孟子 公孫丑章句 上
 

孟子まうし

 

公孫丑こうそんちう章句しやうく じやう


1)  公孫丑こうそんちうウテ夫子ふうしたう-タラバせい管仲くわんちゆう晏子あんしこうキカ
孟子まうしまこと齊人せいひとナリ也。知レルノミ管仲・晏子而已矣。あるヒトウテ曾西そうせい吾子ごし子路しろいづレカまさレルト。曾西蹵然しゆくぜんトシテ先子せんし之所ナリおそルヽ。曰しかラバすなは吾子管仲レカレルト。曾西艴然ふつぜんトシテシテよろこなんぢなんすなはスルヤわれ於管仲。管仲ルコトきみごともつぱラニシテ也、おこなフコト國政こくせいひさシキニ也、功烈こうれついやシカリキ也。爾何スルヤトレニ
、管仲曾西之所ナリ也。しかルニメニねがフカこれ
、管仲もつタラシメ、晏子あらハレシメタリ。管仲・晏子ルカスニ
、以せいわうタラシムルハ かへスガ
ごとクンバクノ弟子ていしまどヒハます〳〵はなはダシテシテスラ文王ぶんわうとく、百年ニシテのちほうゼシヲいまあまねカラ於天下武王ぶわう周公しうこうこれしかのちおほいおこなハレタリ。今ハヾわうタルコトヲごとやすキガしかリトすなは文王ルカのつとルニ
、文王なんケンヤあた也。たういたルマデ武丁ぶてい賢聖けんせいきみ六七ろくしちおこ、天下スルコトいんひさ矣。久シケレバすなはがたキナリへん也。武丁てうセシメテゥ侯しよこうたもツコト天下クナリキ めぐラスガこれたなごゝろ也。ちゆうルコト武丁いまレバ シカラ也、其故家こか遺俗ゐぞく流風りうふう善政ぜんせいそんスルまた微子びし微仲びちゆう王子わうじ比干ひかん箕子きし膠鬲こうかく、皆賢人けんじんニシテ也、相與あひとも-しやうセリゆゑシクシテのちうしなヘルナリ也。尺地せきちあらザルいう也、一民いちみんザルしん也。しかしかうシテ文王はう百里ひやくりニシテテリこゝもつかたキナリ也。
齊人せいひとヘル、曰いへどリト智惠ちけい、不じやうズルニいきほヒニ、雖リト鎡基じき、不ツニとき。今やすキナリ然也。
夏后かこういんしうさかンナリシニモいまリキ グル千里也。しかうシテせいたもテリ矣。鷄鳴けいめい狗吠くばい相聞あひきこエテたつ四境しきやうしかうシテテリたみ矣。地不あらたメテひら矣、たみトモメテあつ矣、おこなヒテ仁政じんせいわうタラバこれとゞムル也。
王者わうじや之不ルコトおこいまナルヨリモこと也。たみせう-すゐセルコト虐政ぎやくせい、未はなはダシキ於此ヨリモこと也。
ヱタルやすしよくかつシタルいん孔子こうしとく流行りうかうスルコトすみヤカナリト置郵ちいうシテつたフルヨリモ一レめいあたツテとき萬乘ばんじやうくにニシテおこなハヾ仁政、民よろこブコト クガ倒懸たうけん也。ゆゑことなかバニシテいにしへ之人こうばいセンスノミトしかリト
公孫丑問曰、夫子當路於齊、管仲・晏子之功可復許乎。
孟子曰、子誠齊人也。知管仲・晏子而已矣。或問乎曾西曰、吾子與子路孰賢。曾西蹵然曰、吾先子之所畏也。曰、然則吾子與管仲孰賢。曾西艴然不悦曰、爾何曾比予於管仲。管仲得君如彼其專也、行乎國政如彼其久也、功烈如彼其卑也。爾何曾比予於是。
曰、管仲曾西之所不爲也。而子爲我願之乎。
曰、管仲以其君覇、晏子以其君顯。管仲・晏子猶不足爲與。
曰、以齊王、由反手也。
曰、若是則弟子之惑滋甚。且以文王之コ、百年而後崩、猶未洽於天下、武王・周公繼之、然後大行。今言王若易然、則文王不足法與。
曰、文王何可當也。由湯至於武丁、賢聖之君六七作、天下歸殷久矣。久則難變也。武丁朝ゥ侯有天下、猶運之掌也。紂之去武丁未久也、其故家遺俗、流風善政、猶有存者。又有微子・微仲・王子比干・箕子・膠鬲、皆賢人也、相與輔相之。故久而後失之也。尺地莫非其有也、一民莫非其臣也。然而文王猶方百里起。是以難也。
齊人有言、曰、雖有智惠、不如乘勢、雖有鎡基、不如待時。今時則易然也。
夏后・殷・周之盛、地未有過千里者也。而齊有其地矣。鷄鳴狗吠相聞而達乎四境。而齊有其民矣。地不改辟矣、民不改聚矣、行仁政而王、莫之能禦也。
且王者之不作、未有疏於此時者也。民之憔悴於虐政、未有甚於此時者也。
飢者易爲食、渇者易爲飮。孔子曰、コ之流行、速於置郵而傳命。當今之時、萬乘之國行仁政、民之悦之、猶解倒懸也。故事半古之人、功必倍之。惟此時爲然。
公孫丑問うて曰く、夫子齊に當路たらば、管仲・晏子の功も復た許つべきかと。
孟子曰く、子は誠に齊人なり。管仲・晏子を知れるのみ。或ひと曾西に問うて曰く、吾子と子路と孰れか賢れると。曾西蹵然として曰く、吾が先子の畏るゝ所なりと。曰く、然らば則ち吾子と管仲と孰れか賢れると。曾西艴然として悦ばずして曰く、爾何ぞ曾ち予を管仲に比するや。管仲は君を得ること彼のごとく其れ專らにして、國政を行ふこと彼のごとく其れ久しきに、功烈彼のごとく其れ卑しかりき。爾何ぞ曾ち予を是れに比するやと。
曰く、管仲は曾西の爲さざる所なり。而るに子我が爲めに之を願ふかと。
曰く、管仲は其の君を以て覇たらしめ、晏子は其の君を以て顯はれしめたり。管仲・晏子は猶ほ爲すに足らざるかと。
曰く、齊を以て王たらしむるは、由ほ手を反すがごとしと。
曰く、是くのごとくんば則ち弟子の惑ひは滋甚だし。且つ文王のコ、百年にして後崩ぜしを以てしてすら、猶ほ未だ天下に洽からず、武王・周公之を繼ぎ、然る後大に行はれたり。今王たることを易きがごとく然りと言はゞ、則ち文王も法るに足らざるかと。
曰く、文王は何ぞ當るべけんや。湯より武丁に至るまで、賢聖の君六七作り、天下の殷に歸すること久し。久しければ則ち變じ難きなり。武丁ゥ侯を朝せしめて天下を有つこと、猶ほ之を掌に運らすがごとくなりき。紂の武丁を去ること未だ久しからざれば、其の故家遺俗、流風善政、猶ほ存する者有り。又微子・微仲・王子比干・箕子・膠鬲有り、皆賢人にして、相與に之を輔相せり。故に久しくして後に之を失へるなり。尺地も其の有に非ざる莫く、一民も其の臣に非ざる莫し。然り而して文王は猶ほ方百里にして起てり。是を以て難きなり。
齊人言へる有り、曰く、智惠有りと雖も、勢ひに乘ずるに如かず、鎡基有りと雖も、時を待つに如かずと。今の時は則ち易きなり然也。
夏后・殷・周の盛んなりしにも、地は未だ千里に過ぐる者有らざりき也。而して齊は其の地を有てり。鷄鳴狗吠相聞えて四境に達す。而して齊は其の民を有てり。地改めて辟かず、民改めて聚めずとも、仁政を行ひて王たらば、之を能く禦むる莫し。
且つ王者の作らざること、未だ此の時よりも疏なる者有らず。民の虐政に憔悴せること、未だ此の時よりも甚だしき者有らず。
飢ゑたる者は食を爲し易く、渇したる者は飮を爲し易し。孔子曰く、コの流行すること、置郵して命を傳ふるよりも速やかなりと。今の時に當つて、萬乘の國にして仁政を行はゞ、民の之を悦ぶこと、猶ほ倒懸を解くがごとし。故に事は古の人に半ばにして、功は必ず之に倍せん。惟だ此の時を然りと爲すのみと。

2)  公孫丑問ウテ夫子ふうしくわハリテせい卿相けいしやうおこなフコトヲみち焉、いへどリテレニわうタラシムトことナラ矣。ごとクナラバクノすなはうごカスヤいな。 孟子曰いなわれ四十しじふニシテカサ。 曰ごとクナレバクノ、則夫子グルコト孟賁まうほんニモとほ。 曰かたカラ告子こくしスラさきダチテわれリキトカサ。 曰、不ルニカサリヤ道乎。 曰、有北宮黝ほくきういうやしなフヤゆう也、不はだたわまじろおもフコトもつ一毫いちがうはづかしメラルヽヲひとごとむちうタルヽガこれ市朝してう。不褐寛博かつくわんぱくニモまた萬乘ばんじようきみニモルコトそしルヲ萬乘之君ごとルガ褐夫かつぷ。無はゞかルコトゥ侯しよこう惡聲あくせいいたラバかへ
孟施舍まうししや之所也、曰、視ルコトルヲ ツガ也。はかリテてきのちはかリテツヲ而後くわいスルハおそルヽ三軍さんぐんナリ也。しやサンヤツコトヲ哉。能キノミおそルヽコト而已矣
孟施しや曾子そうし、北宮いうタリ子夏しか二子にしいまいづレカまさレルヲしかしこうシテ孟施舍まもルコトつゞまヤカナリ
昔者むかし曾子ヒテ子襄しじようこのムカ乎。われかつケリ大勇たいゆう夫子ふうし矣。みづかかへりミテ而不ンバなほカラいへど褐寛博かつくわんぱく、吾不ランヤおそ焉。自ミテ而縮クンバ、雖千萬人せんまんにん、吾カン。孟施舍之守レルモ、又不曾子之守ルコトつゞまヤカナルニハ
ヘテ夫子ふうし之不ルトカサ告子こくし之不一レカサ、可キカクヲ
告子曰、不ランニげんなかもとムルコトこゝろ。不ランニ於心、勿レトムルコト。不ランニ於心、勿レトアルハムルコト於氣。不ランニ於言、勿レトアルハムルコト於心不可ふかナリこゝろざしひき也、氣からだタス也。夫いた焉、氣焉。ゆゑシテ、無カレトそこなフコト
すでヘルニ焉、氣またフハシテカレトフコト者、なんゾヤ
、志いつナレバすなはカシ、氣壹ナレバカス也。今夫つまづ者、はしルハ者、ナリ也。しかレドモかへツテカセバナリ
ヘテ、夫子いづクニカちやうゼルト
、我げん。我やしなフト浩然こうぜん
ヘテなにヲカフト浩然之氣
がた也。ルヤ也、至大至剛しだいしごう、以ちよくやしなヒテ而無クンバそこなフコトすなは天地てんちかん。其ルヤ氣也、はい一レみち。無クシテハウルナリ也。あつメテしやうズルニシテあらイデルモノニ一レ也。おこなヒテレバルコトあきた於心、則矣。我ゆゑ告子こくしいま かつ一レもつテセバほかニスルヲ一レ也、必リテことトスルコトこれ、而たゞスコト。心わすルヽコトモ、勿助長じよちやうスルコトモ也。
カレごと宋人そうひとしかスルコト。宋人うれヘテなへ之不ルヲ一レちやう芒芒然ばう〳〵ぜんトシテかへツテひといは今日けふつかレタリ矣、われたすケテゼシム。其はしツテキテレバ、苗すなはレタリ矣。天下之不ケテゼシメすくな矣。もつシテシトuえきツル、不くさぎニシテ也、助ケテゼシムルナリ也。非たゞキノミニ一レuえき、而またそこなフト
なにヲカフトルトげん
詖辭ひじ一レおほ淫辭いんじ一レおちい邪辭じやじ一レそむ遁辭とんじ一レきはマルしやうズレバ於其そこな於其せいはつスレバ於其、害於其こと聖人せいじんツトモ、必したがハンげん
宰我さいが子貢しこう説辭せつじ冉求ぜんきう閔子びんし顏淵がんゑんコ行とくかう孔子こうしこれ。曰、我おいテハ辭命じめい、則あたしかラバすなは夫子ふうしすでせいナルカ矣乎
あゝなんげんゾヤ也。昔者むかし子貢ウテ於孔子、夫子ナルカ矣乎。孔子曰ハク、聖吾不あた。我ビテいと、而をしヘテルナリ。子貢曰、學ビテルハニシテ、ヘヘテルハじんナリ也。仁ニシテナレバ、夫子すでナラント孔子ルニ、是ゾヤ
昔者ひそカニケリこれ子夏しか子游しいう子張しちやうみな聖人一體いつたい冉求ぜんきう閔子びんし顏淵がんゑん、則そなフルモたいナリトヘテフトやすンズル
しばらケトレヲ
伯夷はくい伊尹いゐん何如いかん
、不おなジクセみちあらズンバきみつか、非ズンバたみ使つかマレバすゝみだルレバ退しりぞクハ、伯夷ナリ也。いづレニつかフルトシテザラン、何レヲ使フトシテザラン、治マルモまた、亂ルヽモ亦進ムハ、伊尹ナリ也。可クンバもつつか、可クンバ、可クンバひさシカルシウシ、可クンバすみヤカナルヤカニスルハ、孔子ナリ也。皆いにしヘノ聖人せいじんナリ也。吾いまあたおこなフコト焉。すなはねが、則まなバン孔子
伯夷・伊尹ケルハ孔子ごとクノひとシキカ
いなリテ生民せいみん以來このかたいま孔子ノゴトキハ
しかラバすなはルカおなジキトコロ
、有。得百里之地きみタラバ君、皆てうセシメゥ侯しよこうたもタン天下おこな一不義いちふぎ、殺シテ一不辜いちふこしかシテルハ天下みなルナリ也。すなはジキナリト
ヘテフトゆゑ-ことナル
、宰我・子貢・有若いうじやくルニ聖人くだレルモいたおもねルニ一レ。宰我曰、以われレバ於夫子まさレルコト堯舜げうしゆんニモとほ。子貢曰、見れい而知せい、聞キテがく而知とく百世ひやくせいのちはかルニ百世わうたがフモノ也。生民アリテ以來、未夫子ノゴトキハ。有若曰たみノミナランヤ哉。麒麟きりんケル走獸そうじう鳳凰ほうわう之於ケル飛鳥ひてう太山たいざん之於ケル丘垤きうてつ河海かかい之於ケル行潦かうらうなかマナリ也。聖人之於ケルモまたマナリ也。デヽ於其マヨリキンヅルコト乎其あつまリヲ、自生民アリテ以來、未はなはダシキモノ於孔子ヨリモ
公孫丑問曰、夫子加齊之卿相、得行道焉、雖由此覇・王不異矣。如此、則動心否乎。
孟子曰、否。我四十不動心。
曰、若是、則夫子過孟賁遠矣。
曰、是不難。告子先我不動心。
曰、不動心有道乎。
曰、有。北宮黝之養勇也、不膚撓不目逃、思以一毫挫於人、若撻之於市朝。不受於褐寛博、亦不受於萬乘之君。視刺萬乘之君、若刺褐夫。無嚴ゥ侯、惡聲至必反之。
孟施舍之所養勇也、曰、視不勝猶勝也。量敵而後進、慮勝而後會、是畏三軍者也。舍豈能爲必勝哉。能無懼而已矣。
孟施舍似曾子、北宮黝似子夏。夫二子勇、未知其孰賢。然而孟施舍守約。
昔者曾子謂子襄曰、子好勇乎。吾嘗聞大勇於夫子矣。自反而不縮、雖褐寛博、吾不惴焉。自反而縮、雖千萬人、吾往矣。孟施舍之守氣、又不如曾子之守約也。
曰、敢問、夫子之不動心、與告子之不動心、可得聞與。
告子曰、不得於言、勿求於心。不得於心、勿求於氣。不得於心、勿求於氣可。不得於言、勿求於心、不可。夫志氣之帥也、氣體之充也。夫志至焉、氣次焉。故曰、持其志、無暴其氣。
既曰志至焉、氣次焉、又曰持其志無暴其氣者、何也。
曰、志壹則動氣、氣壹則動志也。今夫蹶者、趨者、是氣也。而反動其心。
敢問、夫子惡乎長。
曰、我知言。我善養吾浩然之氣。
敢問、何謂浩然之氣。
曰、難言也。其爲氣也、至大至剛、以直養而無害、則塞于天地之閨B其爲氣也、配義與道。無是餒也。是集義所生者、非義襲而取之也。行有不慊於心、則餒矣。我故曰、告子未嘗知義。以其外之也、必有事焉、而勿正。心勿忘、勿助長也。
無若宋人然。宋人有閔其苗之不長而揠之者。芒芒然歸、謂其人曰、今日病矣、予助苗長矣。其子趨而往視之、苗則槁矣。天下之不助苗長者寡矣。以爲無u而舍之者、不耘苗者也、助之長者、揠苗者也。非徒無u、而又害之。
何謂知言。
曰、詖辭知其所蔽、淫辭知其所陷、邪辭知其所離、遁辭知其所窮。生於其心、害於其政、發於其政、害於其事。聖人復起、必從吾言矣。
宰我・子貢善爲説辭、冉求・閔子・顏淵善言コ行、孔子兼之。曰、我於辭命、則不能也。然則夫子既聖矣乎。
曰、惡、是何言也。昔者子貢問於孔子曰、夫子聖矣乎。孔子曰、聖則吾不能。我學不厭、而ヘ不倦也。子貢曰、學不厭智、ヘ不倦仁也。仁且智、夫子既聖。夫聖孔子不居、是何言也。
昔者竊聞之。子夏・子游・子張、皆有聖人之一體、冉求・閔子・顏淵、則具體而微。敢問所安。
曰、姑舍是。
曰、伯夷・伊尹何如。
曰、不同道。非其君不事、非其民不使、治則進、亂則退、伯夷也。何事非君、何使非民、治亦進、亂亦進、伊尹也。可以仕則仕、可以止則止、可以久則久、可以速則速、孔子也。皆古聖人也。吾未能有行焉。乃所願、則學孔子也。
伯夷・伊尹於孔子、若是班乎。
曰、否、自有生民以來、未有孔子也。
曰、然則有同與。
曰、有。得百里之地而君君、皆能以朝ゥ侯、有天下。行一不義、殺一不辜、而得天下、皆不爲也。是則同。
曰、敢問其所以異。
曰、宰我・子貢・有若、智足以知聖人。汙不至阿其所好。宰我曰、以予觀於夫子、賢於堯舜遠矣。子貢曰、見其禮而知其政、聞其樂而知其コ。由百世之後、等百世之王、莫之能違也。自生民以來、未有夫子也。有若曰、豈惟民哉。麒麟之於走獸、鳳凰之於飛鳥、太山之於丘垤、河海之於行潦類也。聖人之於民亦類也。出於其類、拔乎其萃、自生民以來、未有盛於孔子也。
公孫丑問うて曰く、夫子齊の卿相に加はりて、道を行ふことを得ば、此れによりて覇・王たらしむと雖も異ならじ。此くのごとくならば、則ち心を動かすや否やと。
孟子曰く、否。我は四十にして心を動かさずと。
曰く、是くのごとくなれば、則ち夫子は孟賁にも過ぐること遠しと。
曰く、是れ難からず。告子すら我に先だちて心を動かさざりきと。
曰く、心を動かさざるに道有りやと。
曰く、有り。北宮黝の勇を養ふや、膚撓まず目逃かず、一毫を以て人に挫めらるゝを思ふこと、之を市朝に撻たるゝがごとし。褐寛博にも受けず、亦萬乘の君にも受けず。萬乘の君を刺るを視ること、褐夫を刺るがごとし。ゥ侯も嚴ること無く、惡聲至らば必ず之を反す。
孟施舍の勇を養ふ所は、曰く、勝たざるを視ること猶ほ勝つがごとし。敵を量りて後進み、勝つを慮りて後會するは、是れ三軍を畏るゝ者なり。舍豈に能く必ず勝つことを爲さんや。能く懼るゝこと無きのみと。
孟施舍は曾子に似、北宮黝は子夏に似たり。夫の二子の勇は、未だ其の孰れか賢れるを知らず。然り而して孟施舍は守ること約やかなり。
昔者曾子子襄に謂ひて曰く、子は勇を好むか。吾嘗て大勇を夫子に聞けり。自ら反みて縮からずんば、褐寛博と雖も、吾惴れざらんや。自ら反みて縮くんば、千萬人と雖も、吾往かんと。孟施舍の氣を守れるも、又曾子の守ること約やかなるには如かずと。
曰く、敢へて問ふ、夫子の心を動かさざると、告子の心を動かさざると、聞くを得べきかと。
告子曰く、言に得ざらんに、心に求むること勿れ。心に得ざらんに、氣に求むること勿れと。心に得ざらんに、氣に求むること勿れとあるは可し。言に得ざらんに、心に求むること勿れとあるは、不可なり。夫れ志は氣を帥ゐ、氣は體を充たす。夫れ志は至り、氣は次ぐ。故に曰く、其の志を持して、其の氣を暴ふこと無かれと。
既に志は至り、氣は次ぐと曰へるに、又其の志を持して其の氣を暴ふこと無かれと曰ふは、何ぞやと。
曰く、志壹なれば則ち氣を動かし、氣壹なれば則ち志を動かす。今夫れ蹶き、趨るは、是れ氣なり。而れども反つて其の心を動かせばなり。
敢へて問ふ、夫子は惡くにか長ぜると。
曰く、我は言を知る。我は善く吾が浩然の氣を養ふと。
敢へて問ふ、何をか浩然の氣と謂ふと。
曰く、言ひ難し。其の氣たるや、至大至剛、直を以て養ひて害ふこと無くんば、則ち天地の閧ノ塞つ。其の氣たるや、義と道とに配す。是れ無くしては餒うるなり。是れ義を集めて生ずる所の者にして、義を襲いで之を取るものに非ず。行ひて心に慊らざること有れば、則ち餒う。我故に曰く、告子は未だ嘗て義を知らずと。其の之を外にするを以てせば、必ず焉を事とすること有りて、正すこと勿し。心は忘るゝことも勿く、助長することも勿し。
宋人のごとく然すること無かれ。宋人に其の苗の長ぜざるを閔へて之を揠く者有り。芒芒然として歸り、其の人に謂つて曰く、今日病れたり、予苗を助けて長ぜしむと。其の子趨つて往きて之を視れば、苗は則ち槁れたり。天下に苗を助けて長ぜしめざる者は寡し。以てu無しと爲して之を舍つる者は、苗を耘らざる者にして、之を助けて長ぜしむる者は、苗を揠く者なり。徒にu無きのみに非ず、又之を害ふと。
何をか言を知ると謂ふと。
曰く、詖辭は其の蔽ふ所を知り、淫辭は其の陷る所を知り、邪辭は其の離く所を知り、遁辭は其の窮まる所を知る。其の心に生ずれば、其の政を害ひ、其の政に發すれば、其の事を害ふ。聖人復た起つとも、必ず吾が言に從はんと。
宰我・子貢は善く説辭を爲し、冉求・閔子・顏淵は善くコ行を言ひ、孔子は之を兼ぬ。曰く、我辭命に於ては、則ち能はずと。然らば則ち夫子は既に聖なるかと。
曰く、惡、是れ何の言ぞや。昔者子貢孔子に問うて曰く、夫子は聖なるかと。孔子曰はく、聖は則ち吾能はず。我は學びて厭はず、ヘへて倦まざるなりと。子貢曰く、學びて厭はざるは智にして、ヘへて倦まざるは仁なり。仁にして且つ智なれば、夫子は既に聖ならんと。夫れ聖は孔子も居らざるに、是れ何の言ぞやと。
昔者竊かに之を聞けり。子夏・子游・子張は、皆聖人の一體有り、冉求・閔子・顏淵は、則ち體を具ふるも微なりと。敢へて安んずる所を問ふと。
曰く、姑く是れを舍けと。
曰く、伯夷・伊尹は何如と。
曰く、道を同じくせず。其の君に非ずんば事へず、其の民に非ずんば使はず、治まれば則ち進み、亂るれば則ち退くは、伯夷なり。何れに事ふるとして君に非ざらん、何れを使ふとして民に非ざらん、治まるも亦進み、亂るゝも亦進むは、伊尹なり。以て仕ふべくんば則ち仕へ、以て止むべくんば則ち止み、以て久しかるべくんば則ち久しうし、以て速やかなるべくんば則ち速やかにするは、孔子なり。皆古への聖人なり。吾は未だ行ふこと有る能はず。乃ち願ふ所は、則ち孔子を學ばんと。
伯夷・伊尹の孔子に於けるは、是くのごとく班しきかと。
曰く、否、生民有りてより以來、未だ孔子のごときは有らずと。
曰く、然らば則ち同じきところ有るかと。
曰く、有り。百里の地を得て君君たらば、皆能く以てゥ侯を朝せしめ、天下を有たん。一不義を行ひ、一不辜を殺して、而して天下を得るは、皆爲さざるなり。是れ則ち同じきなりと。
曰く、敢へて其の異なる所以を問ふと。
曰く、宰我・子貢・有若は、智以て聖人を知るに足る。汙れるも其の好む所に阿るに至らず。宰我曰く、予を以て夫子を觀れば、堯舜にも賢れること遠しと。子貢曰く、其の禮を見て其の政を知り、其の樂を聞きて其のコを知る。百世の後より、百世の王を等るに、之に能く違ふもの莫し。生民ありてより以來、未だ夫子のごときは有らずと。有若曰く、豈に惟だ民のみならんや。麒麟の走獸に於ける、鳳凰の飛鳥に於ける、太山の丘垤に於ける、河海の行潦に於けるは類まなり。聖人の民に於けるも亦類まなり。其の類まより出でゝ、其の萃りを拔きんづること、生民ありてより以來、未だ孔子よりも盛だしきもの有らずと。

3)  孟子曰、以ちからじんナリ。覇たも大國たいこく。以とくおこなわうナリ。王だいナルヲたうテシ七十里しちじふり文王ぶんわうテス百里ひやくり。以ふくスルあらヨリスルニ也。力不レバナリ。以スル中心ちゆうしんヨリよろこビテまこと也。ごと七十子しちじつし之服セルガ孔子也。いは西自東、自南自北、無シトこゝ一レレノヒナリ
孟子曰、以力假仁者覇。覇必有大國。以コ行仁者王。王不待大。湯以七十里、文王以百里。以力服人者、非心服也。力不贍。以コ服人者、中心悦而誠服也。如七十子之服孔子也。詩云、自西自東、自南自北、無思不服。此之謂也。
孟子曰く、力を以て仁を假る者は覇なり。覇は必ず大國を有つ。コを以て仁を行ふ者は王なり。王は大なるを待たず。湯は七十里を以てし、文王は百里を以てす。力を以て人を服する者は、心より服するに非ず。力贍らざればなり。コを以て人を服する者は、中心より悦びて誠に服す。七十子の孔子に服せるがごとし。詩に云く、西より東より、南より北より、思に服せざる無しと。此れの謂ひなりと。

4)  孟子曰じんナレバすなはさか不仁ふじんナレバはづかしメラル。今にくミナガラメラルヽヲルハ不仁 ミナガラしめリヲ而居ルガ一レひくキニ也。
マヾクハたつととくたつとブニ一レ賢者けんじやくらゐ能者のうしやレバしよく國家こくか濶ノかんかアリおよビテときあきラカニセバ政刑せいけいいへど大國たいこくおそレン矣。いはおよビテいまルニ 陰雨いんうリテ桑土さうどちう-びゆう牖戸ゆうこ。今下民かみんランヤトヘテあなどルコト一レわれ。孔子曰つくレルカみち乎。をさムレバ國家たれヘテあなどラント。今國家濶ノアリ。及ビテ般樂怠敖はんらくたいがうスルハみづかもとムルナリわざはヒヲ也。
くわふくおのれもと一レこといはながこゝかなめいもつもとメヨトたふく太甲たいかふいは、天セルわざはヒハみづかセルわざはヒハカラのがレノヒナリ
孟子曰、仁則榮、不仁則辱。今惡辱而居不仁、是猶惡濕而居下也。
如惡之、莫如貴コ而尊士。賢者在位、能者在職、國家濶ノ。及是時明其政刑、雖大國必畏之矣。詩云、迨天之未陰雨、徹彼桑土、綢繆牖戸。今此下民、或敢侮予。孔子曰、爲此詩者、其知道乎。能治其國家、誰敢侮之。今國家濶ノ。及是時般樂怠敖、是自求禍也。
禍vウ不自己求之者。詩云、永言配命、自求多aB太甲曰、天作孽猶可違、自作孽不可活。此之謂也。
孟子曰く、仁なれば則ち榮え、不仁なれば則ち辱めらる。今辱めらるゝを惡みながら不仁に居るは、是れ猶ほ濕りを惡みながら下きに居るがごとし。
如し之を惡まゞ、コを貴び士を尊ぶに如くは莫し。賢者位に在り、能者職に在れば、國家は濶ノあり。是の時に及びて其の政刑を明らかにせば、大國と雖も必ず之を畏れん。詩に云く、天の未だ陰雨せざるに迨びて、彼の桑土を徹りて、牖戸を綢繆す。今此の下民、敢へて予を侮ること或らんやと。孔子曰く、此の詩を爲る者は、其れ道を知れるか。能く其の國家を治むれば、誰か敢へて之を侮らんと。今國家は濶ノあり。是の時に及びて般樂怠敖するは、是れ自ら禍ひを求むるなり。
禍bヘ己より之を求めざる者無し。詩に云く、永く言に命に配ひ、自て多b求めよと。太甲に曰く、天の作せる孽ひは猶ほ違くべし、自ら作せる孽ひは活るべからずと。此れの謂ひなりと。

5)  孟子曰たつとけん使つかのう俊傑しゆんけつラバくらゐすなは天下、皆よろこビテねがハンツコトヲ於其てう矣。てんスレドモ而不ルカせいほふアレドモ而不ンバてん、則天下あきビトハ、皆悦ビテ而願ハンをさメンコトヲ於其矣。くわんしらブレドモ而不ンバ、則天下たびビトハ、皆悦ビテ而願ハンデンコトヲ於其みち矣。たがやじよスレドモ而不ンバ、則天下のう、皆悦ビテ而願ハンサンコトヲ於其矣。てんクンバ、則天下之民、皆悦ビテ而願ハンランコトヲこれたみ矣。
まことおこなハヾ五者ごしや、則鄰國りんごくたみあふグコトごとクナラン父母ふぼ矣。ひきヰテ子弟していムルハ父母生民せいみんアリテ以來このかたいま也。ごとクンバクノ、則てき於天下。無於天下天吏てんりナリ也。しかしかうシテわうタラいまルナリ これ
孟子曰、尊賢使能、俊傑在位、則天下之士、皆悦而願立於其朝矣。市廛而不征、法而不廛、則天下之商、皆悦而願藏於其市矣。關譏而不征、則天下之旅、皆悦而願出於其路矣。耕者助而不征、則天下之農、皆悦而願耕於其野矣。廛無夫・里之布、則天下之民、皆悦而願爲之氓矣。
信能行此五者、則鄰國之民、仰之若父母矣。率其子弟、攻其父母、自生民以來、未有能濟者也。如此、則無敵於天下。無敵於天下者、天吏也。然而不王者、未之有也。
孟子曰く、賢を尊び能を使ひ、俊傑位に在らば、則ち天下の士は、皆悦びて其の朝に立つことを願はん。市は廛すれども征せざるか、法あれども廛せずんば、則ち天下の商びとは、皆悦びて其の市に藏めんことを願はん。關は譏ぶれども征せずんば、則ち天下の旅びとは、皆悦びて其の路に出でんことを願はん。耕す者は助すれども征せずんば、則ち天下の農は、皆悦びて其の野を耕さんことを願はん。廛に夫・里の布無くんば、則ち天下の民は、皆悦びて之が氓と爲らんことを願はん。
信に能く此の五者を行はゞ、則ち鄰國の民も、之を仰ぐこと父母のごとくならん。其の子弟を率ゐて、其の父母を攻むるは、生民ありてより以來、未だ能く濟す者有らず。此くのごとくんば、則ち天下に敵無し。天下に敵無き者は、天吏なり。然り而して王たらざる者は、未だ之有らざるなりと。

6)  孟子曰、人みなしの之心先王せんわうレバ之心すなはせい矣。以之心、行ハヾ之政をさムルハ天下めぐラス掌上しやうじやう
ゆゑ-皆有リト之心いまたちま孺子じゆしまさルヲ 一レラント、皆有ラン怵タ惻隱じゆつてきそくいんこゝろあら-ルヽまじハリヲ於孺子父母ふぼ、非-もとムルほまレヲ郷黨きやうたう朋友ほういう也、非にくミテこゑしかスルニ也。
リテレニレバこれ、無キハ惻隱そくいん之心あら也、無キハ羞惡しうお之心也、無キハ辭讓じじやう之心也、無キハ是非ぜひ之心也。
惻隱之心じんはじメナリ也。羞惡之心之端メナリ也。辭讓之心れい之端メナリ也。是非之心之端メナリ也。人之有ルハ四端したん也、 ルガ四體したい也。有リナガラ四端、而みづかおもあた、自ラヲそこなニシテ也、謂きみ一レ、賊ナリ也。
およたも四端われ、知ランひろガツテタスコトヲ一レ矣。はじメテいづみ之始メテとほルガいやしクモタサバランやすンズルニ四海しかい。苟クモンバタサ、不ラントつかフルニモ父母
孟子曰、人皆有不忍人之心。先王有不忍人之心、斯有不忍人之政矣。以不忍人之心、行不忍人之政、治天下可運之掌上。
所以謂人皆有不忍人之心者、今人乍見孺子將入於井、皆有怵タ惻隱之心。非所以内交於孺子之父母、非所以要譽於郷黨・朋友也、非惡其聲而然也。
由是觀之、無惻隱之心非人也、無羞惡之心非人也、無辭讓之心非人也、無是非之心非人也。
惻隱之心、仁之端也。羞惡之心、義之端也。辭讓之心、禮之端也。是非之心、智之端也。人之有是四端也、猶其有四體也。有是四端、而自謂不能者、自賊者也、謂其君不能者、賊其君者也。
凡有四端於我者、知皆擴而充之矣。若火之始然、泉之始達。苟能充之、足以保四海。苟不充之、不足以事父母。
孟子曰く、人は皆人に忍びざる之心有り。先王も人に忍びざる之心有れば、斯ち人に忍びざる之政有り。人に忍びざる之心を以て、人に忍びざる之政を行はゞ、天下を治むるは之を掌上に運らすべし。
人は皆人に忍びざる之心有りと謂ふ所以の者は、今人乍ち孺子の將に井に入らんとするを見ば、皆怵タ惻隱の心有らん。交はりを孺子の父母に内るゝ所以に非ず、譽れを郷黨・朋友に要むる所以に非ず、其の聲を惡みて然するに非ず。是れによりて之を觀れば、惻隱の心無きは人に非ず、羞惡の心無きは人に非ず、辭讓の心無きは人に非ず、是非の心無きは人に非ず。
惻隱の心は、仁の端めなり。羞惡の心は、義の端めなり。辭讓の心は、禮の端めなり。是非の心は、智の端めなり。人の是の四端有るは、猶ほ其の四體有るがごとし。是の四端有りながら、自ら能はずと謂ふ者は、自らを賊ふ者にして、其の君能はずと謂ふ者は、其の君を賊ふ者なり。
凡そ四端を我に有つ者は、皆擴がつて之を充たすことを知らん。火の始めて然え、泉の始めて達るがごとし。苟くも能く之を充たさば、以て四海を保んずるに足らん。苟くも之を充たさずんば、以て父母に事ふるにも足らざらんと。

7)  孟子曰矢人しじん-じんナランヤ函人かんじんヨリモ哉。矢人おそランコトヲきづゝ、函人ケンコトヲしやうしかゆゑじゆつルナリカラつゝし也。孔子こうしのたまハクルヲじんシトえらビテルハいづクンゾントナルヲ尊爵そんしやくニシテ也、人安宅あんたくナリ也。クシテまもルコト不仁ふじんナルハ不智ふちナリ也。不仁・不智・無禮ぶれい無義ぶぎナルモノハ、人しもべナリ也。人ニシテヅルハルヲ役、 弓人きゆうじんニシテ而恥つくルヲゆみ、矢人ニシテ而恥ヅルガ一レルヲ也。ヂトセバクハスニ
トハごとしやたゞシクシテおのれのちはつ。發シテ而不ンバあた、不うらまさおのれかへツテもとムルノミこれ而已矣
孟子曰、矢人豈不仁於函人哉。矢人唯恐不傷人、函人唯恐傷人。巫・匠亦然。故術不可不愼也。孔子曰、里仁爲美。擇不處仁、焉得智。夫仁天之尊爵也、人之安宅也。莫之禦而不仁、是不智也。不仁・不智・無禮・無義、人役也。人役而恥爲役、由弓人而恥爲弓、矢人而恥爲矢也。如恥之、莫如爲仁。
仁者如射。射者正己而後發。發而不中、不怨勝己者、反求ゥ己而已矣。
孟子曰く、矢人は豈に函人よりも不仁ならんや。矢人は唯だ人を傷けざらんことを恐れ、函人は唯だ人を傷けんことを恐る。巫・匠も亦然り。故に術は愼まざるべからざるなり。孔子曰はく、仁に里るを美しと爲す。擇びて仁に處らざるは、焉くんぞ智なるを得んと。夫れ仁は天の尊爵にして、人の安宅なり。之を禦ること莫くして不仁なるは、是れ不智なり。不仁・不智・無禮・無義なるものは、人の役なり。人の役にして役たるを恥づるは、由ほ弓人にして弓を爲るを恥ぢ、矢人にして矢を爲るを恥づるがごとし。如し之を恥ぢとせば、仁を爲すに如くは莫し。
仁とは射のごとし。射る者は己を正しくして後發す。發して中らずんば、己に勝る者を怨みず、反つてゥを己に求むるのみと。

8)  孟子曰子路しろグルニもつテスレバルヲあやますなはよろこケバ善言ぜんげんはい大舜たいしゆんだいナルモノこれヨリモぜんともニシテヽおのれしたがたのシムリテ於人ヨリスヲ耕稼陶漁こうかとうぎよもついたルマデルニてい、無あらザルルニ於人ヨリ。取リテこれスハたすクルスヲ一レナリ也。ゆゑ君子くんしシトナルハたすクルヨリモスヲ一レ
孟子曰、子路人告之以有過、則喜。禹聞善言則拜。大舜有大焉。善與人同、舍己從人、樂取於人以爲善。自耕稼陶漁以至爲帝、無非取於人者。取ゥ人以爲善、是與人爲善者也。故君子莫大乎與人爲善。
孟子曰く、子路は人之に告ぐるに過ち有るを以てすれば、則ち喜ぶ。禹は善言を聞けば則ち拜す。大舜は焉よりも大なるもの有り。善は人と同にし、己を舍てゝ人に從ひ、人より取りて以て善を爲すを樂しむ。耕稼陶漁より以て帝と爲るに至るまで、人より取るに非ざる者無し。ゥを人に取りて以て善を爲すは、是れ人の善を爲すを與くる者なり。故に君子は人の善を爲すを與くるよりも大なるは莫しと。

9)  孟子曰伯夷はくいあらザレバきみつか、非ザレバともトセ。不惡人あくにんてう、不惡人ものい。立ツテ於惡人之朝、與惡人フハごともつ朝衣てうい朝冠てうくわんスルガ塗炭とたんシテにくあくこゝろおもフニ郷人きやうじんチテ、其くわんレバたゞシカラ望望然ばう〳〵ぜんトシテツルコトごとクナランまさルガ けがサレント焉。ゆゑゥ侯しよこういへどリトクシテ辭命じめいいた、不ルナリ也。不ルハ也者、またルノミいさぎよシトセしたがフヲ已。
柳下惠りうかけい汙君おくんヲモ、不いやシトセ小官せうかんヲモ、進メラレテハかくけん、必テシわすテラルヽモ而不うらくるシミきゆうスルトモ而不うれゆゑなんぢ爾、われ我、いへどたん-せき--ていストかたはラニ、爾いづクンゾけがサンヤわれ哉。故由由然いう〳〵ぜんトシテともニスレドモ而不みづかうしな焉。キテとゞムレバすなはマル。援キテ而止ムルニマルハ者、またルノミいさぎよシトセルヲ
孟子曰、伯夷せま、柳下惠つゝしあい不恭ふきよう君子くんしルナリ
孟子曰、伯夷非其君不事、非其友不友。不立於惡人之朝、不與惡人言。立於惡人之朝、與惡人言、如以朝衣・朝冠坐於塗炭。推惡惡之心思、與郷人立、其冠不正、望望然去之、若將浼焉。是故ゥ侯雖有善其辭命而至者、不受也。不受也者、是亦不屑就已。
柳下惠不羞汙君、不卑小官、進不隱賢、必以其道、遺佚而不怨、阨窮而不憫。故曰、爾爲爾、我爲我、雖袒裼裸裎於我側、爾焉能浼我哉。故由由然與之偕而不自失焉。援而止之而止。援而止之而止者、是亦不屑去已。
孟子曰、伯夷隘、柳下惠不恭。隘與不恭、君子不由也。
孟子曰く、伯夷は其の君に非ざれば事へず、其の友に非ざれば友とせず。惡人の朝に立たず、惡人と言はず。惡人の朝に立つて、惡人と言ふは、朝衣・朝冠を以て塗炭に坐するがごとし。惡を惡む之心を推して思ふに、郷人と立ちて、其の冠正しからざれば、望望然として之を去つること、將に浼されんとするがごとくならん。是の故にゥ侯其の辭命を善くして至る者有りと雖も、受けざるなり。受けざるは、是れ亦就ふを屑しとせざるのみ。
柳下惠は汙君をも羞ぢず、小官をも卑しとせず、進められては賢を隱さず、必ず其の道を以てし、遺れ佚てらるゝも怨みず、阨しみ窮するとも憫へず。故に曰く、爾は爾たり、我は我たり、我が側らに袒裼裸裎すと雖も、爾焉くんぞ能く我を浼さんや。故に由由然として之と偕にすれども自ら失はず。援きて之を止むれば而ち止まる。援きて之を止むるにち止まるは、是れ亦去るを屑しとせざるのみと。
孟子曰く、伯夷は隘く、柳下惠は恭まず。隘と不恭とは、君子は由らざるなりと。
1
○ 公孫丑−孟子の門人で斉の人であることが分かる。楽正子や万章よりも弟弟子ではないかという。
○ 夫子−「フウ」は慣用音。先生。目上・年長者に対する敬称や通称としても用いる。
○ 當路−政治の要職に就くこと、また要職その人。「路に当たる」とも訓み、当該の職務を遂行するに堪える(能力がある)という意味。古い日本語でも「当路者」という言い回しを見かけるので、そのままに訓む。
○ 管仲−?〜前六四五。字は夷吾。西晋(春秋時代)の斉の桓公に仕えて宰相となり、斉を春秋五覇の地位に至らせた。管仲に託して編集された法家の書という『管子』には「十家為什、五家為伍、什伍皆有長焉。」「圈屬群徒不順於常者、閭有司見之復無時。」(『立政』)という内部告発を含めた五人組の隣保制度を説いている。中国の「単位制度」の起源は古い。三浦周行『五人組制度の起源』では唐の五保の制を起源とするようで、これには触れられていないように見えた。
○ 晏子−?〜前五〇〇。名は嬰、字は仲、平と諡する。晏子・晏平仲と尊称される。春秋時代斉の霊公・荘公・景公三代に歴仕し、景公の代に宰相となって国力を高めた。『晏子春秋』はその言行録といわれ、『管子』と同様に後代に成立したもので、『管子』は法家の書、『晏子春秋』は史書(伝記)に分類される。
○ 許−期待できる、あてにできる、任せる。「猶期也。」(朱熹『孟子集註』)
○ 曾西−曾子(曾参)の子とも孫ともいう。別に曾子の子を曾申とも伝える。孫としても孟子の時代からは百年ほど遡るか。曾子の字は子輿、孟子の字は曾子と同じ。孔子に私淑した結果の命名か。
○ 蹵然−音「シュク・シュウ」。心が安んじない(落ち着かない)、または慎んで畏まる貌。「蹵不安貌。」(朱熹『孟子集註』)とあり、畏れるとも畏まるとも訓める。
○ 艴然−むっとして怒る貌。
○ 何曾−なんでまた(選〔よ〕りに選って)。「曾ち」は「乃ち」と同じく軽い詠嘆。そんなことで、と意外な感じを表す。
○ 如彼−あれほど。既定の事象を踏まえた言い方。
○ 專−信任を独占する。
○ 功烈−勲功。烈は誇れる事蹟の意。ここでは「功烈」で功績程度の意。
○ 曰管仲曾西・・・−この「曰く」は重複しているが、『論語』や梁恵王章句にも見られるところで、少し間をおいて展開していく感じがある。
○ 爲我願之乎−私にそうしてほしいと思うのか。
○ 覇−覇者。斉桓公が春秋五覇になったことを指す。覇者は武力によって天下を支配する者をいう。王者よりも一段低い位置づけをする。
○ 顯はる−その名声が広まる。
○ 猶ほ−それでもまだ。
○ 由ほ−比況形(比較形)の再読文字。ちょうど(あたかも、まるで)〜するようなものだ(するのと同じことだ)。「猶ほ」も再読文字として同じように用いる。
○ 反手−掌をうら返すように簡単なことである。類句に「天下可運於掌。」(梁恵王上〔7〕)など。
○ 滋−益に同じ。いよいよますます。
○ コ百年−人徳があることは百年の長寿を保ったことにも表れている、という文脈。「洽し」の主語とは解しない。
○ 洽し−教化が天下に行き渡る。
○ 繼之−文王の事業を継承する。
○ 大行−統一を成し遂げたことを指す。
○ 若易然−「〜が若く然り」で「いかにも〜であるようだ(〜らしい、〜同然だ)」という語法と見る。日本語にもこの名残か、「大物然として」等やや揶揄の気味を含めて言うことがある。然には強い断定の語気詞としての使い方があるという。「若由也、不得其死然。」(『論語』先進)あるいはこれとの繋がりがあるか。
○ 法る−手本として真似る、模範とする。
○ 當る−相当する、匹敵する、張り合う。〔例〕 対当(対等)
○ 武丁−殷の二二代の帝。商(殷墟)に遷都した(曾祖父の盤庚が遷都したとする異伝もある)。傅説(ふえつ)を宰相として登庸し、殷を再興したと伝える。甲骨文字はこの時代以降の物が出土しているという。
○ 賢聖の君六七−「聞諸晏子、湯及太甲、祖乙、武丁、天下之大君。」(『孔叢子』)その他、『史記』殷本紀に歴世の記述がある。
○ 故家・遺俗−譜代の家臣の家(旧家)、伝統的なしきたり。
○ 流風−先人の残した美風。
○ 微子・・・−微子(微子啓)は帝乙の長子で帝辛(紂王)の兄、微国に封ぜられた。子爵の国なので、微子と呼ぶ者は複数いる。弟の微子衍(えん)=微仲衍と共に紂王に周との和睦を説いたが聴き入れられなかったので封地に帰った。微子比干は帝乙の弟で、紂王を諫めたために殺された。周が紂王を滅ぼしたとき、周成王により、殷の故地は二分され、衛と宋が建てられた。微子・微仲らは共に周に帰順し、微子啓は殷の故地商丘に宋公として封ぜられ、微仲は兄の後を継いだという。
○ 箕子−名は胥余。帝乙の弟で比干と共に紂王を諫めたが聴き入れられず、佯狂して去り、後周武王によって朝鮮に封ぜられ、箕子朝鮮を建国したと伝える。「象箸」「麥秀の嘆」等の故事が伝わる。
○ 膠鬲−塩商だったが周文王に見出だされ、殷紂王に仕え大臣となった。殷の滅んだ後、周武王に仕えて十の賢人の一人に数えられる。
○ 久而後失−なかなか亡びなかった。
○ 尺地−わずかな土地。
○ 然り而して−それでいて、そうでありながら、それなのに、ところが。逆接の接続語。
○ 起つ−興起する、勢力を確立する。
○ 是を以て−こういうわけで。殷の勢力下にありながら、小国から身を起こすのは非常な困難が伴った、ということ。
○ 鎡基−農具。鍬や鋤。耒耜(らいし)・鉏(=鋤)・耨(=鍬)の類。鎡錤・茲其などとも書く。
○ 易然−「然」は強意の助字として訓む。いかにも容易であるという意。「いぜんたり」と訓むこともできる。
○ 夏后−夏后氏とも。夏の国号。「后」は后王(=君主・天子)の意。
○ 相聞−どの地域でも互いに聞こえる。どこも人里で一杯である様子。
○ 四境−四方の国境。
○ 辟く−土地を拓く、開墾する。
○ 莫之能禦−自然の勢いで国土は充実していく。
○ 且つ−いったい、そもそも。発語の辞。
○ 疏なり−王者が現れなくなって程歴ている、又は王者に値する者に乏しい意。「疏」(=疎)は、まばらでうといこと。
○ 憔悴−やせ衰える、困苦する、思い悩む。横暴な政治に困り果てる意。
○ 飢者易爲食−腹が減った者はすぐに食物に手を出す。
○ 置郵−伝馬・飛脚のための宿駅を置いて急報を伝えること。
○ 猶解倒懸也−ちょうど逆さ吊りの刑を解かれるようなものだ。非常な苦しみから解放されて欣喜する喩え。「猶ほ」は比況形の再読文字。
○ 事・功−手間と成果。
○ 惟此時爲然−今こそ潮時なのだ。

2
○ 卿相−公卿と宰相。君主を補佐する大臣たち。
○ 覇王−覇者と王者。
○ 四十不動−「四十而不惑。」(『論語』為政)、「君子道者三、我無能焉。仁者不憂、知者不惑、勇者不懼。」(同・憲問)
○ 孟賁−?〜前三〇七。戦国時代秦武王に仕えた勇者。活躍期は孟子にやや先行するか。「烏獲・任鄙之力焉而死。成荊・孟賁・王慶忌・夏育之勇焉而死。死者人之所必不免也。」(『史記』范睢蔡沢列伝)
○ 告子−戦国時代斉の思想家。稷下の学士の一人。名は不害。
○ 北宮黝−戦国時代斉の勇士。名は黝。伝はこの章に伝えるものしかない。
○ 膚不撓、目不逃−韻を踏んだ成句と思われる。撓は撓屈の意とされるが、擾の意もあるといい、困難に遭っても顔色一つ変えない勇気を謂う。四字熟語「不撓不屈」の語源は『漢書』とされるが、孟子のこの表現が既に同じ意味を表している。
○ 一毫−毛の先ほどの些細な侮辱を指す。
○ 挫めらる−辱と同じ。「挫」はくじく意で「挫辱」と熟す。
○ 撻於市朝−街中で鞭打ちの刑を受ける。
○ 褐寛博−「褐」は目の粗い麻や獣毛の着物。「寛博」はだぶだぶの貫頭衣のような製法の服。卑賤の者を指す。褐夫。
○ 萬乘之君−天子。
○ 視る−みなす、考える、捉える。〔例〕 一視同仁
○ 刺る−詰る、けなす。勇者ではあっても、刺客とは異なり、また後の「惡聲至る」と呼応させて「刺す」ではなく「刺る」と訓む。
○ 嚴る−憚る。「嚴(げん)とす」=近寄り難いとする意。
○ 惡聲−悪口、悪い評判。
○ 反す−報いる、仕返しをする。
○ 孟施舍−伝未詳。
○ 猶勝也−負けを意識しない。勝敗の予想に動じない。
○ 量る−力量を推測・判断する。
○ 慮る−計算する、予測する。
○ 會す−会戦する、合戦する。
○ 三軍−大軍。「凡制軍、萬有二千五百人為軍。王六軍、大國三軍、次國二軍、小國一軍。軍將皆命卿。二千有五百人為師、師帥皆中大夫。五百人為旅、旅帥皆下大夫。百人為卒、卒長皆上士。二十五人為兩、兩司馬皆中士。五人伍、伍皆有長。」(『周礼』夏官司馬)
○ 子夏−前五〇七?〜前四二〇? 姓卜、名商。魯の莒父の宰となる。「文學子游・子夏。」(『論語』先進)と言われ、礼の形式を重視した。
○ 守約−守は操守、約は簡約・簡要の意。操行が一定していて、勘所を押さえていること。これを広く及ぼせば道の実践につながる(守約施博)、と孟子は言う(尽心下)
○ 子襄−曾子の門人。
○ 縮−直に同じ。正しい、正直だ。大漢和辞典には「縮」を「乱」(をさむ)とし、そこから直の意を導く。字通には「縦」とし、直はその通用であるとする。
○ 惴る−びくびくする。
○ 往く−前進する、立ち向かう。〔例〕 勇往邁進
○ 不得言、勿求於心−言葉の上で理解ができないのに、強いて心で納得しようとしてはならない。
○ 気−心が(無方向的に)外に表れたもの。
○ 不可−よくない。
○ 志−心が一定の方向に向かっていくもの。
○ 至る−極まる、最高位に行き着く。
○ 暴ふ−過度に虐げる。
○ 壹−専ら、専一。「一」の代用字ともなる。
○ 今夫れ−喩えて言えば。
○ 反動其心−気は二義的なものであるのに、これが一義的な心に作用してしまうことがあるのを「反つて」と言ったもの。蹶くことで却って心が動揺するなどの観察例。
○ 惡乎長−告子が言・心・気の順に重視して不動心を獲得すべきだと主張するのに対し、孟子が不動心を得るために(体も含めて)どれを最も重視すべきとしているか、とその主眼点を問う。
○ 善く−〜するのが上手(得意)だ、十分〜している。
○ 浩然之気−広大で力強い気を名づける。
○ 曰難言−日本語の慣用句になっている「曰く言い難し」の出典。言葉で表現するのは困難だ、という意。以下、孟子は対比や比喩を用いて、心(志)・気・言・体や義・道に至る相互の関係を述べていく。
○ 以直養−曾子の「自反而縮」を踏まえるか。
○ 無害−後の「忘」「助長」に関係する。「養ふ」とは「害ふ」ことなく「守る」営みでなければならない。
○ 塞于天地之閨|「塞」はふさがる、埋め尽くす、一杯に満ちる意。「至大至剛」なので「充つ」と訓む。一人の人間においても世を蓋ふほどの正気であり、複数の人間に広がればさらに力づよいものとなる。
○ 配す−割り当てる、相当する、合わさる。
○ 無是餒也−「餒」(音「ダイ」)は飢えて力が無くなる、腐る意。「是」が気を指すなら「体」が餒えるのか、「是」が義・道を指すなら「気」が餒えるのか、いま一つ曖昧だが、下文の「行有不慊於心、則餒矣。」に照らせば後者であろうか。
○ 是集義所生者−これも「浩然之気」を指す。
○ 義襲−集義と対比した語で、襲は「受け継ぐ、継承する」「依り従う、踏襲する」意で考える。義という「言」がまずあってそれに応分の「気」を取るという順ではない、という意味。そのために「餒」を再び繰り返している。
○ 不慊−満足しない。「気」が満たされていないことを「心」が知ると、すでに「体」が反応する。
○ 外之−之は「義」か、「心」か。義を言として対象化する意か、心の働きを度外視して義を抽象化する意か。次文も告子への批判なので、これを仮定句として次に続けた。
○ 必有事焉、而勿正。−「焉」を「これ」と訓み、「事焉」で「心」を事物化・対象化・相対化する意と解する。それに対して、「心」を正すという生きた営みが蔑ろにされるという指摘と見る。対偶としては「正心」まで含めたいが、ここでは次文に持って行き、「心」を「養ふ」には「忘」と「助長」のバランスを取りながら守ることの大切さを説いた対偶として見たい。
○ 無若宋人然−いかにもあの宋人の例らしいことをしてはならぬ、という意。「〜の若く然り」で「いかにも〜らしい」という語法。
○ 宋人−宋は殷滅亡後、商丘を中心に置かれた諸侯国で、夏の末裔と称する杞国の「杞憂」と同じく、「守株」「宋襄之仁」等の逸話で笑い話の材料にされたようである。
○ 閔ふ−可哀想に思う、心配する。憫・愍・恤も同じ。憂は心を痛めて気遣う、不安に思う意。愁は悲しむ意。患はわずらう、苦しむ意。
○ 苗−浩然之気を「養ふ」ことからの類想。
○ 揠く−揠は音「アツ」。引き抜く。根まで露出させる仕草か。論理的に不整合なので「引っ張る」と訳したりするが、愚人の仕業であれば「引き抜く」でよいか。
○ 芒芒然−疲れ切った様子。
○ 其人−家人。
○ 謂〜曰−〜に向かって言うことには。
○ 病る−疲れる。
○ 助苗長矣−「助長」の故事のいわれ。助長はよくない傾向を加速する意。義と道を見失った者が必ず陥る邪路であるという論法。
○ 槁る−枯れる。
○ 耘る−雑草を取り除く、除草する。前文の「忘る」に照応する。
○ 知言−前出「善知言」に話しを戻す。「言」は「気」と「心(志)」を基本とすることで解明できる。告子の議論を論破することになる。
○ 詖辭−偏った(ねじけた、不正な)言葉。
○ 蔽ふ−隠蔽する、包み隠す。
○ 淫辭−口から出まかせの言葉。根拠がなく、言いたい放題な出鱈目の言説。
○ 陷る−自縄自縛に陥る、語るに落ちる、馬脚を現す。
○ 邪辭−よこしまな(道に外れた、ためにする)言葉。
○ 離く−正道から外れる、常識から離反する。
○ 遁辭−逃げ口上。
○ 窮まる−進退谷(きわ)まる、どうにもならなくなる。
○ 發於其政、害於其事−心を正さずに政治を行えば、何事にも弊害をもたらす。
○ 聖人復起、必從吾言矣−堯舜や湯武、孔子のような聖人が再び現れたとしても、正心を政治の基盤に据える自分の主張に賛成してくれることだろう。「言」を知り尽くしているという自信に満ちた孟子の言葉が次の公孫丑の評価を誘発する。
○ 宰我・子貢−「言語、宰我・子貢。」(『論語』先進)
○ 冉牛・閔子・顏淵−「コ行、顏淵・閔子騫・冉伯牛・仲弓。」(『論語』先進)冉牛は冉伯牛の略。冉伯牛の名は耕、伯牛は字。仲弓は冉雍の字。政治に名を挙げられる冉求(字子有、冉有は略称)と冉耕・冉雍の関係は未詳。
○ 我於辭命、則不能也−辞命は外交辞令。『論語』に直接記述はない。「辭達而已矣。」(衛霊公)の「辭」は「辭命」を指すともいう。「爲命、裨ェ草創之、世叔討論之、行人子羽修飾之、東里子産潤色之。」(憲問)は鄭国で辞命を作る際に子産が最後に潤色を施したことを言う。子産を「君子」と呼んだ孔子は「子謂子産、有君子之道四焉、其行己也恭、其事上也敬、其養民也惠、其使民也義。」(公冶長)と称えているが、民への仁恵は尊んでも、文飾や潤色は潔しとしなかったのだろう。
○ 聖則我不能・・・−「子曰、默而識之、學而不厭、誨人不倦、何有於我哉。於我何有哉。」「子曰、若聖與仁、則吾豈敢。抑爲之不厭、誨人不倦、則可謂云爾已矣。」(『論語』述而)を指す。子貢との問答であることは見えない。
○ 子貢曰・・・−次の「子夏・子游・子張・・・」と共に『孟子』に伝える孔子学団の遺聞の一つ。
○ 竊かに−私見を述べる際の謙辞という。
○ 子夏・子游・子張・・・−以下の人物のうち、『論語』先進篇に見える「孔門十哲」に含まれないのは子張だけである。ここでは聖人の一体を備えるとされる。『荀子』には子張の学派があったことを伝える。
○ 微−規模が小さい。微小。
○ 問所安−自分はどの辺りに相当すると思うか。
○ 姑舍是−とりあえずその話は措く。
○ 何如−どうであるか。
○ 何事非君・・・−どんな君主でも事えるのが道であるという意。伯夷は殷紂王にも周武王にも仕えず、伊尹はと殷湯王から太甲に至る四代に仕えた。
○ 久し−長く仕える。
○ 乃ち−こう挙げてくれば、むしろ孔子こそ自分が手本にしたいと願うところだ。
○ 班し−等しい、同格だ。
○ 生民−人民、人類。この「自有生民以來」という言い回しは、直接には次の子貢の評語から採るが、この後頻出する。
○ 未有孔子也−孔子ほどの人はいない。
○ 然則有同與−そうであるなら孟子が伯夷・伊尹を孔子と並称したのは共通点があったためか。
○ 不辜−無辜と同じ。罪の無い者。
○ 有若−字は子有。『論語』学而篇等に有若の語が載る。
○ 汙る−見識が下る。「汙」は汚に同じ。
○ 阿其所好−依怙贔屓をする、贔負の引き倒しをする。「阿(おもね)る」は諂(へつら)う。
○ 賢る−優れている。
○ 由百世之後、等百世之王−そのまま訳せるが、要は百世後までの不世出の偉人であるという意。
○ 能違−孔子と並ぶ個性たりうること。
○ 麒麟之於走獸、・・・−四つ脚の獣でいえば麒麟の位置にある。A之於Bの形で、AとBが基本的に党類であるという比喩法。
○ 丘垤−丘や蟻塚。
○ 行潦−にわたずみ、水たまり。
○ 萃り−寄り集まり。
○ 拔んづ−突出する。抜萃(抜粋)の語はこれに基づくという。今では優れたものを抜き出す意に転化している。
○ 盛だし−甚だし。十二分であること。

3
○ 假る−名を借りる。便宜的に用いる。
○ 待つ−待ち設ける、当てにする。
○ 服す−屈服させる、支配する。
○ 非心服−「心(より)服せしむるに非ず」とも訓めるが、次文とのつながりで「服する側は」と主語を転換させるのがよい。
○ 贍る−十分である。
○ 中心−衷心。心の底。
○ 七十子−『史記』に孔子の弟子三千の中、六芸に通じる者が七十人ほどあるという記述があるが、すでに孔子の弟子として「七十子」の称呼のあったことが『孟子』から分かる。「孔子以詩書禮樂教、弟子蓋三千焉。身通六藝者七十有二人。如顏濁鄒之徒、頗受業者甚眾(おほし)。」(『史記』孔子世家)、「孔子曰、受業身通者七十有七人。皆異能之士也。」(同・仲尼弟子列伝)。顔濁鄒は人名で斉または衛の人で孔子の弟子という。
○ 思−斯。語助詞と云う。語調を整える助字。「鎬京辟廱(へきやう)。自西自東、自南自北、無思不服。」(『詩経』大雅・文王之什「文王有声」)原詩では周文王が都を置いた鎬京にある祭祀の地辟廱に各所から人が集まて信服することを謳う。比喩として詩を持ち出したものか。
4
○ 下き−低地。低湿地を指す。
○ 濶ノ−自ずから内からの不平や外からの侮りを受けることなく、内憂外患を避けて内政の充実に専念する余裕が生まれる。
○ 及是時−この時機を逃さずに。「及ぶ」は「追いつく、至る、間に合う」意。〔例〕 及時当勉励。(時に及びて当に勉励すべし。)−学ぶべき時期が過ぎ去らないうちに努力すべきだ。
○ 明政刑−政治や刑罰を恣意的なものでなく、筋の通ったものとする営みを謂う。
○ 迨天之・・・−「迨天之未陰雨、徹彼桑土、綢繆牖戸。今女下民、或敢侮予。」(『詩経』国風・豳風「鴟鴞」)鴟鴞はフクロウ。祖先の霊を表すという。迨は及。陰雨は空がかき曇って雨が降ること。徹は撤と同じく「取る、剥ぎ取る」意。土は杜の仮借(かしゃ)で、杜は根の方言という。綢繆は括って塞ぐこと。牖戸は窓や戸で、鳥の巣ではなく人家を指すともいう。女は『孟子』の此が正しいともいい、また女・爾に此の用法があるともいう。下民は人民。鳥の目から巣の下の人間を指すとも解する。或は有。この歌は全体が鳥に身を擬えた比喩歌と言われる。趣意としては、嵐の来ぬ間に余念なく準備をしておけば、人の侮りを受けることはない、というもの。
○ 孔子曰−『論語』には見えない。政治のあり方の比喩として引き合いに出したのは、前の『詩経』の引用と同じ。
○ 般樂怠敖−般楽は大いに楽しむこと。怠敖は怠け遊ぶこと。同意の文字を重ねた語。
○ 永言配命・・・−「永言配命、自求多福。」(『詩経』大雅・文王之什「文王」)言は語助詞という。配は合の意、天命に従うこと。自は用(以)の意という。ただし、本文の「禍bヘ自ら招くもの」という趣旨に沿うなら、「みづから」と訓んだ方が孟子が引用した意図に適うことになる。
○ 太甲−『書経』太甲篇。「天作孽、猶可違。自作孽、不可逭。」孽(孼の俗字)は妾腹の子を指し、禍根の意に転じた。違は食い違うようにする、避ける、逃げる意。
○ 活−生きる意。ここでは『書経』の逭(遁)に合わせた。

5
○ 俊傑−才智・人徳が抜群の人物。
○ 立於朝−朝廷に出仕する。
○ 廛−店。店舗税を指すという。「公田、藉而不税。市、廛而不税。關、譏而不征。」(『礼記』王制)
○ 征−税。「廛而不征」の場合は商品税を指すという。
○ 法−法で取り締まる。
○ 藏−商品を貯える。
○ 關−関所。税は通行税を指すか。
○ 譏ぶ−取り調べる。
○ 助−公田を八家で助耕させて、その収穫を租税とする。税は私田に課す租税を指す。
○ 野−田野。
○ 廛−ここでの廛は宅地を指すという。
○ 夫・里之布−布は布銭。夫布は定業の無い者に課し又は力役でこれに代え、里布は桑麻を植えない家に課したという。
○ 氓−民。蒼氓(そうぼう)は人民、蒼生、青人草(あおひとぐさ)
○ 仰ぐ−仰ぎ慕う、敬愛する。
○ 濟す−成就する、成し遂げる。
○ 天吏−天の使徒。

6
○ 不忍人之心−人に対して残虐な振る舞いをすることができない気持ち。他人に同情し、思いやる心。「忍ぶ」は普通なら耐えられない非道を平気で行う意。古典文として読む時は上二段活用。「忍ばず」ではなく「忍びず」と読む。
○ 斯ち−「ここに」と読まずとも、「すなはち」で意味は通じる。
○ 可運之掌上−これ(天下)を掌の上で動かす(転がす)ことができる。いとも簡単であるという喩え。
○ 乍ち−急に、遽かに、突然。〔同〕 忽ち
○ 孺子−乳呑児、幼児、子ども。「豎子」は元服前の子ども、小僧。
○ 怵タ惻隱−「怵タ」は傷ましく思うこと、恐れ慎むこと。ぎくりとして、可哀想に思う気持ち。「惻隠」は哀れに思い、強く同情を寄せる気持ち。
○ 所以−わけ、目的、理由、手段。「以て〜する所のもの」という語の成り立ちから意味を特定する。
○ 内交−交際を求める。
○ 要む−強く求める、要求する。
○ 郷黨−村人。郷里。
○ 惡其聲−(助けなかった場合の)評判を不都合に思う。
○ 由是觀之−こうしたことから考えると。
○ 羞惡−自分の悪を羞じ、他人の不善を悪むこと。「悪」は忌み嫌う意味や反語の助字では音「オ」。
○ 辭讓−遠慮して人に譲ること。次の「是非」と共に、孺子の例からは導き出せないが、人の持ち前としての善性に数えられるということ。
○ 端−発端、緒(いとぐち)。各々の道徳性に発展する契機となるもの。
○ 四端−四つの入口。仁義礼智の道に進む契機。並べ上げて数えるのは、漢文によく見る修辞である。
○ 賊ふ−害する、駄目にする。手足のように必ず備わるはずのものである上は、自己に対しては無責任となり、君主に対しては誹謗中傷となる、という論法。
○ 擴而充−天地をも蔽うに至る徳性を養うはずのもの。「拡充」の語源。
○ 然ゆ−燃える。
○ 達る−貫通する。水が湧き出すことをいう。
○ 苟くも−かりそめにも。少しでも。〜しさえすれば。
○ 四海−天下。四囲を海に囲まれた世界の全て。

7
○ 矢人−矢を作る職人。
○ 豈に〜哉−どうして〜だろうか。いや、決して〜ではないのだ。反語形。
○ 函人−甲(よろい)を作る職人。
○ 恐傷人−甲が裏をかいてその主を傷けたりはしないかと恐れる。
○ 巫・匠亦然−巫者は祈祷によって病を癒やそうとし、棺桶作りの職人は死者がいないと仕事にならない。匠人は大工、棺桶作り。
○ 術不可愼也−技術に携わる者は、何に依らず仕事を疎かにしないように注意しなければならない。職種によりその効用が本質的に相矛盾するものはあるが、技術そのものは一心に磨き上げるべきものである、という文脈。
○ 里仁・・・−「子曰、里仁爲美。擇不處仁、焉得知。」(『論語』里仁)「里仁」の里を村里とするか、「居(を)り」と訓むかで解釈が異なる。ここの本文に即して訓めば後者となる。
○ 擇ぶ−仕事を選ぶ。
○ 天之尊爵−天に賦与された尊い爵位。天爵。告子篇に「天爵」が見える。
○ 安宅−安心できる居場所。
○ 禦−防ぎ守る。防禦する。爵位と家宅の喩えから導き出す。不仁は人の尊ぶべき価値を思わざるの甚だしきものであるから不智となる。性善説からの展開。
○ 人の役−人に役使されるもの、下隸(しもべ)。本然の目的を忘れ、他の欲望に頤使される存在。
○ 恥爲役−役者は自身を恥じないはずだが、仮にも恥ずかしく思うことがあれば、それは「慎む」ことを忘れたもので、それ自体が不仁であるという意。
○ 反求ゥ己−自分の足りない点を反省する。仁を求めるという行為は、職人のように自分の技術を磨こうとする(慎む)姿勢に基づく。世の不仁を行って自己を反省すらしない為政者は、職人にも劣る、という論理である。

8
○ 子路−前五四三?〜四八一? 仲由。子路または季路は呼び名。「政事、冉有・季路。」(『論語』先進)と称せられ、孔門十哲の一人。衛に仕えたが、内乱で殺された。
○ 禹聞善言則拜−「禹拜昌言曰、俞。」(『書経』虞書「大禹謨」「皐陶謨」)昌言は善言。俞は然り。
○ 取於人−人の善を採り入れる。
○ 耕稼陶漁−「耕於歷山、歷山之耕者讓畔。陶於河濱、河濱之陶者、器不苦窳。漁於雷澤、雷澤之漁者分均。及立為天子、天下化之、蠻夷率服。」(劉向『新序』雑事一)『十八史略』にも載る舜の伝記は、すでに巷間に流布していたか。
○ 與く−助力する。

9
○ 惡人−殷紂王を指す。
○ 朝衣朝冠−朝廷に立つ衣冠礼装。
○ 塗炭−泥と炭。汚い物の喩え。泥に塗(まみ)れ、炭に焼かれるような非常な苦しみの喩えにも使う。
○ 郷人−田舎者、俗人、同郷人。
○ 望望然−恥ずかしく思って、後も振り返らずに立ち去る様子。
○ 去つ−捨て去る、立ち去る。
○ 浼す−汚す。浼は音「バイ(マイ)」。
○ 辭命−辞令。使者の口上。
○ 就ふ−赴く、付き従う。〔例〕 去就
○ 不屑−良しとしない。身の処し方が潔白だと考えない。
○ 柳下惠−展禽、字は季。恵は諡。春秋時代魯の柳下に住んだ。魯の大夫となった。
○ 汙君−心の汚れた君主。
○ 遺佚−見棄てられて仕官できなくなること。
○ 阨窮−困窮。阨は苦しむこと。
○ 憫ふ−患ふ。苦にする。
○ 故曰−柳下恵の言葉(心事を述べた文)の引用。
○ 袒裼裸裎−袒裼は膚脱ぎ。着物をまくって肱を外に出すこと。裸裎は裸になること。無作法な振る舞い。
○ 由由然−自得する様子。気にしない様子。
○ 偕にす−一緒にいる。
○ 不自失−取り乱さない。
○ 援く−引っ張る。
○ 隘し−人物が狭い、狭量である。
○ 不恭−ずぼらである、けじめがない。
○ 由る−従う、用いる。


(本文はtaiju生作「漢文エディタ」原文よりHTMLに変換したものである。原文は後日利用の便を考えて、このファイルに含めてある。又、上下のコラムを連動させるスクリプトも入っている。)