)  せいいへどぜんナリト、而無ケレバ軀殻くかく、不あたおこなフコト。軀殻まうクルおもむキテ使役しえきナリ也。形者とゞこほレバ、則すでケテ乎心、又ツテルニ過不及くわふきふながあく孟子まうしいはかたちいろトハ天性てんせいナリ也。聖人せいじんノミしかのちシト一レ。可、軀殻キヲ不善ふぜん
性雖善、而無軀殻、不能行其善。軀殻之設、本趨心之使役以爲善者也。但其有形者滯、則既承乎心以爲善、又由有過不及而流於惡。孟子云、形色天性也。惟聖人然後可以踐形。可見、軀殻亦本無不善。
性は善なりと雖も、軀殻無ければ、其の善を行ふこと能はず。軀殻の設くる、本と心の使役に趨きて以て善を爲す者なり。但だ其の形有る者滯れば、則ち既に心に承けて以て善を爲し、又過不及有るに由つて惡に流る。孟子云く、形と色とは天性なり。惟だ聖人のみ然る後以て形を踐むべしと。見るべし、軀殻も亦本と不善無きを。

109)  人あたキコトよく。欲あく。天すであたフルニもつテシテせいぜんナルしかまたにごスニ、以テスあくナル。天なん使ヲシテはじメヨリカラ一レ欲。欲はたシテなんようアリヤ也。
われおもよくナル人身じんしん生氣せいきニシテ膏脂こうし精液せいえき之所ナリあふルヽ也。有ツテこれしやう、無クシテ此而死。人身欲氣よくきよもツテ九竅きうけう毛孔まうこう漏出ろうしゆつツテ使軀殻くかくヲシテさかんナラねがヒヲゆゑ-ナリながルヽあく也。
およ生物せいぶつあたキコト欲。聖人もちヰルノミ善處ぜんしよ耳。孟子まうしいはキヲほつこれフト孔子こうししたがフト一レほつスルしゆんメヨトわれヲシテヒテスルニをさ。皆キテ善處
人不能無欲。欲能爲惡。天既賦人、以性之善者、而又必溷之、以欲之惡者。天何不使人初無欲。欲果何用也。
余謂、欲者、人身之生氣、膏脂精液之所蒸也。有此而生、無此而死。人身欲氣四暢、由九竅毛孔而漏出。因使軀殻熾其願。所以流於惡也。
凡生物不能無欲。唯聖人用其欲於善處耳。孟子曰、可欲之謂善。孔子曰、從心所欲。舜曰、俾予從欲以治。皆就善處言之。
人は欲無きこと能はず。欲は能く惡を爲す。天既に人に賦ふるに、性の善なる者を以てして、而も又必ず之を溷すに、欲の惡なる者を以てす。天何ぞ人をして初めより欲無からしめざる。欲果して何の用ありや。
余謂ふ、欲なる者は、人身の生氣にして、膏脂精液の蒸るゝ所なり。此有つて生じ、此無くして死す。人身の欲氣は四に暢び、九竅毛孔に由つて漏出す。因つて軀殻をして其の願ひを熾ならしむ。惡に流るゝ所以なり。
凡そ生物は欲無きこと能はず。唯だ聖人其の欲を善處に用ゐるのみ。孟子曰く、欲すべきを之善と謂ふと。孔子曰く、心の欲する所に從ふと。舜曰く、予をして欲するに從ひて以て治めしめよと。皆善處に就きて之を言ふ。

110)  人身じんしん生氣せいきすなは地氣ちきせいナリ也。ゆゑ生物せいぶつ欲。善惡ぜんあく。故また善惡
人身之生氣、乃地氣之精也。故生物必有欲。地兼善惡。故欲亦有善惡。
人身の生氣は、乃ち地氣の精なり。故に生物は必ず欲有り。地は善惡を兼ぬ。故に欲も亦善惡有り。

111)  草木さうもくリテ生氣せいき、而ひゞ暢茂ちやうもスルモよくナリ也。したがヘバ枝葉しえふ之所一レちやうズルすなはゆゑレバ枝葉、則生氣かへツテ、而みきすなはだいナリごとキモまたヘバ軀殻くかく之欲、則欲漏。欲漏ルレバ、則しんかう、不あたれいナルコト也。故ふさゲバそと、則生氣たくはヘテうち、而心すなはれいすこやカナリ矣。
草木之有生氣、而日暢茂、是其欲也。從其枝葉之所長、則欲漏。故伐其枝葉、則生氣反於根、而幹乃大。如人亦從軀殻之欲、則欲漏。欲漏、則神耗、不能靈也。故窒欲於外、則生氣畜於内、而心乃靈、身亦健矣。
草木の生氣有りて、日に暢茂するも、是れ其の欲なり。其の枝葉の長ずる所に從へば、則ち欲漏る。故に其の枝葉を伐れば、則ち生氣根に反つて、幹乃ち大なり。人のごときも亦軀殻の欲に從へば、則ち欲漏る。欲漏るれば、則ち神耗し、靈なること能はず。故に欲を外に窒げば、則ち生氣内に畜へて、心乃ち靈に、身も亦健かなり。

112)  鍋内くわないじようシテ烟氣えんきルレバそとすなはげん。以ふたふさゲバ、則氣不あたルヽコトくわシテつゆ滴下てつか、湯すなは。人ふさゲバ、則心身しん〳〵ならビニルモやしなヒヲまたごとクノ
鍋内之湯、蒸成烟氣。氣漏於外、則湯減。以蓋塞之、則氣不能漏、化露滴下、湯乃不減。人能窒欲、則心身並得其養、亦如此。
鍋内の湯、蒸して烟氣を成す。氣外に漏るれば、則ち湯減ず。蓋を以て之を塞げば、則ち氣漏るゝこと能はず、露と化して滴下し、湯乃ち減ぜず。人能く欲を窒げば、則ち心身並びに其の養ひを得るも、亦此くのごとし。

113)  近代きんだいしやうスルニ孝子かうしたま金帛きんぱく粟米ぞくべいあらはおいテハふう-れいスル頽俗たいぞくすなはタリ矣。スルニまさキヲ もとづこれ孝子こゝろ。孝子之心あいスルおやほか、無他念たねん。其艱苦かんくスラあまンジテいはンヤヘテもとメンヤ乎。ゆゑ金帛・粟米たまものよろシク あつクシテ於其おや、而うすクス
けだあらうすキニゆゑ-あつクスル於其すなは-ナリクスル於其也。しやうスルいは庭訓ていきんリトもとゐ。賞スル之辭したがフト庭訓ごとケレバクノ、則孝子素願そぐわんレリ矣。
近代賞孝子、賜金帛・粟米以旌之。於風勵頽俗之意、則得矣。但其賞之、當原ゥ孝子之心爲可。孝子之心、愛親之外、無他念。其身之艱苦、且甘受之。況敢求名乎。故金帛・粟米之賜、宜厚於其親、而薄於其子。
葢非薄於其子。所以厚於其親者、即所以厚於其子也。賞親之辭曰、庭訓有素。賞子之辭曰、能從庭訓。如此、則孝子之素願足矣。
近代孝子を賞するに、金帛・粟米を賜ひ以て之を旌す。頽俗を風勵する之意に於ては、則ち得たり。但だ其の之を賞するに、當にゥを孝子の心に原くべきを可と爲す。孝子の心は、親を愛する之外、他念無し。其の身の艱苦すら、且つ甘んじて之を受く。況んや敢へて名を求めんや。故に金帛・粟米の賜は、宜しく其の親に厚くして、其の子に薄くすべし。
葢し其の子に薄きに非ず。其の親に厚くする所以の者は、即ち其の子に厚くする所以なり。親を賞する之辭に曰く、庭訓素有りと。子を賞する之辭に曰く、能く庭訓に從ふと。此くのごとければ、則ち孝子の素願足れり。

114)  孝名かうめいあらハルヽハ、必レバナリ貧窶ひんく艱難かんなん疾病しつぺい變故へんこすなはおよ孝名おほむ不幸ふかうナルナリ也。今いたづラニあつたまウテ孝子かうししかレバおよおや、則おい孝子ちかトシテ之不幸しやうもとムルニ也。おそラクハランやすカラしようスルハぜんまさ もとヅク父兄ふけいごとケレバクノ、則シテひとすゝムルノミナラ孝弟かうてい、而あはセテ慈友じいう一擧いつきよシテりやう-とくスト
孝名之著、必由於貧窶・艱難・疾病・變故。則凡有孝名者、率不幸人也。今若徒厚賜於孝子、而不及於親、則於爲孝子者、幾乎資其家之不幸以博賞徼名也。其心恐有所不安。且凡稱人之善、當必本其父兄。如此、則不獨勸其孝弟、而并以勸其慈友。可謂一擧而兩得之。
孝名の著はるゝは、必ず貧窶・艱難・疾病・變故に由ればなり。則ち凡そ孝名有る者は、率ね不幸なる人なり。今若し徒らに厚く孝子に賜うて、而も親に及ばざれば、則ち孝子たる者に於て、其の家の不幸を資として以て賞を博り名を徼むるに幾し。其の心恐らくは安からざる所有らん。且つ凡そ人の善を稱するは、當に必ず其の父兄に本づくべし。此くのごとければ、則ち獨り其の孝弟を勸むるのみならずして、并せて以て其の慈友を勸む。一擧して之を兩得すと謂ふべし。

115)  古今ここんしゆん大孝たいかう。舜もとヨリ大孝ナリ矣。しかレドモわれメニねがしようスルヲ。舜はたシテリシカ孝子歟。クニルヲ、必まさ竦然しようぜんトシテ惴懼ずゐく、不ラントダニ-じゆスルノミナラ砭刺へんし
けだ孝名かうめいツテ瞽瞍こそう不慈ふじあらハル使メバ瞽瞍ヲシテ慈父じふすなはかう泯然びんぜんトシテカランあともとヨリナリねが也。すなはルガしかルヲゆゑ、舜憂苦いうく百端ひやくたんシテよこしまメニかくサントシテおのれむしルモ不孝ふかうそしリヲしか使之不慈暴白ばうはく
しかしかうシテ天下後世こうせいろんすでさだマリシテシテ古今ここん第一等だいいつとう孝子かうし、而もくシテ瞽瞍古今第一等不慈之孝名不レバカラ磨滅まめつ、則瞽瞍之不慈またカラ磨滅使メバヲシテ一レ、必ラン痛苦つうくゆゑいは、爲メニスルヲ
古今以舜爲大孝人。舜固大孝矣。然余爲舜不願稱此名。舜果爲孝子歟。聞其有此名、必將竦然惴懼、不翅膚受砭刺。
葢舜之孝名、由瞽瞍之不慈而顯。使瞽瞍爲慈父、則舜之孝亦泯然無迹。此固其所願也。乃不得然故、舜只憂苦百端、負罪引慝、爲父隱之思、己寧得不孝之謗、而不使親之不慈暴白。
然而天下後世論已定、推舜以爲古今第一等孝子、而目瞽瞍以爲古今第一等不慈。夫舜之孝名不可磨滅、則瞽瞍之不慈亦不可磨滅。使舜知之、必有不勝痛苦者。故曰、爲舜不願稱此名。
古今舜を以て大孝の人と爲す。舜は固より大孝なり。然れども余は舜の爲めに此の名を稱するを願はず。舜は果して孝子たりしか。其の此の名有るを聞くに、必ず將に竦然として惴懼し、翅だに砭刺を膚受するのみならざらんとす。
葢し舜の孝名は、瞽瞍の不慈に由つて顯はる。瞽瞍をして慈父たらしめば、則ち舜の孝も亦泯然として迹無からん。此れ固より其の願ふ所なり。乃ち然るを得ざるが故に、舜は只だ憂苦百端して、罪を負ひ慝を引き、父の爲めに之を隱さんとして思ふ、己寧ろ不孝の謗りを得るも、而も親の不慈を暴白せしめじと。
然り而して天下後世の論已に定まり、舜を推して以て古今第一等の孝子と爲して、瞽瞍を目して以て古今第一等の不慈と爲す。夫れ舜の孝名磨滅すべからざれば、則ち瞽瞍の不慈も亦磨滅すべからず。舜をして之を知らしめば、必ず痛苦に勝へざる者有らん。故に曰く、舜の爲めに此の名を稱するを願はずと。

116)  上古じやうことき、無人君じんくん、無百官ひやつくわん有司いうし。人おの〳〵ちからせいほとンド禽獸きんじうひとシキノミ耳。あた之時つよキハしのよわキヲおほキハそこなすくなキヲ、有グルヲ。其かんレバ才コさいとくヅルしゆう、則こゝろトシテタリうつたフルニテシじやう宰斷さいだんおいこゝキテメニ-かい。強者・衆者、くつシテちよく、而ふく於其、不ヘテ陵暴れうぼ、弱者・寡者、ツテタリグルヲ
ごとクノやうやつひいた群然ぐんぜんトシテフルニ。不あたみづかいきほルヲきよ-ぜつおいこゝしゆうあひシテいはカリセバうれコランなん おの〳〵ダシテ衣食いしよくきふ使ヲシテカラらうすなはメニがへんゼントもつぱにんズルヲ一レ衆議しゆうぎすなはとゝのもつレヲふたゝ才コさいとくアル者、はたシテだくすなは君長くんちやうはじメニシテしかシテ貢賦こうふ之所ナリツテコル也。
ごとクノもの彼此ひしこれ、其かん又有ラバ才コおほいたく-ゑつスルしゆうつぎナル亦皆きたツテケリめい焉。シテ、以第一等だいいつとう才コこれ第一等地位ちゐすなは億兆おくてう君師くんしレナリ也。孟子まうし邱民きうみん、而ルノ天子てんし、亦これるゐ
上古之時、無人君、無百官有司。人各食其力以爲生。殆與禽獸等耳。當是之時、強陵弱、衆暴寡、有不得遂其生者。其間有才コ出於衆者、則人心有來控以情、請宰斷者。於是徃而爲理解之。強者・衆者、屈於其直、而服於其義、不敢復陵暴、弱者・寡者、因以得遂其生。
如此者漸多、遂至於群然來控。不能自食其力、勢不得不距絶之。於是衆必相議曰、微是人、患復作。盍各出衣食以給之、使是人無復食力之勞。則必能爲我肯專任之。衆議乃諧、以是再請。才コ者、果諾之。是則君長之始、而貢賦之所由起也。
如是者、彼此有之、其間又有才コ大卓越乎衆者、次者亦皆來聽命焉。推而上之、以第一等才コ者置ゥ第一等地位。乃億兆之君師是也。孟子所謂得乎邱民、而爲天子意、亦與此類。
上古の時、人君無く、百官有司無し。人各其の力に食み以て生を爲す。殆んど禽獸と等しきのみ。是の時に當り、強きは弱きを陵ぎ、衆きは寡きを暴ひ、其の生を遂ぐるを得ざる者有り。其の間才コの衆に出づる者有れば、則ち人心として來たり控ふるに情を以てし、宰斷を請ふ者有り。是に於て徃きて爲めに之を理解す。強き者・衆き者、其の直に屈して、其の義に服し、敢へて復た陵暴せず、弱き者・寡き者、因つて以て其の生を遂ぐるを得たり。
此くのごとき者漸く多く、遂に群然として來り控ふるに至る。自ら其の力に食む能はず、勢ひ之を距絶せざるを得ず。是に於て衆必ず相議して曰く、是の人微かりせば、患へ復た作こらん。盍ぞ各衣食を出だして以て之に給し、是の人をして復た力に食む之勞無からしめざる。則ち必ず能く我が爲めに專ら之に任ずるを肯ぜんと。衆議乃ち諧ひ、是れを以て再び請ふ。才コある者、果して之を諾す。是れ則ち君長の始めにして、而して貢賦の由つて起こる所なり。
是くのごとき者、彼此之有り、其の間又才コの大に衆に卓越する者有らば、次なる者も亦皆來つて命を聽けり。推して之を上げ、第一等の才コの者を以てゥを第一等の地位に置く。乃ち億兆の君師は是れなり。孟子の謂はゆる邱民に得て、天子と爲るの意も、亦此と類す。

117)  ほつスルハラント世間せけん第一等人物、其こゝろざしせうナラ矣。われすなはナリト也。世間生民せいみんいへどおほシトしかすうかぎ事恐ラクハあらがたキニごとキハ前古ぜんこすでスル之人、則いく-まん-ばいセンいま。其うち聖人せいじん賢人けんじん英雄えいゆう豪傑がうけつ、不カラゲテかぞ。我今日こんにちいまレバ 、則ごとキモやゝ出頭しゆつとう、而明日めいじつすなはセバすなはたちまラン古人こじん籙中ろくちゆうおいこゝもつ一レシタルくらブレバこれ古人、無カランくらブルニすうすなは矣。ゆゑ志者、えうスルニまさ 古今第一等人物みづか焉。
欲爲世間第一等人物、其志不小矣。余則以爲猶小也。世間生民雖衆、而數有限。茲事恐非難濟。如前古已死之人、則幾萬倍於今。其中聖人・賢人・英雄・豪傑、不可勝數。我今日未死、則似稍出頭人、而明日即死、輙忽入於古人籙中。於是以我所爲、校ゥ古人、無足比數者。是則可愧矣。故有志者、要當以古今第一等人物自期焉。
世間第一等の人物たらんと欲するは、其の志小ならず。余は則ち以て猶ほ小なりと爲す。世間に生民衆しと雖も、而も數限り有り。茲の事恐らくは濟し難きに非ず。前古已に死する之人のごときは、則ち今に幾萬倍せん。其の中聖人・賢人・英雄・豪傑、勝げて數ふべからず。我今日未だ死せざれば、則ち稍出頭の人の似きも、明日即ち死せば、輙ち忽ち古人の籙中に入らん。是に於て我が爲したる所を以て、ゥを古人に校ぶれば、數を比ぶるに足る者無からん。是れ則ち愧づべし。故に志有る者、要するに當に古今第一等の人物を以て自ら期すべし。

118)  まさ たのおのれ動天どうてん驚地きやうち極大きよくだい事業またすべいつおのれ締造ていざう
士當恃在己者。動天驚地極大事業、亦キ自一己締造。
士は當に己に在る者を恃むべし。動天驚地の極大事業も、亦キて一の己より締造す。

119)  うしなヘバおのれすなは。喪ヘバ、斯
喪己、斯喪人。喪人、斯喪物。
己を喪へば、斯ち人を喪ふ。人を喪へば、斯ち物を喪ふ。

120)  たつと獨立どくりつ自信じしん矣。ほのほねん、不カラコス
士貴於獨立自信矣。依熱附炎之念、不可起。
士は獨立自信を貴ぶ。熱に依り炎に附く之念、起こすべからず。

121)  有本然ほんぜん眞己しんこ、有軀殻くかく假己かこすべかラク えうみづかみとルヲ
有本然之眞己、有軀殻之假己。須要自認得。
本然の眞己有り、軀殻の假己有り。須らく自ら認め得るを要すべし。

122)  人タリ少壯せうそう、不惜陰せきいんいへどルトいたシムニギテ四十しじふ已後ゐごはじメテ惜陰すで之時、精力せいりよくやうやこうゆゑスニビヲすべかラク えうおよンデ立志りつし勉勵べんれいスルヲしからザレバすなは百悔ひやくくわいスルモまたつひuえき
人方少壯時、不知惜陰。雖知不至太惜。過四十已後、始知惜陰。既知之時、精力漸耗。故人爲學、須要及時立志勉勵。不則百悔亦竟無u。
人少壯の時に方たり、惜陰を知らず。知ると雖も太だ惜しむに至らず。四十を過ぎて已後、始めて惜陰を知る。既に知る之時、精力漸く耗す。故に人の學びを爲すに、須らく時に及んで立志勉勵するを要すべし。不ざれば則ち百悔するも亦竟にu無し。

123)  雲烟うんえんあつマリ於不ルニムヲ風雨ふうう於不ルニムヲ雷霆らいていふる於不ルニムヲすなは至誠しせい作用さよう
雲烟聚於不得已、風雨洩於不得已、雷霆震於不得已。斯可以觀至誠之作用。
雲烟は已むを得ざるに聚まり、風雨は已むを得ざるに洩れ、雷霆は已むを得ざるに震ふ。斯ち以て至誠の作用を觀るべし。

124)  うごケバ於不カラいきほヒニすなはケドモ而不ふさガラメバ於不カラみち、則メドモ而不あやふカラ
動於不可已之勢、則動而不括。履於不可枉之途、則履而不危。
已むべからざる之勢ひに動けば、則ち動けども括がらず。枉ぐべからざる之途を履めば、則ち履めども危からず。

125)  周官しうくわん食醫しよくいつかさど飲食いんしよく。飲食ラクキノミ なぞらヘテ常用じやうよう藥餌やくじ耳。いとせいナルヲくわいトハほそキヲすなは製法せいほふ謹嚴きんげん意思いしナリ。食エテくさうをあざレテ而肉くさリタルヲラハ、色シキヲラハにほヒノシキヲトハラハ、即藥品やくひん精良せいりやう意思ナリ。肉いへどおほシト使まさ食氣しき、即君臣佐使くんしんさし分量ぶんりやう意思ナリ
周官有食醫、掌飲食。飲食須視爲常用藥餌耳。食不厭精、膾不厭細、即是製法謹嚴意思。食饐而餲、魚鯘而肉敗不食、色惡不食、臭惡不食、即是藥品精良意思。肉雖多不使勝食氣、即是君臣佐使分量意思。
周官に食醫有り、飲食を掌る。飲食は須らく視へて常用の藥餌と爲すべきのみ。食は精なるを厭はず、膾は細きを厭はずとは、即ち是れ製法謹嚴の意思なり。食饐えて餲り、魚鯘れて肉敗りたるを食らはず、色の惡しきを食らはず、臭ひの惡しきを食らはずとは、即ち是れ藥品精良の意思なり。肉多しと雖も食氣に勝らしめず、即ち是れ君臣佐使分量の意思なり。

126)  聖人せいじんごと強健きやうけんニシテやまひ賢人けんじん攝生せつせいシテつゝし常人じやうじん虚羸きよるゐニシテおほ病人
聖人如強健無病人、賢人如攝生愼病人、常人如虚羸多病人。
聖人は強健にして病無き人のごとく、賢人は攝生して病を愼む人のごとく、常人は虚羸にして病多き人のごとし。

127)  つね、不おぼいたミヲこゝろまたミヲ
身恒病者、不覺其痛。心恒病者、亦不覺其痛。
身恒に病む者は、其の痛みを覺えず。心恒に病む者も、亦其の痛みを覺えず。

128)  じゆ雨天うてんナリ也。テバすなは。不レバ沾濡てんじゆ。〔需古文こぶんつく〓雨/天丙子へいし正月しやうぐわつろく。〕
需、雨天也。待則霽。不待則沾濡。〔需、古文作〓{雨/天}。丙子正月録。〕
需は、雨天なり。待てば則ち霽る。待たざれば則ち沾濡す。〔需は、古文〓に作る。丙子正月録す。〕 (1)〓{雨/天}

129)  急迫きふはくスレバやぶこと寧耐ねいたいスレバ
急迫敗事。寧耐成事。
急迫すれば事を敗る。寧耐すれば事を成す。

130)  茫茫ばう〳〵タル宇宙うちうみちこれ一貫いつくわんレバ、有中國ちゆうごく、有夷狄いてき。從天視レバ、無中國、無夷狄。中國レバ秉彝へいいせい、夷狄また秉彝之性。中國レバ惻隱そくいん羞惡しうお辭讓じじやう是非ぜひこゝろ、夷狄亦有惻隱・羞惡・辭讓・是非之情。中國レバ父子ふし君臣くんしん夫婦ふうふ長幼ちやうえう朋友ほういうりん、夷狄亦有父子・君臣・夫婦・長幼・朋友之倫。天いづクンゾたもタンヤ厚薄こうはく愛憎あいぞう於其かんゆゑ-ナリ道只一貫スル
漢土かんどいにしへ聖人せいじんはつ-スル者、ひとさきンジまたせいナリゆゑ言語げんぎよ文字もんじこう-スルニ人心じんしんしかレドモじつすなはリテ於人心あら言語・文字之所つくハヾリト於漢土文字、則こゝろミニこれ六合りくがふうち同文どうぶんゐきおよいうスルいくばクヲしか治亂ちらん。其横文わうぶんぞくまたせいトシ、無りんトシ、無キヲ。以やしなせい、以おくしかラバすなはルノミナランヤ於漢土文字もんじ已乎。天はたシテリト厚薄こうはく愛憎あいぞうことナルハンヤ乎。
茫茫宇宙、此道只是一貫。從人視之、有中國、有夷狄。從天視之、無中國、無夷狄。中國有秉彝之性、夷狄亦有秉彝之性。中國有惻隱・羞惡・辭讓・是非之情、夷狄亦有惻隱・羞惡・辭讓・是非之情。中國有父子・君臣・夫婦・長幼・朋友之倫、夷狄亦有父子・君臣・夫婦・長幼・朋友之倫。天寧有厚薄・愛憎於其間。所以此道只是一貫。
但漢土古聖人、發揮此道者、獨先、又獨精。故其言語・文字、足以興起人心。而其實則道在於人心、非言語・文字之所能盡。若謂道獨在於漢土文字、則試思之。六合内、同文之域、凡有幾。而猶有治亂。其餘横文之俗、亦能性其性、無所不足、倫其倫、無所不具。以養其生、以送其死。然則道豈獨在於漢土文字已乎。天果有厚薄愛憎之殊云乎。
茫茫たる宇宙に、此の道只だ是れ一貫す。人より之を視れば、中國有り、夷狄有り。天より之を視れば、中國無く、夷狄無し。中國に秉彝の性有れば、夷狄も亦秉彝の性有り。中國に惻隱・羞惡・辭讓・是非の情有れば、夷狄も亦惻隱・羞惡・辭讓・是非の情有り。中國に父子・君臣・夫婦・長幼・朋友の倫有れば、夷狄も亦父子・君臣・夫婦・長幼・朋友の倫有り。天寧くんぞ厚薄・愛憎を其の間に有たんや。此の道只だ是れ一貫する所以なり。
但だ漢土古の聖人の、此の道を發揮する者、獨り先んじ、又獨り精なり。故に其の言語・文字、以て人心を興起するに足る。而れども其の實は則ち道は人心に在りて、言語・文字の能く盡す所に非ず。若し道は獨り漢土の文字に在りと謂はゞ、則ち試みに之を思へ。六合の内に、同文の域、凡そ幾くを有する。而も猶ほ治亂有り。其の餘横文の俗も、亦能く其の性を性とし、足らざる所無く、其の倫を倫とし、具せざる所無きを。以て其の生を養ひ、以て其の死を送る。然らば則ち道豈に獨り漢土の文字に在るのみならんや。天果して厚薄愛憎の殊なる有りと云はんや。

131)  聖人せいじんやすンズ賢人けんじんぶんトス常人じやうじんおそ
聖人安死。賢人分死。常人畏死。
聖人は死に安んず。賢人は死を分とす。常人は死を畏る。

132)  賢者けんじやのぞぼつスルニ、見まさキヲ 一レしか、以ぶんヂテおそルヽヲこひねがやすンズルヲゆゑ神氣しんきみだ、又有遺訓ゐくんそびヤカスニ一レちやうしかレドモルモおよ聖人またこゝ。聖人平生へいぜい言動げんどう、無いつトシテあらザル一レをしヘニしかレドモスルニいまかならズシモ遺訓ルコト死生しせいまことごと晝夜ちうや、無ケレバナリクルねん
賢者臨歾、見理當然、以爲分。恥畏死而希安死。故神氣不亂、又有遺訓、足以聳聽。而其不及聖人、亦在於此。聖人平生言動、無一非訓。而臨歾未必爲遺訓。視死生、眞如晝夜、無所着念。
賢者は歾するに臨み、理の當に然るべきを見、以て分と爲す。死を畏るゝを恥ぢて死に安んずるを希ふ。故に神氣亂れず、又遺訓有り、以て聽を聳やかすに足る。而れども其の聖人に及ばざるも、亦此に在り。聖人平生の言動は、一として訓へに非ざる無し。而れども歾するに臨み未だ必ずしも遺訓を爲さず。死生を視ること、眞に晝夜のごとく、念を着くる所無ければなり。

133)  げうしゆん文王ぶんわう、其のこ典謨てんぼ訓誥くんこう、皆萬世ばんせいほふなん遺命ゐめいカンこれいたツテハ成王せいわう顧命こめい曾子そうし善言ぜんげん、賢人分上ぶんじやうおのヅカラまさキノミ ごとクナルクノ已。ツテうたが孔子こうし泰山たいざんうた後人こうじん假托かたくシテスカト檀弓だんぐうがたキハしん、多たぐひほつシテたつとバント聖人、而かへツテこれるゐ
堯・舜・文王、其所遺典謨・訓誥、皆可以爲萬世法。何遺命如之。至於成王顧命・曾子善言、賢人分上、自當如此已。因疑、孔子泰山之歌、後人假托爲之。檀弓叵信、多此類。欲尊聖人、而却爲之累。
堯・舜・文王、其の遺す所の典謨・訓誥は、皆以て萬世の法と爲すべし。何の遺命か之に如かん。成王の顧命・曾子の善言に至つては、賢人分上、自づから當に此くのごとくなるべきのみ。因つて疑ふ、孔子の泰山の歌は、後人假托して之を爲すかと。檀弓の信じ叵きは、此の類多し。聖人を尊ばんと欲して、却つて之が累を爲す。

134)  常人じやうじん平素へいそクシテ一善いちぜん一レしよう、而たま〳〵レドモおよやまひあつキニみづかルヲ遺囑ゐしよくみだごと賢者けんじやスガこれすなはのぞ一節いつせつタリキニしかレドモ一種いつしゆ死病しびやう証候しようこうあるいいたスコトしかルヲまたカラ
常人平素無一善可稱、而偶有及病篤、自知不起、遺囑不亂、如賢者之爲者、此則臨死一節似可取。然一種死病証候、或有致然。是亦不可不知。
常人は平素一善の稱すべき無くして、偶病篤きに及び、自ら起たざるを知り、遺囑亂れず、賢者の爲すがごとき者有れども、此は則ち死に臨む一節取るべきに似たり。然れども一種死病の証候、或は然るを致すこと有り。是れ亦知らざるべからず。

135)  氣節きせつ貞烈ていれつ、其げきスル、不ルハヘテおそ一レぶんトスルつぎナリ也。血氣けつきゆうかろンジ狂惑きやうわくあまンズルハすなはくだおそルヽまたごと釋老しやくらうしよスルニすこぶ自得じとくスルコトしかレドモがく畢竟ひつきやうまたリシテルヽきたひと極大きよくだい老人らうじん生氣せいきまつた溘然かふぜんトシテクシテやまひもつをは、則やすンズルキノミことナル耳。
氣節之士、貞烈之婦、其心有所激、不敢畏死、分死者之次也。血氣之勇輕死、狂惑之夫甘死、則下於畏死者。又如釋老之徒、處死頗有自得。然其學畢竟亦由畏死而來。獨極大老人、生氣全盡、溘然無病以終者、則與安死者無異耳。
氣節の士、貞烈の婦、其の心に激する所有り、敢へて死を畏れざるは、死を分とする者の次なり。血氣の勇の死を輕んじ、狂惑の夫の死に甘んずるは、則ち死を畏るゝ者に下る。又釋老の徒のごとき、死に處するに頗る自得すること有り。然れども其の學も畢竟亦死を畏るゝよりして來る。獨り極大の老人、生氣全く盡き、溘然として病無くして以て終る者は、則ち死に安んずる者と異なる無きのみ。

136)  生物せいぶつみなおそ。人れいナリ也。まさ ルヽうちえら-ダスわれ天物てんぶつナリ也。死生しせいけん。當 したがヒテ一レわれマルヽヤ也、自然しぜんニシテマル。生マルヽいまかつ一レよろこブヲ矣。すなは之死スルヤ也、まさ また自然ニシテ而死、死スル時未 一レシムヲ也。天しやうジテこれ、而天セシムいつまかスルノミてん而已。吾なんおそレン焉。
せいすなは天地てんちナリ也。軀殻くかくすなはざうスルしつナリ也。精氣せいきルヤもの也、天ぐう遊魂いうこんスヤ也、天はな於此スルのちすなはマルヽさきニシテ、生マルヽ之前、即スル之後ナリしかシテゆゑ-一レものつね死生しせいほか。吾なにヲカおそレン焉。晝夜ちうや一理いちりニシテ幽明いうめい一理ナリたづはじメヲかへハリニ死生しせいせつなん易簡いかんニシテ明白めいはくナルヤ也。吾人ごじんまさ 自省じせい焉。
生物皆畏死。人其靈也。當從畏死之中、揀出不畏之理。吾思、我身天物也。死生之權在天。當順受之。我之生也、自然而生。生時未嘗知喜矣。則我之死也、應亦自然而死、死時未嘗知悲也。天生之、而天死之。一聽乎天而已。吾何畏焉。
吾性即天地也。軀殻則藏天之室也。精氣之爲物也、天寓於此室。遊魂之爲變也、天離於此室。死之後、即生之前、生之前、即死之後。而吾性之所以爲性者、恒在於死生之外。吾何畏焉。夫晝夜一理、幽明一理。原始反終、知死生之説。何其易簡而明白也。吾人當以此理自省焉。
生物は皆死を畏る。人は其の靈なり。當に死を畏るゝ之中より、畏れざる之理を揀び出だすべし。吾思ふ、我が身は天物なり。死生の權は天に在り。當に順ひて之を受くべし。我の生まるゝや、自然にして生まる。生まるゝ時未だ嘗て喜ぶを知らず。則ち我の死するや、應に亦自然にして死し、死する時未だ嘗て悲しむを知らざるべし。天之を生じて、天之を死せしむ。一に天に聽するのみ。吾何ぞ畏れん。
吾が性は即ち天地なり。軀殻は則ち天を藏する之室なり。精氣の物と爲るや、天此の室に寓し、遊魂の變を爲すや、天此の室を離る。死する之後は、即ち生まるゝ之前にして、生まるゝ之前は、即ち死する之後なり。而して吾が性の性たる所以の者は、恒に死生の外に在り。吾何をか畏れん。夫れ晝夜は一理にして、幽明も一理なり。始めを原ね終はりに反り、死生の説を知る。何ぞ其の易簡にして明白なるや。吾人當に此の理を以て自省すべし。

137)  おそルヽハ者、うまマレテのちじやうナリ也。ツテ軀殻くかくしかのち。不ルハ、生マルヽさきせいナリ也。はなレテ軀殻、而はじメテ。人すべかラク -とく於畏ルヽうちちかカランかへルニ一レ焉。
畏死者、生後之情也。有軀殻、而後有是情。不畏死者、生前之性也。離軀殻、而始見是性。人須自得不畏死之理於畏死之中。庶乎復性焉。
死を畏るゝは、生まれて後の情なり。軀殻有つて、而る後是の情有り。死を畏れざるは、生まるゝ前の性なり。軀殻を離れて、始めて是の性を見る。人は須らく死を畏れざる之理を死を畏るゝ之中に自得すべし。性に復るに庶からん。

138)  亡靈ばうれいげんズルコトかたち徃徃わう〳〵これけだおいいま 之時あるいせつ思慕しぼ、或きは憤恨ふんこんすで凝結ぎようけつシテあまね、身いへどスト之凝結スルものさんツテたゝリヲれいしかレドモあつマルさんたとヘバ 冬月とうげつたくはみづ凍沍とうごシテこほり、器雖やぶルトしかそんセシガつひまたルガあた澌盡しじん
亡靈現形、徃徃有之。葢其人於未死之時、或切思慕、或極憤恨、氣既凝結遍身、身雖死而氣之凝結者不散、因或爲祟爲氏B然聚者無不散之理。譬猶冬月貯水於器、凍沍成氷、器雖毀而氷尚存、終亦不能不澌盡。
亡靈の形を現ずること、徃徃之有り。葢し其の人未だ死せざる之時に於て、或は思慕に切に、或は憤恨を極め、氣既に凝結して身に遍く、身死すと雖も氣の凝結する者散ぜず、因つて或は祟りを爲し獅爲す。然れども聚まる者は散ぜざる之理無し。譬へば猶ほ冬月水を器に貯へ、凍沍して氷を成し、器毀ると雖も而も氷尚ほ存せしが、終に亦澌盡せざる能はざるがごとし。

139)  あたリテハけいすべかラク リテ人情にんじやう事變じへん注脚ちゆうきやくのぞミテハしよスルことすなはラク さかしマニリテ聖賢せいけん言語げんぎよ注脚ちかカラン事理じり融會ゆうくわいけん-とくスルニ學問がくもんはな日用にちよう意思いし
方讀經時、須把我所遭人情・事變做注脚。臨處事時、則須倒把聖賢言語做注脚。庶乎事理融會、見得學問不離日用意思。
經を讀む時に方りては、須らく我が遭ふ所の人情・事變を把りて注脚と做すべし。事を處する時に臨みては、則ち須らく倒まに聖賢の言語を把りて注脚と做すべし。事理融會し、學問の日用を離れざる意思を見得するに庶からん。

140)  一部いちぶ歴史れきし、皆つたフレドモ形迹けいせき、而情實じやうじつあるいつたすべかラク えうキテ形迹もつたづ-ダスヲ情實
一部歴史、皆傳形迹、而情實或不傳。讀史者、須要就形迹以討出情實。
一部の歴史、皆形迹を傳ふれども、情實は或は傳へず。史を讀む者は、須らく形迹に就きて以て情實を討ね出だすを要すべし。

141)  われあたムニしよひとタビおもヘバ古昔こせき聖賢せいけん豪傑がうけつ體魄たいはくセルヲすなはシテかうべ感愴かんそう。一タビヘバ聖賢・豪傑精神せいしんそんスルヲ、則ひらキテまなこ憤興ふんこう
吾方讀書、一想古昔聖賢・豪傑體魄皆死、則俯首感愴。一想聖賢・豪傑精神尚存、則開眼憤興。
吾書を讀むに方り、一たび古昔の聖賢・豪傑の體魄皆死せるを想へば、則ち首を俯して感愴す。一たび聖賢・豪傑の精神尚ほ存するを想へば、則ち眼を開きて憤興す。

142)  古徃こわう歴史れきし現世界げんせかいニシテ今來きんらい世界くわつ歴史ナリ
古徃歴史、是現世界、今來世界、是活歴史。
古徃の歴史は、是れ現世界にして、今來の世界は、是れ活歴史なり。

143)  博聞はくぶん強記きやうき聰明そうめいよこナリ也。精義せいぎ入神にふしん、聰明たてナリ也。
博聞強記、聰明横也。精義入神、聰明豎也。
博聞強記は、聰明の横なり。精義入神は、聰明の豎なり。

144)  有一耆宿いちきしゆく、好ムヲしよのぞ飲食いんしよくほか、手まき、以いたらう。人皆しよう篤學とくがく。以われルニおそラクハラン常常つね〴〵すておカレテリテうへ、不をさメテ腔子かうしうち。人五官ごくわんようすべかラク 均齊きんせいえき一レしかルヲレハ精神もつぱちゆう、目ひとヘニケテらうしかシテ精神またしたがヒテ昏聵こんくわいごとキハクノすなはいへどルト一レしかけつシテあたいたツテ自得じとくスルコト便すなは放心はうしんナルノミごと孔門こうもんをしヘノフルしよくいたルマデ造次ざうじ顛沛てんぱい、不ヘテたが一レじんこゝろミニ、渠一生いつしやうトモ卷、放心スルコトごとキハクノたがいなヤト
有一耆宿、好讀書、除飲食外、手不釋卷、以至於老。人皆稱篤學。以余視之、恐不濟事。渠其心常常放在書上、不收在腔子裏。人五官之用、須均齊役之。而渠精神耑注於目、目偏受其勞、而精神亦從昏聵。如此則雖能看書、而決不能深造自得。便除是放心。且如孔門之ヘ、自終食、至造次顛沛、不敢違仁。試思、渠一生手不釋卷、放心如此、能不違仁否。
一耆宿有り、書を讀むを好み、飲食を除く外、手に卷を釋かず、以て老に至る。人皆篤學と稱す。余を以て之を視るに、恐らくは事を濟さざらん。渠れ其の心常常放かれて書の上に在りて、收めて腔子の裏に在らず。人は五官の用、須らく均齊に之を役すべし。而るを渠れは精神耑ら目に注し、目偏へに其の勞を受けて、而して精神も亦從ひて昏聵す。此くのごときは則ち能く書を看ると雖も、而も決して深く造つて自得すること能はず。便ち除だ是れ放心なるのみ。且つ孔門のヘへのごとき、食を終ふるより、造次顛沛に至るまで、敢へて仁に違はず。試みに思へ、渠れ一生手に卷釋かずとも、放心すること此くのごときは、能く仁に違はずや否やと。

145)  孔門こうもんゥ子しよしあるいァァ如ぎん〳〵じよタリ、或行行如かう〳〵じよタリ、或侃侃如かん〳〵じよタリ氣象きしやう何等なんら剛直ごうちよく明快めいくわいいま學者がくしや終歳しゆうさい故紙こし陳編ちんぺん驅役くえきスル神氣しんき奄奄えん〳〵トシテふるやう-せい一種いつしゆ衰颯すゐさつ氣象孔門ゥ子霄壤せうじやうナリ
孔門ゥ子、或ァァ如、或行行如、或侃侃如。氣象何等剛直・明快。今之學者、終歳爲故紙陳編所驅役、神氣奄奄不奮、養成一種衰颯氣象。與孔門ゥ子霄壤。
孔門のゥ子、或はァァ如たり、或は行行如たり、或は侃侃如たり。氣象何等の剛直・明快ぞ。今の學者は、終歳故紙陳編の驅役する所と爲り、神氣奄奄として奮はず、一種衰颯の氣象を養成す。孔門のゥ子と霄壤なり。

146)  伯魚はくぎよはしにははじメテれい。時としけだすで二十にじふ古者いにしへヘテをしフレバこれすなは伯魚すで從學じゆうがくセシナラン矣。しかルニ趨庭すうていさきいまルハ 詩・禮、所まな何事なにごと陳亢ちんこうまたベバヒテいつタルヲ一レさんすなはタリさきこれヨリいまルニ 一レ詩・禮此等これらところ學者がくしやよろシク 一レこれ
伯魚趨庭、始聞詩・禮。時年葢已過二十。古者易子而ヘ之、則伯魚必既從學矣。而趨庭之前、未聞詩・禮、所學者何事。陳亢亦喜於問一得三、則似前此未學詩・禮。此等處、學者宜深思之。
伯魚庭を趨り、始めて詩・禮を聞く。時に年葢し已に二十を過ぐ。古者は子を易へて之をヘふれば、則ち伯魚は必ず既に從學せしならん。而るに趨庭の前、未だ詩・禮を聞かざるは、學ぶ所の者何事ぞ。陳亢も亦一を問ひて三を得たるを喜べば、則ち此より前未だ詩・禮を學ばざるに似たり。此等の處、學者宜しく深く之を思ふべし。

147)  ルハしんひとかた也。人不シテくち、而信、不シテ於躬、而信こゝろこゝもつ
取信於人難也。人不信於口、而信於躬、不信於躬、而信於心。是以難。
信を人に取るは難し。人口を信ぜずして、躬を信じ、躬を信ぜずして、心を信ず。是を以て難し。

148)  臨時りんじしんかさこう平日へいじつ、平日之信をさ於臨時
臨時之信、累功於平日、平日之信、收功於臨時。
臨時の信は、功を平日に累ね、平日の信は、功を臨時に收む。

149)  しんはぐゝメバ上下しやうか天下てんかはなはダシクハがたしよ
信孚於上下、天下無甚難處事。
信上下に孚めば、天下に甚だしくは處し難き事無し。

150)  ムルハぜん朋友ほういうみちナリ也。すべかラク 懇到こんたう切至せつしもつ一レ。不ンバしかいたづラニシテ口舌くぜつはく責善せきぜん一レとくかへツテあだ。無えき也。
責善朋友之道也。只須懇到切至以告之。不然、徒資口舌以博責善之名。渠不以爲コ、却以爲仇。無益也。
善を責むるは朋友の道なり。只だ須らく懇到切至以て之に告ぐべし。然らずんば、徒らに口舌に資して以て責善の名を博す。渠れ以てコと爲さず、却つて以て仇と爲す。益無し。
101
○ 成湯之誥−「其爾萬方有罪、在予一人。予一人有罪、無以爾萬方。」(『書経』商書「湯誥」)
○ 監みる−鑑みる。照らし見る。

102
○ 征−税(音セイ)と同じ。音通。
○ 井田−殷周の田制。一里四方を九区画に分け、中央の一区(百畝)を公田としたと伝える。
○ 經界−区切り、境界。
○ 易む−治む。
○ 抅抅乎−こだわるさま。

103
○ 夏后氏−禹。
○ 世にす−世襲する。
○ 私す−私物化する。
○ 世禄−世襲の俸禄。
○ 公−公共の制度。

104
○ 理勢−自然の成り行き。「不得不然者」とは、理屈では理解できない物事が存在することをいう。それが「無用之物」でもある。
○ 學人−学問のある人。
○ 目以無用−無用視する。
○ 無無用之物、則亦無無用之事−「無用之物」の存在が必然であるごとく、「無用之事」にもそれの成り立つだけの道理が存在することをいう。それが「理勢」である。
○ 一に何ぞ−なんとまあ。
○ 情量−思量。思い巡らすこと。
○ 賁其須−『易経』賁卦。鬚は自然の飾りである意。

105
○ 平世−治まった世。
○ 闍鐘ィ不善−「君子必慎其独也、小人閑居為不善。」(『大学』)
○ 纏綿−つきまとう。
○ 其用處−「無用之用」が働いている場所。

107
○ 通・滯−流れて止まることのないものと止まって動かないもの。
○ 成功−その働きを仕上げること。

108
○ 趨心之使役−心の命令に従う。
○ 形色天性也…−『孟子』(尽心上)の語。「踐む」は践み行う。形体の制限を十分に使いこなす意。

109
○ 九竅−九穴。目耳鼻口両便口。(『周礼』天官「疾醫」)
○ 可欲之謂善−こうありたい、こうしたいと思われるものを善と呼ぶ。(『孟子』尽心下)
○ 從心所欲−「七十而從心所欲、不踰矩。」(『論語』爲政篇)
○ 俾予從欲以治−自分の欲するとおりに政治を行わせてほしい。(『書経』虞書「大禹謨」)

110
○ 前章までの要約。長詩に対する反辞や乱のようなものか。

111
○ 耗す−消耗する。

113
○ 近代−近ごろ。
○ 金帛粟米−金銭・絹布・米穀。
○ 旌す−顕彰する。
○ 風勵−風氏B教え励ます。訓導する。
○ 頽俗−流俗。(頽廃に流れやすい)一般の風俗。
○ 原く−基礎を据える。
○ 且つ−〜でさえ、〜ですら(やはり)。
○ 庭訓−家庭の教え。
○ 素−素地。基礎。

114
○ 貧窶−貧苦。
○ 徼む−待ち構えて求める。
○ 慈友−慈しみ睦まじくすること。

115
○ 竦然−ぞっとする。
○ 惴懼−心に怖れる。
○ 膚受−膚に受ける。
○ 砭刺−石針を刺すこと。
○ 不慈−子を慈しむ心の無いこと。不孝の対。
○ 泯然−跡方も無いさま。
○ 百端−ありとあらゆること。
○ 引慝−邪悪の名を引き受ける。
○ 暴白−あばく。白日の下に曝す。
○ 然り而して−それなのに、ところが。
○ 勝へず−持ち堪えることができない。

116
○ 暴−残害する、損なう。
○ 遂其生−生を全うする。
○ 控−訴える、告げる。控訴。
○ 宰斷−裁断。切り分けて決を下す。
○ 理解−道理を以て解きほぐす。
○ 微−もしもいなかったら。
○ 盍−どうして〜しないのか(〜しようではないか)。
○ 肯ず−承知する、聴き入れる。
○ 君長−君主。
○ 貢賦−租税。
○ 彼此−かれこれ。あちらこちら。
○ 聽命焉−「焉」は「これ」と訓ませるつもりだったか。
○ 君師−政治と教化を兼ね備えた指導者。
○ 得乎邱民、而爲天子−田舎の一介の庶民でも、その才徳によって天子となる意(『孟子』尽心下)
117
○ 生民−人民。ヒト。
○ 濟す−成し遂げる。
○ 前古−昔、往古。
○ 不可勝數−数え切れない。「数ふるに勝ふべからず。」とも訓む。
○ 出頭人−他より優れている者。
○ 輙ち−すぐさま、たやすく。「その度ごとに」の意で使うことも多い。
○ 籙−文書。ここは鬼籍、点鬼簿をいう。
○ 校ぶ−比較する。「校異」「対校」等の熟語がある。
○ 比數−匹敵の意に近いか。
○ 期す−「きス」「ごス」。目標とする、目論む。

118
○ 士−士人。
○ 動天驚地−驚天動地に同じ。世人を驚愕させる出来事。
○ 締造−作り上げる。

120
○ 依熱附炎−権力者に媚びること。趨炎附熱。

121
○ 認得−「眞己」を見出だすこと。

122
○ 及時−まだ間に合ううちに。「及ぶ」は時の経過に追いつく意。
○ 不−不者に同じ。「しからざれば」「しからずんば」と訓む。

123
○ 雷霆−いかずち(雷鳴)。
○ 至誠−「至誠而不動者、未之有也。不誠、未有能動者也。」(『孟子』離婁上)、「誠者天之道也 誠之者人之道也。」(『中庸』)
124
○ 動而不括−動いても行き詰まることがない。「括」は「塞」の意という。「君子藏器於身、待時而動、何不利之有。動而不括、是以出而有獲、語成器而動者也。」(『易経』繋辞下)この章は前章の続き。
○ 履む−履み行う。実践する。

125
○ 周官−『周礼』を指す。「天官冢宰」部に「食醫」の項あり。
○ 視爲−看做す、喩える。
○ 食−飲食は音「シヨク」、食物は音「シ」。
○ 食不厭精−以下、『論語』郷党篇の引用が重なる。
○ 意思−意味。
○ 藥品精良−薬は「製法謹嚴」で「精良」の藥草を用いるという漢方の教えを『論語』解釈に援用したか。
○ 君臣佐使−漢方薬の分類の語。役割を分けて配合する。

(126
○ 虚羸−虚弱。「虚」も「弱い」意。

128
○ 需−『易経』「需」卦。「需」には「待つ」「求める」等の意がある。
○ 沾濡−濡れる。
○ 丙子−文化一三年(1816)。一斎四五歳。

129
○ 寧耐−落ち着いて我慢する。

130
○ 茫茫−果てしないさま。
○ 夷狄−野蛮人。中華に対する。華夷思想に従えば、日本も東夷に属することになる。
○ 秉彝−人が天の常道を遵守すること。「天生烝民、有物有則。 民之秉彝、好是懿コ。」(『詩経』大雅・蕩之什「烝民」)
○ 惻隱−心痛すること。怵タ(ぢゆってき)惻隠と連ねる。「人皆有不忍人之心者、(略)皆有怵タ惻隠之心。(略)無惻隱之心者、非人也。」(『孟子』公孫丑上)また、惻隠・羞悪・辞譲・是非の心を仁義礼智に趨く端緒であるとしてえ、孟子はこれらを四端(したん)と呼んだ。
○ 羞惡−自分の悪を羞じ、人の不善を悪(にく)むこと。日本人の「恥」に相当する。「惡」は「憎む」また「恥」の意では音「オ」。
○ 辭讓−人に譲ること。
○ 是非−善悪正邪をわきまえること。
○ 倫−人倫に同じ。ともがら、人間関係の秩序、人として践み行うべき道理。父子以下の関係又は教えを五倫と呼ぶ。「父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信。」(『孟子』滕文公上)
○ 興起−奮い起こす。
○ 六合−天地、世界。天地と東西南北をまとめて呼ぶ。
○ 同文−使用する文字が同じであること。
○ 横文−横文字。蟹行文。「横文之俗」で西洋の風俗の意。
○ 殊なり−異なる、区別する。

132
○ 歾す−歿す。
○ 聳聽−人に傾聴させる。耳目を聳動させる。

133
○ 典謨・訓誥−『書経』堯典・舜典・大禹謨・伊訓・湯誥等の先賢の教え。
○ 遺命−先王の遺訓。
○ 顧命−『書経』周書「顧命」。
○ 善言−「鳥之將死、其鳴也哀。人之將死、其言也善。」(『論語』泰伯篇)
○ 分上−分を弁えた上のもの。
○ 泰山歌−「太山壞乎、梁柱摧乎、哲人萎乎。」(『史記』孔子世家)
○ 檀弓−『礼記』檀弓上下に記録された孔子の言動。
○ 叵信−叵(音「ハ」)は可を逆さにして「不可」の意味を表した指事文字。「無し・難し」の意。
○ 爲累−禍を及ぼす、迷惑となる。

134
○ 遺囑−後事を託すこと。
○ 証候−徴候。病気の症状。

135
○ 氣節之士−気概・節操ある人士。
○ 甘んずる−良しとして満足する。ここは、短慮で行動する、容易に行動する意。
○ 釋老之徒−仏教・道教の信者。儒学の現実主義と対立する思想的立場を代表する。
○ 自得−自ら悟って振る舞うところ。達観したようなところ。
○ 畢竟−とどのつまり。
○ 溘然−突然、ぽっくりと。

136
○ 靈−霊長。最も優れた存在。
○ 揀び出だす−善い物を選り抜く。
○ 自然−偶然。
○ 應に−おそらく、きっと。
○ 聽す−任せる。
○ 吾性之所以爲性者−自分というものの本性を成り立たせる根本のもの。
○ 幽明−死生に同じ。
○ 原始反終−「原始反終、故知死生之説。」(『易経』繋辞上)始めを遡っていけば、終わりに戻る。これが死生の理屈である。

137
○ 復性−本来の性に帰ること。「古之真人、不知説生、不知惡死。(略)不忘其所始、不求其所終。受而喜之、忘而復之。是之謂不以心捐道、不以人助天。是之謂真人。」(『荘子』大宗師)

138
○ 氏|悪鬼、疫病。
○ 凍沍−凍りつく。
○ 澌盡−尽きる、消え果てる。

139
○ 注脚−訓詁・注脚等、原文を解釈した説明。「訓・注・釈」等は分かりやすく解きほぐす意がある。注は本文中に割り入れ、脚は本文下部に書き入れたものという。この章では、経験に照らして経文を理解し、経文に照らして物事に対処することを指す。
○ 倒まに−前文とは逆に、の意。剰語か。
○ 融會−一つにとけ合う。
○ 日用−日常的用途、ふだん使うもの。講座学問でなく、日常実践に役立つ学問という意。

140
○ 一部−一揃い、ひとまとまり。
○ 情實−事の真相。
○ 討出−探し求める、調べ上げる。

141
○ 體魄−肉体。
○ 首を俯す−うなだれる。
○ 感愴−悲しみ悼む。
○ 憤興−発奮する。意気を奮い起こす。

142
○ 古徃−過ぎ去った昔。
○ 今來−音「コンライ・キンライ」。漢音に従った。「古往今来」で「昔から今まで」の意味だが、ここでは「これからやって来る、近未来の」の意。
○ 活歴史−目の当たりにする活きた歴史。

143
○ 横−横に延びる(幅広い)一面。
○ 精義入神−本義を極め尽くすこと。「精義入神、以致用也。」(『易経』繋辞下)
○ 豎−竪の本字。縦に延びる(奥に深まる)一面。

144
○ 耆宿−老大家。宿老。
○ 手不釋卷−書物を手から放さない。
○ 濟事−何事かを成就する。
○ 腔子−腹中。
○ 五官−耳目鼻口膚。
○ 耑−専。
○ 昏聵−ぼんやりとする、働きが鈍い。
○ 造る−行く、進む、至る。造詣。
○ 除−原本では「たゞ」と訓ませている。
○ 終食−「終食之間」はわずかな時間の意。「君子無終食之間違仁。造次必於是、顚沛必於是。」(『論語』里仁篇)
○ 造次顛沛−慌ただしい時も(転倒する時のような)咄嗟の場合も。前項参照。

145
○ ァァ如・・・−「閔子侍側ァァ如也。子路行行如也。冉有・子貢侃侃如也。」(『論語』先進篇)。「ァァ如」は穏健な様子、「行行如」は剛直な様子、「侃侃如」は和楽の様子というが談論風発のさまか。
○ 何等の〜ぞ−なんという〜であるか。詠嘆形。「何等剛直・明快なる。」とも訓めそうだが、他の実例に接していない。
○ 故紙陳編−古書堆裏の生活の様子。「故・陳」は古臭い意。
○ 奄奄−息も絶え絶えな様子。気息奄々。精神が枯渇寸前の形容。
○ 衰颯−音「スヰサフ・スヰサツ」。衰えること。
○ 霄壤−天地雲泥の差がある。

146
○ 伯魚趨庭−『論語』季氏篇の庭訓の故事を指す。陳亢が孔子の子伯魚に異聞を尋ねると、庭を過ぎる際、孔子に詩と礼を学べと指示されたという。陳亢は詩と礼の意義に加えて、君子がその子を甘やかさないことを教わったと喜んだ。庭訓(家庭教育)の語の由来。
○ 從學−他の師に束脩を納めて学んだこと。
○ 此等處−本来の儒学が古典の句読に甘んじるのでなく、日常的実践を学問の目標・内容として十分に重視していたことを指す。

147
○ 不信於口−言葉について信を得ることをしない意。
○ 信於躬−振舞を視て信ずる。
○ 是を以て−そういうわけで。

148
○ 累功於平日−一旦の出来事で得た信用から、日々の信頼を増す結果となる。

149
○ 孚−「やしなふ、はぐくむ」。
○ 上下−目上と目下、長上と年少者。あらゆる階層の人たち。
○ 無甚−それほど〜ない。部分否定。

150
○ 責善−善行を勧める、善をなすべく督励する。「責善、朋友之道也。」(『孟子』離婁下)
○ 懇到切至−丁寧を極め、親切で行き届くさま。ねんごろに。
○ 資口舌−口先だけ働かせること。
○ 爲コ−有り難いと思う。
○ 爲仇−恨む。

(本文はtaiju生作「漢文エディタ」原文よりHTMLに変換したものである。原文は後日利用の便を考えて、このファイルに含めてある。又、上下のコラムを連動させるスクリプトも入っている。)