言志録
(
201)
吉凶ハ、以
テレ理ヲ言ヘバレ之
ヲ、君子
ハ常ニ吉ニシテ、
小人ハ常
ニ凶ナリ。以
テレ氣ヲ言
ヘバレ之
ヲ、有
リ二流行一、有
リ二對待一。
如キハ二盛衰迭ヒニ至ルガ一、
是レ流行
ナリ也。
憂樂相耦スルハ、是
レ對待
ナリ也。
吉凶、以理言之、君子常吉、小人常凶。以氣言之、有流行、有對待。如盛衰迭至、是流行也。憂樂相耦、是對待也。
吉凶は、理を以て之を言へば、君子は常に吉にして、小人は常に凶なり。氣を以て之を言へば、流行有り、對待有り。盛衰迭ひに至るがごときは、是れ流行なり。憂樂相耦するは、是れ對待なり。
(
202)
天下ノ之
憂ヒ、
集マルハ二於
一身ニ一、
非ザルカレ凶ニ乎。天下
ノ之
樂シミ、
歸スルハ二於一身
ニ一、非
ザルカレ吉ニ乎。
享クル二天下
ノ之樂
シミヲ一者、必
ズ任ズレバ二天下
ノ之
憂ヘニ一、
則チ吉凶果シテ何ノ所
アルカレ定マル歟。
召公云ク、無
クレ疆惟レ休ク、
亦無
クレ疆惟
レ恤フト。
天下之憂、集於一身、非凶乎。天下之樂、歸於一身、非吉乎。享天下之樂者、必任天下之憂、則吉凶果何所定歟。召公云、無疆惟休、亦無疆惟恤。
天下の憂ひ、一身に集まるは、凶に非ざるか。天下の樂しみ、一身に歸するは、吉に非ざるか。天下の樂しみを享くる者、必ず天下の憂ヘに任ずれば、則ち吉凶果して何の定まる所あるか。召公云く、疆無く惟れ休く、亦疆無く惟れ恤ふと。
(
203)
乾ハ以テレ易ヲ知ルトハ、
良知ナリ也。
坤ハ以
テレ簡ヲ能クストハ、
良能ナリ也。
乾坤ハ統
ベラル二於
太極ニ一。
知・
能ハ一ナリ也。
乾以易知、良知也。坤以簡能、良能也。乾坤統於太極。知・能一也。
乾は易を以て知るとは、良知なり。坤は簡を以て能くすとは、良能なり。乾坤は太極に統べらる。知・能は一なり。
(
204)
看來レバ、
宇宙内ノ事、
曷ゾ嘗テ有
ランレ惡。有
ル二過不及一處、
即チ是レ惡
ナリ。看來
レバ、宇宙内
ノ事、曷
ゾ嘗
テ有
ランレ善。無
キ二過不及
一處、即
チ是
レ善
ナリ。
看來、宇宙内事、曷嘗有惡。有過不及處、即是惡。看來、宇宙内事、曷嘗有善。無過不及處、即是善。
看來れば、宇宙内の事、曷ぞ嘗て惡有らん。過不及有る處、即ち是れ惡なり。看來れば、宇宙内の事、曷ぞ嘗て善有らん。過不及無き處、即ち是れ善なり。
(
205)
萬物ハ相待チテ爲シレ用ヲ、不
レ能ハ二相兼ヌル一。
是レモ亦其
ノ所-三以ナリ爲ス二一體ヲ一。
萬物相待爲用、不能相兼。是亦其所以爲一體。
萬物は相待ちて用を爲し、相兼ぬる能はず。是れも亦其の一體を爲す所以なり。
(
206)
形質相似タル者
ハ、
氣性モ亦相類ス。人
ト與レ物皆
然リ。
形質相似者、氣性亦相類。人與物皆然。
形質相似たる者は、氣性も亦相類す。人と物と皆然り。
(
207)
相ノ法非ズレ没キニ二道理一。
然レドモ其
ノ惑ハスコトレ人
ヲ不
レ尠カラ。
故ニ君子ハ不
ルナリレ爲サ也。
荀卿ノ非相、
言ハ雖モ二武斷ナリト一、而
亦説破スルコト痛快ナリ。
相法非没道理。然其惑人不尠。故君子不爲也。荀卿非相、言雖武斷、而亦説破痛快。
相の法道理没きに非ず。然れども其の人を惑はすこと尠からず。故に君子は爲さざるなり。荀卿の非相、言は武斷なりと雖も、亦説破すること痛快なり。
(
208)
雅樂感召ノ之
妙ハ、
至ル二百獸率ヰテ舞ヒ、
庶尹允ニ諧ラグニ一。
葢シ使ム二聽ク者
ヲシテ不
ラ一レ覺エ二手
ノ舞ヒ足
ノ踏ムヲ一。
何ゾ曾テ思ハンレ睡リヲ。
如キモ二鄭・
衛ノ滛哇ナルガ一、
亦使
ム二人
ヲシテ手舞
ヒ足踏
マ一。
故ニ足ルノミ三以
テ亂ルニ二雅樂
ヲ一耳。
乃チ知
ル、
魏ノ文侯ノ聽キテ二古樂ヲ一、
唯ダ恐ルヽハレ臥センコトヲ者、
恐ラクハ已ニ非ザルヲ二先王ノ之
雅操ニ一。
雅樂感召之妙、至百獸率舞、庶尹允諧。葢使聽者不覺手舞足踏。何曾思睡。如鄭・衛滛哇、亦使人手舞足踏。故足以亂雅樂耳。乃知、魏文侯聽古樂、唯恐臥者、恐已非先王之雅操。
雅樂感召の妙は、百獸率ゐて舞ひ、庶尹允に諧らぐに至る。葢し聽く者をして足の踏むを覺えざらしむ。何ぞ曾て睡りを思はん。鄭・衛の滛哇なるがごときも、亦人をして手舞ひ足踏ましむ。故に以て雅樂を亂るに足るのみ。乃ち知る、魏の文侯の古樂を聽きて、唯だ臥せんことを恐るゝは、恐らくは已に先王の雅操に非ざるを。
(
209)
雅樂ノ秘訣ハ、
在リ二聲音・
節奏ノ之
外ニ一。
尋常ノ伶工、
固ヨリ不
レ及バレ知
ルニ。
唯ダ大師ノミ或ハ可ケン二與ニ語ル一。
故ニ孔子語
ルレ之ト。
聖人ハ以
テ二天地
萬物ヲ一爲ス二一體ト一。
故ニ其
ノ所
ノレ作
ル之
樂モ、
亦自ヅカラ與二天地
一同ジウスレ流レヲ。
春氣始メテ至リ、萬物
向カフレ榮ニ。見
ル二ゥヲ翕如ニ一。
暢茂條達シテ、
大和畢ク呈ハル。見
ル二ゥ
ヲ純如ニ一。
結實シテ成
シレ形
ヲ、
條理明整ナリ。見
ル二ゥ
ヲt如ニ一。
剥-二落シテ於
外ニ一、
胎-二孕ス於
内ニ一。見
ル二ゥ
ヲ繹如ニ一。
葢シ其
ノ妙、有
ルコト下與二四時一合スル二其
ノ序ヲ一者
上、
如シレ是クノ。
唯ダ夫子ノミ能ク知
ルレ之
ヲ。
故ニ語リテ以
テ洩ラス二其
ノ秘ヲ一。
不
ンバレ然ラ、
大師ハ既ニ是レ大師
ナリ矣。
聲音・
節奏ハ、
彼ノ所
ナレバ二熟講スル一、
雖モ二夫子ト一、
烏クンゾ能ク倒ニ誨エンヤレ之
ニ邪。
雅樂秘訣、在聲音・節奏之外。尋常伶工、固不及知。唯大師或可與語。故孔子語之。聖人以天地萬物爲一體。故其所作之樂、亦自與天地同流。
春氣始至、萬物向榮。見ゥ翕如。暢茂條達、大和畢呈。見ゥ純如。結實成形、條理明整。見ゥt如。剥落於外、胎孕於内。見ゥ繹如。葢其妙、有與四時合其序者、如是。唯夫子能知之。故語以洩其秘。
不然、大師既是大師矣。聲音・節奏、彼所熟講、雖夫子、烏能倒誨之邪。
雅樂の秘訣は、聲音・節奏の外に在り。尋常の伶工、固より知るに及ばず。唯だ大師のみ或は與に語るべけん。故に孔子之と語る。聖人は天地萬物を以て一體と爲す。故に其の作る所の樂も、亦自づから天地と流れを同じうす。
春氣始めて至り、萬物榮に向かふ。ゥを翕如に見る。暢茂條達して、大和畢く呈はる。ゥを純如に見る。結實して形を成し、條理明整なり。ゥをt如に見る。外に剥落して、内に胎孕す。ゥを繹如に見る。葢し其の妙、四時と其の序を合する者有ること、是くのごとし。唯だ夫子のみ能く之を知る。故に語りて以て其の秘を洩らす。
然らずんば、大師は既に是れ大師なり。聲音・節奏は、彼の熟講する所なれば、夫子と雖も、烏くんぞ能く倒に之に誨えんや。
(
210)
須ラクシ レ知
ル二親
ノ在スル時、親
ノ身ハ即チ吾ガ身
ナルコトヲ一。親
ノ沒スル後、吾
ガ身
ハ即
チ親
ノ身
ナレバ、
則チ自ヅカラ不
レ得
レ不
ルヲ下以
テ二自ラ愛
スル之心
ヲ一愛シレ親
ヲ、以
テ二敬スルレ親
ヲ之心
ヲ一自ラ敬
セ上。
須知親在時、親身即吾身。親沒後、吾身即親身、則自不得不以自愛之心愛親、以敬親之心自敬。
須らく親の在する時、親の身は即ち吾が身なることを知るべし。親の沒する後、吾が身は即ち親の身なれば、則ち自づから自ら愛する之心を以て親を愛し、親を敬する之心を以て自ら敬せざるを得ず。
(
211)
吾靜夜獨リ思
フ、
吾ガ軀ノ一毛一髪、
一喘一息、皆
父母ナリ也。
一視一聽、
一寢一食、皆父母
ナリ也。
既ニ知
リ三吾
ガ軀
ノ之
爲ルヲ二父母
一、又知
レバ三我
ガ子
ノ之爲
ルヲ二吾
ガ軀
一、
則チ推シテ而
上グルニレ之
ヲ、
祖曾高モ無
キナリレ非ザルレ我ニ也。
逓シテ而
下グルニレ之
ヲ、
孫曾玄モ無
キナリレ非
ザルレ我
ニ也。
聖人ハ親シクス二九族ヲ一。
其ノ起コル二念頭ニ一處、
葢シ在リレ此ニ。
吾靜夜獨思、吾軀一毛一髪、一喘一息、皆父母也。一視一聽、一寢一食、皆父母也。既知吾軀之爲父母、又知我子之爲吾軀、則推而上之、祖曾高無非我也。逓而下之、孫曾玄無非我也。聖人親九族。其起念頭處、葢在此。
吾靜夜獨り思ふ、吾が軀の一毛一髪、一喘一息、皆父母なり。一視一聽、一寢一食、皆父母なり。既に吾が軀の父母たるを知り、又我が子の吾が軀たるを知れば、則ち推して之を上ぐるに、祖曾高も我に非ざる無きなり。逓して之を下ぐるに、孫曾玄も我に非ざる無きなり。聖人は九族を親しくす。其の念頭に起こる處、葢し此に在り。
(
212)
體膚ノ垢汚、
化シテ爲ル二蟣蝨ト一。不
レ得レ不
ルヲ二刷除セ一。又
思-三念スルニ此ノ物
モ亦爲ルヲ二吾ガ皮毛ノ之
末ニ所
一レ生ズル、
猶ホ不
レ忍ビレ殺スニ。
大人ノ之心
ハ、以
テ二天地
萬物ヲ一爲ス二一體ト一。其
ノ恤ミレ刑ヲ愼ムモレ罰ヲ、
即チ是レ與二此ノ念頭一一般ナリ。
體膚垢汚、化爲蟣蝨。不得不刷除。又思念此物亦爲吾皮毛之末所生、猶不忍殺。大人之心、以天地萬物爲一體。其恤刑愼罰、即是與此念頭一般。
體膚の垢汚、化して蟣蝨と爲る。刷除せざるを得ず。又此の物も亦吾が皮毛の末に生ずる所たるを思念するに、猶ほ殺すに忍びず。大人の心は、天地萬物を以て一體と爲す。其の刑を恤み罰を愼むも、即ち是れ此の念頭と一般なり。
(
213)
深夜獨リ坐ス二闇室ニ一。
群動皆
息ミ、
形影倶ニ泯ブ。
於テレ是ニ反觀スルニ、
但ダ覺
ユ三方寸ノ内有
ルヲ二烱然トシテ自ヅカラ照ラス者
一。
恰モ如シ三一點ノ燈火ノ照-二破スルガ闇室
ヲ一。
認メ得タリ、
此レ正ニ是レ我ガ神光靈昭ノ本體ニシテ、
性命ハ即チ此
ノ物、
道コモ即
チ此
ノ物
ナルヲ。
至ルモ二於
中和位育ニ一、
亦只ダ是レ此ノ物
ノ光輝ノ充-二塞スル宇宙ニ一處ナリ。
深夜獨坐闇室。群動皆息、形影倶泯。於是反觀、但覺方寸内有烱然自照者。恰如一點燈火照破闇室。認得、此正是我神光靈昭本體、性命即此物、道コ即此物。至於中和位育、亦只是此物光輝充塞宇宙處。
深夜獨り闇室に坐す。群動皆息み、形影倶に泯ぶ。是に於て反觀するに、但だ方寸の内烱然として自づから照らす者有るを覺ゆ。恰も一點の燈火の闇室を照破するがごとし。認め得たり、此れ正に是れ我が神光靈昭の本體にして、性命は即ち此の物、道コも即ち此の物なるを。中和位育に至るも、亦只だ是れ此の物の光輝の宇宙に充塞する處なり。
(
214)
孝子ハ、
即チ忠臣ナリ。
賢相ハ、即
チ良將ナリ。
孝子、即忠臣。賢相、即良將。
孝子は、即ち忠臣なり。賢相は、即ち良將なり。
(
215)
事ヘテレ君ニ不
ルハレ忠ナラ、
非ザルナリレ孝ニ也。
戰陳ニ無
キハレ勇、非
ザルナリレ孝
ニ也。
曾子ハ孝子ナリ。
其ノ言如シレ此クノ。
彼ノ謂フ三忠・
孝ハ不
ト二兩ラ全クセ一者
ハ、
世俗ノ之
見ナリ也。
事君不忠、非孝也。戰陳無勇、非孝也。曾子孝子。其言如此。彼謂忠・孝不兩全者、世俗之見也。
君に事へて忠ならざるは、孝に非ざるなり。戰陳に勇無きは、孝に非ざるなり。曾子は孝子なり。其の言此くのごとし。彼の忠・孝は兩ら全くせずと謂ふ者は、世俗の見なり。
(
216)
忍ノ字、
未ダレ拔キ-三去ラ二病根ヲ一。
所ルレ謂ハ克伐怨欲ノ不
ルレ行ハ者ナリ也。
張公藝ノ書セシハ二百ノ忍字ヲ一、
恐ラクハ俗見ナラン。
忍字、未拔去病根。所謂克伐怨欲不行者也。張公藝書百忍字、恐俗見。
忍の字、未だ病根を拔き去らず。謂はゆる克伐怨欲の行はざる者なり。張公藝の百の忍字を書せしは、恐らくは俗見ならん。
(
217)
心ノ上ニ有
ルハレ刃、
忍ナリ。忍
ノ字ハ、
非ズ二好キ字面ニ一。
但ダ借リテ做スハ二喫緊寧耐ト一可ナリ也。
要スルニ亦非
ズ二道
ノ之
至レル者
ニ一。
心上有刃、忍。忍字、非好字面。但借做喫緊寧耐可也。要亦非道之至者。
心の上に刃有るは、忍なり。忍の字は、好き字面に非ず。但だ借りて喫緊寧耐と做すは可なり。要するに亦道の至れる者に非ず。
(
218)
多ケレバ二一物一、
斯チ多
シ二一事一。多
ケレバ二一事
一、斯
チ多
シ二一累一。
多一物、斯多一事。多一事、斯多一累。
一物多ければ、斯ち一事多し。一事多ければ、斯ち一累多し。
(
219)
衆人ノ以
テ爲スレ幸ト者
ハ、
君子或ハ以
テ爲
ス二不幸ト一。君子
ノ以
テ爲
スレ幸
ト者
ハ、衆人
却ツテ以
テ爲
ス二不幸
ト一。
衆人以爲幸者、君子或以爲不幸。君子以爲幸者、衆人却以爲不幸。
衆人の以て幸と爲す者は、君子或は以て不幸と爲す。君子の以て幸と爲す者は、衆人却つて以て不幸と爲す。
(
220)
私欲不
レ可カラレ有
ル。
公欲不
レ可
カラレ無
カル。無
ケレバ二公欲
一、則
チ不
レ能
ハレ恕レムレ人
ヲ。有
レバ二私欲
一、則
チ不
レ能
ハレ仁ムレ物
ヲ。
私欲不可有。公欲不可無。無公欲、則不能恕人。有私欲、則不能仁物。
私欲有るべからず。公欲無かるべからず。公欲無ければ、則ち人を恕れむ能はず。私欲有れば、則ち物を仁む能はず。
(
221)
因リテ二民ノ義ニ一以
テ激シレ之
ヲ、因
リ二民
ノ欲ニ一以
テ趨カシメバレ之
ヲ、
則チ民忘
レテ二其
ノ生ヲ一、而
致ス二其
ノ死
ヲ一。
是レ可
シ二以
テ一戰サン一。
因民義以激之、因民欲以趨之、則民忘其生、而致其死。是可以一戰。
民の義に因りて以て之を激し、民の欲に因り以て之を趨かしめば、則ち民其の生を忘れて、其の死を致さん。是れ以て一戰すべし。
(
222)
漸ハ必
ズ成シレ事
ヲ、
惠ハ必
ズ懷クレ人
ヲ。
如キ二歴代ノ姦雄ノ一、有
レバ下竊ム二其
ノ秘ヲ一者
上、
一時ナルモ亦能ク遂グレ志ヲ。可
キノレ畏ル之
至リナリ。
漸必成事、惠必懷人。如歴代姦雄、有竊其秘者、一時亦能遂志。可畏之至。
漸は必ず事を成し、惠は必ず人を懷く。歴代の姦雄のごとき、其の秘を竊む者有れば、一時なるも亦能く志を遂ぐ。畏るべきの至りなり。
(
223)
匿情ハ似二愼密ニ一、
柔媚ハ似
二恭順ニ一、
剛愎ハ似
ル二自信ニ一。
故ニ君子ハ惡ム二似
テ而
非ナル者ヲ一。
匿情似愼密、柔媚似恭順、剛愎似自信。故君子惡似而非者。
匿情は愼密に似、柔媚は恭順に似、剛愎は自信に似る。故に君子は似て非なる者を惡む。
(
224)
惻隱ノ之心
偏スレバ、
民或ハ有
リ二溺レテレ愛ニ殞スレ身
ヲ者
一。
羞惡ノ之心偏
スレバ、民或
ハ有
リ下自ラ經ルヽ二溝瀆ニ一者
上。
辭讓ノ之心偏
スレバ、民或
ハ有
リ二奔リ亡セテ風狂スル者
一。
是非ノ之心偏
スレバ、民或
ハ有
リ二兄弟鬩ギレ牆ニ、
父子相訟フル者
一。
凡ソ情ノ之偏
スルハ、
雖モ二四端ト一、
遂ニ陷ル二不善ニ一。
故ニ學ンデ以
テ致シ二中和ヲ一、
歸ス三於
無キニ二過不及一。
謂フ二之
ヲ復性ノ之
學ト一。
惻隱之心偏、民或有溺愛殞身者。羞惡之心偏、民或有自經溝瀆者。辭讓之心偏、民或有奔亡風狂者。是非之心偏、民或有兄弟鬩牆、父子相訟者。凡情之偏、雖四端、遂陷不善。故學以致中和、歸於無過不及。謂之復性之學。
惻隱の心偏すれば、民或は愛に溺れて身を殞す者有り。羞惡の心偏すれば、民或は自ら溝瀆に經るゝ者有り。辭讓の心偏すれば、民或は奔り亡せて風狂する者有り。是非の心偏すれば、民或は兄弟牆に鬩ぎ、父子相訟ふる者有り。凡そ情の偏するは、四端と雖も、遂に不善に陷る。故に學んで以て中和を致し、過不及無きに歸す。之を復性の學と謂ふ。
(
225)
情ノ之
本體ハ、
即チ性ナレバ也、
則チ惡ノ之本體
ハ、即
チ善ナリ也。惡
モ亦不
レ可
カラレ不
ルレ謂ハ二之
ヲ性ト一。
情之本體、即性也、則惡之本體、即善也。惡亦不可不謂之性。
情の本體は、即ち性なれば、則ち惡の本體は、即ち善なり。惡も亦之を性と謂はざるべからず。
(
226)
經ノ之
妙ナル二於
用ニ一處ハ、
是レ權ナリ。權
ノ之
定マル二於
體ニ一處
ハ、是
レ經ナリ。
程子ノ權
ハ只ダ是
レ經
ノ一句
ハ、
詮ズルトコロ極メテ妙。
經之妙於用處、是權。權之定於體處、是經。程子權只是經一句、詮極妙。
經の用に妙なる處は、是れ權なり。權の體に定まる處は、是れ經なり。程子の權は只だ是れ經の一句は、詮ずるところ極めて妙。
(
227)
賞罰ハ與レ世輕重ス。
然レドモ其ノ分數ノ大略ハ、
十中ノ七ハ賞ニシテ、十中
ノ三ハ罰ナルガ、
可ナリ也。
賞罰與世輕重。然其分數大略、十中七賞、十中三罰、可也。
賞罰は世と輕重す。然れども其の分數の大略は、十中の七は賞にして、十中の三は罰なるが、可なり。
(
228)
孟子以
テ下急ニシ二先務ヲ一、急
ニスルヲ中親賢ヲ上、
爲ス二堯舜ノ之
仁智ト一。
試ミニ撿スルニ二二典ヲ一、
並ビニ皆
前半截ハ、
是レ急
ニシ二先務
ヲ一、
後半截ハ、是
レ急
ニス二親賢
ヲ一。
孟子以急先務、急親賢、爲堯舜之仁智。試撿二典、並皆前半截、是急先務、後半截、是急親賢。
孟子先務を急にし、親賢を急にするを以て、堯舜の仁智と爲す。試みに二典を撿するに、並びに皆前半截は、是れ先務を急にし、後半截は、是れ親賢を急にす。
(
229)
堯舜ノ之
上、善無
シレ盡クル。
責ムルレ備ハルヲ之
言ハ、
畢竟難キナリ也。必
ズ先ヅ知
リ二其
ノ人
ノ分量ノ所
ヲ一レ至ル、
然ル後責
ムレ備
ハルヲ。不
ンバレ然ラ寧ゾ有
ラン二窮極一。
堯舜之上、善無盡。責備之言、畢竟難也。必先知其人分量所至、然後責備。不然寧有窮極。
堯舜の上、善盡くる無し。備はるを責むる之言は、畢竟難きなり。必ず先づ其の人の分量の至る所を知り、然る後備はるを責む。然らずんば寧ぞ窮極有らん。
(
230)
坤厚ク載スレ物
ヲ。人
當ニシ レ體スレ之
ヲ。
哀シミレ喪ヲ敬スルモレ祭リヲ、
亦自リ二一
ノ厚ノ字ノ裏面一出來ス。
坤厚載物。人當體之。哀喪敬祭、亦自一厚字裏面出來。
坤厚く物を載す。人當に之を體すべし。喪を哀しみ祭りを敬するも、亦一の厚の字の裏面より出來す。
(
231)
父母ノ遺セル衣服・
器玩、
爲ル二子孫一者
ハ、
當ニシ 下愛-二護シ之ヲ一、以
テ無
カル上レ忘ルヽコト二追慕ヲ一。
決シテ無
シ二脱シテレ手ヲ贈ルレ人
ニ之
理一。今
喪家分-二贈ス遺物ヲ一。
漢土モ亦輓近有
リ二孝布・
孝帛一。
並ビニ弊俗ナリ也。
金ノ世宗ノ却ク二宋ノ遺物ヲ一、
亦有
リレ見。
父母遺衣服・器玩、爲子孫者、當愛護之、以無忘追慕。決無脱手贈人之理。今喪家分贈遺物。漢土亦輓近有孝布・孝帛。並弊俗也。金世宗却宋遺物、亦有見。
父母の遺せる衣服・器玩、子孫たる者は、當に之を愛護し、以て追慕を忘るゝこと無かるべし。決して手を脱して人に贈る之理無し。今喪家遺物を分贈す。漢土も亦輓近孝布・孝帛有り。並びに弊俗なり。金の世宗の宋の遺物を却く、亦見有り。
(
232)
能クヘ-二育スルハ子弟ヲ一、
非ズ二一家ノ之
私事ニ一。
是レ事フルレ君ニ之
公事ナリ也。
非ザレバ二事
フルレ君
ニ之公事
ニ一、是
レ事
フルレ天ニ之
職分ナリ也。
能ヘ育子弟、非一家之私事。是事君之公事也。非事君之公事、是事天之職分也。
能く子弟をヘ育するは、一家の私事に非ず。是れ君に事ふる之公事なり。君に事ふる之公事に非ざれば、是れ天に事ふる之職分なり。
(
233)
孔門ノ之
學ハ、
耑ラ在リ二躬行ニ一。
門人ノ問
フ目、皆
擧ゲテ二己ノ所
ヲ一レ當ニキ レ爲ス質スレ之
ヲ。
非ズレ如キニ二後人ノ執リテレ經ヲ叩問スルガ一。
故ニ夫子ノ之
答フルモレ之
ニ、
亦人人異ナリ。
大抵皆
矯メレ偏レルヲ救ヒレ弊ヲ、
裁チレ長キヲ補ヒレ短キヲ、
以テ歸セシムルノミ二ゥヲ正ニ一而已。
譬ヘバ猶ホシ 二良醫ノ對シテレ症ニ處スルガ一レ劑ヲ。
症ハ人人異
ナリ。
故ニ劑
モ亦人人異
ナリ。
懿子・
武伯・
子游・
子夏、
所レ問フ同ジウシテ、而
答ヘ各〻不
ルモレ同
ジカラ、
亦可
シ三以テ想フ二當時ノ之
學ヲ一。
孔門之學、耑在躬行。門人問目、皆擧己所當爲質之。非如後人執經叩問。故夫子之答之、亦人人異。大抵皆矯偏救弊、裁長補短、以歸ゥ正而已。譬猶良醫對症處劑。症人人異。故劑亦人人異。懿子・武伯・子游・子夏、所問同、而答各不同、亦可以想當時之學。
孔門の學は、耑ら躬行に在り。門人の問ふ目、皆己の當に爲すべき所を擧げて之を質す。後人の經を執りて叩問するがごときに非ず。故に夫子の之に答ふるも、亦人人異なり。大抵皆偏れるを矯め弊を救ひ、長きを裁ち短きを補ひ、以てゥを正に歸せしむるのみ。譬へば猶ほ良醫の症に對して劑を處するがごとし。症は人人異なり。故に劑も亦人人異なり。懿子・武伯・子游・子夏、問ふ所同じうして、答へ各〻同じからざるも、亦以て當時の學を想ふべし。
(
234)
經書ノ文字ハ、以
テ二文字
ヲ一注シ-二明カニスルモ之
ヲ一可ナリ也。
意味ハ則チ當ニシ 下以
テ二我
ガ心
ヲ一透入シテ得上レ之
ヲ。
畢竟不
レ能ハレ着クル二文字
ヲ一。
經書文字、以文字注明之可也。意味則當以我心透入得之。畢竟不能着文字。
經書の文字は、文字を以て之を注し明かにするも可なり。意味は則ち當に我が心を以て透入して之を得べし。畢竟文字を着くる能はず。
(
235)
窮ムルニハレ經ヲ、
須ラクシ レ要
ス下考-二據シ於
此ノ心
ニ一、
引-中證スルヲ於此
ノ心
ニ上。
如シ徒ラニ就キテ二文字ノ上ニ一考據・引證
シ、
輙チ謂ハヾ二窮
ムルコトレ經
ヲ止マレリト一レ此ニ、
則チ陋モ甚ダシ。
窮經、須要考據於此心、引證於此心。如徒就文字上考據・引證、輙謂窮經止此、則陋甚。
經を窮むるには、須らく此の心に考據し、此の心に引證するを要すべし。如し徒らに文字の上に就きて考據・引證し、輙ち經を窮むること此に止まれりと謂はゞ、則ち陋も甚だし。
(
236)
窮ムルハレ經ヲ必
ズ有
リ二義理・文理
湊合スル處一。
一ニ以
テ二吾
ガ識ヲ一斷ゼバレ之
ヲ、
斯チ爲スレ得タリト。
窮經必有義理・文理湊合處。一以吾識斷之、斯爲得。
經を窮むるは必ず義理・文理湊合する處有り。一に吾が識を以て之を斷ぜば、斯ち得たりと爲す。
(
237)
先儒ノ經解ノ謬誤ハ、不
レ得
レ不
ルヲ二訂正セ一。
但シ須ラクシ レ出ヅレ於
レ不
ルニレ得レ已ムヲ。不
レ容ニカラ レ有
ル二好ムレ異ヲ之
念一。
先儒經解謬誤、不得不訂正。但須出於不得已。不容有好異之念。
先儒の經解の謬誤は、訂正せざるを得ず。但し須らく已むを得ざるに出づべし。容に異を好む之念有るべからず。
(
238)
讀書ノ法ハ當ニシ レ師トス二孟子ノ三言ヲ一。
曰ク、以
テレ意ヲ逆フレ志ヲ。曰
ク、不
二盡クハ信ゼ一レ書ヲ。曰
ク、
知リレ人
ヲ論ズトレ世
ヲ。
讀書法當師孟子三言。曰、以意逆志。曰、不盡信書。曰、知人論世。
讀書の法は當に孟子の三言を師とすべし。曰く、意を以て志を逆ふ。曰く、盡くは書を信ぜず。曰く、人を知り世を論ずと。
(
239)
講ズルレ經ヲ之
法ハ、
要シ二簡明ナルヲ一、不
レ要
セ二煩悉ナルヲ一。要
シ二平易ナルヲ一、不
レ要
セ二艱奥ナルヲ一。
只ダ須ラクキヲ レ使ム三聽ク者
ヲシテ得二大意ノ分曉ナルヲ一可
トス也。至
リテハ二深キ意ノ處ニ一、
則チ畢竟非ズ三口舌ノ所
ニ二能ク盡ス一。
但ダ或ハ察-二識シ子弟ノ受クルレ病ヲ處ヲ一、
間ク及ビ二餘意ニ一、
替リテ二聖賢ノ口語ニ一、
一二箴砭シ、
使ムルモ二其レヲシテ頗ル有
ラ一レ所
二省悟スル一、
亦儘好シ。
若キハ下夫ノ簸-二弄シ口舌
ヲ一、
縱横ニ辨博シ、
使ムルガ中聽ク者
ヲシテ解キレ頤ヲ忘レ上レ疲レヲ、則
チ非ズ二講
ズルレ經
ヲ本意ニ一。
講經之法、要簡明、不要煩悉。要平易、不要艱奥。只須使聽者得大意分曉可也。至深意處、則畢竟非口舌所能盡。但或察識子弟受病處、間及餘意、替聖賢口語、一二箴砭、使其頗有所省悟、亦儘好。若夫簸弄口舌、縱横辨博、使聽者解頤忘疲、則非講經本意。
經を講ずる之法は、簡明なるを要し、煩悉なるを要せず。平易なるを要し、艱奥なるを要せず。只だ須らく聽く者をして大意の分曉なるを得しむべきを可とす。深き意の處に至りては、則ち畢竟口舌の能く盡す所に非ず。但だ或は子弟の病を受くる處を察識し、間く餘意に及び、聖賢の口語に替りて、一二箴砭し、其れをして頗る省悟する所有らしむるも、亦儘好し。夫の口舌を簸弄し、縱横に辨博し、聽く者をして頤を解き疲れを忘れしむるがごときは、則ち經を講ずる本意に非ず。
(
240)
不定ニシテ而
定マル、
謂フ二之
ヲ无妄ト一。
宇宙ノ間、
唯ダ有
リテ二此ノ活道理一充塞ス焉。
萬物得テレ此ヲ、
以テ成ス二其ノ性ヲ一。
所ルレ謂ハ物與フナリ二无妄ニ一也。
不定而定、謂之无妄。宇宙間、唯有此活道理充塞焉。萬物得此、以成其性。所謂物與无妄也。
不定にして定まる、之を无妄と謂ふ。宇宙の間、唯だ此の活道理有りて充塞す。萬物此を得て、以て其の性を成す。謂はゆる物无妄に與ふなり。
(
241)
物ハ固ヨリ活ナリ也、
事モ亦活
ナリ也。
生ハ固
ヨリ活
ナリ也、
死モ亦活
ナリ也。
物固活也、事亦活也。生固活也、死亦活也。
物は固より活なり、事も亦活なり。生は固より活なり、死も亦活なり。
(
242)
天定ノ之
數ハ、不
レ能ハ二移動スル一。
故ニ人生徃徃ニシテ負ウテ三其
ノ所
ヲ二期望スル一、而
モ趨ク二其
ノ所
ニ一レ不
ル二期望
セ一。
吾人試ミニ反-二顧セバ過去ノ履歴ヲ一可シレ知
ル。
天定之數、不能移動。故人生徃徃負其所期望、而趨其所不期望。吾人試反顧過去履歴可知。
天定の數は、移動する能はず。故に人生徃徃にして其の期望する所を負うて、而も其の期望せざる所に趨く。吾人試みに過去の履歴を反顧せば知るべし。
(
243)
世ニ有
リ二君子一、有
リ二小人一。
其ノ迭ヒニ相消長スル者ハ、
數ナリ也。數
ノ之
所-二以ノ不
ル一レ得レ不
ルヲレ然ラ者
ハ、
即チ理ナリ也。理
ニ有
リ二可
キレ測ル之理
一、有
リ二不
ルレ可
カラレ測
ル之理
一。
要スルニレ之
ヲ皆
一理ナリ也。人
ハ當ニシ 下安ンジ二於可
キレ測
ル之理
ニ一、以
テ俟ツ中於不
ルレ可
カラレ測
ル之理
ヲ上。
是レ人
ノ道
ナリ也。即
チ天
ノ命ナリ也。
世有君子、有小人。其迭相消長者、數也。數之所以不得不然者、即理也。理有可測之理、有不可測之理。要之皆一理也。人當安於可測之理、以俟於不可測之理。是人道也。即天命也。
世に君子有り、小人有り。其の迭ひに相消長する者は、數なり。數の然らざるを得ざる所以の者は、即ち理なり。理に測るべき之理有り、測るべからざる之理有り。之を要するに皆一理なり。人は當に測るべき之理に安んじ、以て測るべからざる之理を俟つべし。是れ人の道なり。即ち天の命なり。
(
244)
凡ソ作スニレ事
ヲ、
當ニシ 下盡シテ二於人
ヲ一而
聽ス中於
天ニ上焉。有
リレ人、
平生放懶怠惰ニシテ、
輙チ謂フ、
人力ハ徒勞ニシテ無
シレ益、
數ハ諉スト二於
天來ニ一。
則チ事必
ズ不
レ成ラ。
葢シ是ノ人、天
奪ヒテ二之
ガ魄ヲ一使ムレ然ラ。
畢竟亦數
ナリ也。有
リレ人、平生
敬愼勉力ニシテ、
乃チ謂フ、
人理ハ不
レ可
カラレ不
ルレ盡サ、數
ハ俟ツト二於
天定ニ一。
則チ事必
ズ成ル。葢
シ是
ノ人、天
誘キテ二之
ガ衷ヲ一使
ムレ然
ラ。畢竟亦數
ナリ也。
又有
リ下盡シテ二於
人ヲ一而モ事不
ル上レ成
ラ。
是レ理ハ可
クシテレ成
ル、
而モ數
未ダル レ至ラ者ナリ。數至
レバ則
チ成
ル。不
シテレ盡
サ二於人
ヲ一而
モ事
偶マ成
ル。是
レ理
ハ不
シテレ可
カラレ成
ル、而
モ數
已ニ至
ル者
ナリ。
終ニハ亦必
ズ致スレ敗ルヽヲ。
要スルニレ之
ヲ皆
數ナリ也。
成敗有
ルモ下不
シテレ於テセ二其ノ身
ニ一而於
テスル二其
ノ子孫
ニ一者
上、
亦數
ナリ也。
凡作事、當盡於人而聽於天焉。有人、平生放懶怠惰、輙謂、人力徒勞無益、數諉於天來。則事必不成。葢是人、天奪之魄使然。畢竟亦數也。有人、平生敬愼勉力、乃謂、人理不可不盡、數俟於天定。則事必成。葢是人、天誘之衷使然。畢竟亦數也。
又有盡於人而事不成。是理可成、而數未至者。數至則成。不盡於人而事偶成。是理不可成、而數已至者。終亦必致敗。要之皆數也。成敗有不於其身而於其子孫者、亦數也。
凡そ事を作すに、當に人を盡して天に聽すべし。人有り、平生放懶怠惰にして、輙ち謂ふ、人力は徒勞にして益無し、數は天來に諉すと。則ち事必ず成らず。葢し是の人、天之が魄を奪ひて然らしむ。畢竟亦數なり。人有り、平生敬愼勉力にして、乃ち謂ふ、人理は盡さざるべからず、數は天定に俟つと。則ち事必ず成る。葢し是の人、天之が衷を誘きて然らしむ。畢竟亦數なり。
又人を盡して而も事成らざる有り。是れ理は成るべくして、而も數未だ至らざる者なり。數至れば則ち成る。人を盡さずして而も事偶ま成る。是れ理は成るべからずして、而も數已に至る者なり。終には亦必ず敗るゝを致す。之を要するに皆數なり。成敗其の身に於てせずして其の子孫に於てする者有るも、亦數なり。
(
245)
數ハ始マツテ二於
一ニ一、而
成ル二於
十ニ一。
十ハ復タ歸ス二於一
ニ一。
大ニシテ而
百千萬億、
小ニシテ而
分釐毫絲、皆
一ト十トノ之
分合シテ、以
テ至ルナリ二無窮ニ一也。
易ハ自リシテ二太極一而
起コリ、
至ツテ二四象ニ一、而
數略〻具ル。以
テナリ二其ノ一二三四ノ之
積、
始メテ成スヲ一レ十
ヲ也。
就キテ二十
ノ中ニ一、
除ケバ二老陽位ノ一
ヲ一、
則チ餘リハ九ナリ。
故ニ九
ヲ爲ス二老陽
ノ之
數ト一。就
キテ二十
ノ中
ニ一、除
ケバ二少陰位ノ二
ヲ一、則
チ餘
リハ八ナリ。故
ニ八
ヲ爲
ス二少陰
ノ之數
ト一。就
キテ二十
ノ中
ニ一、除
ケバ二少陽位ノ三ヲ一、則
チ餘
リハ七ナリ。故
ニ七
ヲ爲
ス二少陽
ノ之數
ト一。就
キテ二十
ノ中
ニ一、除
ケバ二老陰位ノ四ヲ一、則
チ餘
リハ六ナリ。故
ニ六
ヲ爲
ス二老陰
ノ之數
ト一。
又自リレ一
至ルレ十
ニ之
積ハ、
則チ成ス二五十五ヲ一。
謂フ二之ヲ天地ノ之
數ト一。今
試ミニ屈-二伸シテ五指ヲ一數フレ之
ヲ。
先ヅ自
リ二大指一屈シテ爲シレ一
ト、
食指ヲ爲
シレ二
ト、
中指ヲ爲
シレ三
ト、
無名指ヲ爲
シレ四
ト、
小指ヲ爲
スレ五
ト。
再ビ自
リ二小指
一伸バシテ爲
シレ六
ト、六
ト與ハレ五、
即チ十一。無名指
ヲ爲
シレ七
ト、七
ト與
ハレ四、即
チ十一。中指
ヲ爲
シレ八
ト、八
ト與
ハレ三、即
チ十一。食指
ヲ爲
シレ九
ト、九
ト與
ハレ二、即
チ十一。大指
ヲ爲
シレ十
ト、十
ト與
ハレ一、即
チ十一。
毎ニ二一指
一、皆十一
ナリ。
合シテ二五指
ヲ一、而
成セバ二五十五
ヲ一、則
チ天地
ノ之數
ナリ。
葢シ既ニ具ハレリ二於
掌中ニ一矣。
又
就キテ二天地
ノ之
數ニ一、以
テ二其
ノ五十ヲ一充テ二蓍ノ數
ニ一、
餘ノ五
ハ虚ニシテレ之
ヲ、以
テ擬ス二卦位ニ一。卦位
ハ六虚ナリ。五
ハ則
チ一不
レ足ラ。蓍
ハ用ヰル二四十九ヲ一。五十
ハ則
チ一有
リレ餘リ。
並ビニ未定ナリ也。
方リ二筮スル時
ニ一、蓍
ハ虚
ニス二其
ノ一
ヲ一。
葢シ去
リテ二其
ノ有
ルヲ一レ餘
リ、
歸ス二之
ヲ於不
ルニ一レ足
ラ。
是レ感應ノ之
機ナリ也。
乃チ蓍
ノ數
退キテ成
シ二四十九
ヲ一、而卦位
進ミテ具ヘ二六虚
ヲ一、以
テ待
ツ二於
六十四ヲ一。數
於テレ是ニ定マル矣。蓍
ノ之
コハ、
圓ニシテ而
神ナリ。
故ニ七
ニス二其
ノ七
ヲ一。
卦ノ之コ
ハ、
方ニシテ以
テ智ナリ。故
ニ八
ニス二其
ノ八
ヲ一。
用ヰレ七
ヲ求メレ八
ヲ、
得二九ト與ヲ一レ六。
以テ推ス二吉凶悔吝ノ之所
ヲ一レ趨ク。
凡ソ是レ數理ノ之
秘ナリ也。不
シテ二獨リ易ヲ爲スノミナラ一レ然リト、
而シテ萬物ノ之
數モ、
亦皆不
レ越エ二於
此ニ一。
數始於一、而成於十。十復歸於一。大而百千萬億、小而分釐毫絲、皆一十之分合、以至無窮也。易自太極而起、至四象、而數略具。以其一二三四之積、始成十也。
就十中、除老陽位一、則餘九。故九爲老陽之數。就十中、除少陰位二、則餘八。故八爲少陰之數。就十中、除少陽位三、則餘七。故七爲少陽之數。就十中、除老陰位四、則餘六。故六爲老陰之數。
又自一至十之積、則成五十五。謂之天地之數。今試屈伸五指數之。先自大指屈爲一、食指爲二、中指爲三、無名指爲四、小指爲五。再自小指伸爲六、六與五、即十一。無名指爲七、七與四、即十一。中指爲八、八與三、即十一。食指爲九、九與二、即十一。大指爲十、十與一、即十一。毎一指、皆十一。合五指、而成五十五、則天地之數。葢既具於掌中矣。
又就天地之數、以其五十充蓍數、餘五虚之、以擬卦位。卦位六虚。五則一不足。蓍用四十九。五十則一有餘。並未定也。方筮時、蓍虚其一。葢去其有餘、歸之於不足。是感應之機也。乃蓍數退成四十九、而卦位進具六虚、以待於六十四。數於是定矣。蓍之コ、圓而神。故七其七。卦之コ、方以智。故八其八。用七求八、得九與六。以推吉凶悔吝之所趨。凡是數理之秘也。不獨易爲然、而萬物之數、亦皆不越於此。
數は一に始まつて、十に成る。十は復た一に歸す。大にして百千萬億、小にして分釐毫絲、皆一と十との分合して、以て無窮に至るなり。易は太極よりして起こり、四象に至つて、數略〻具る。其の一二三四の積、始めて十を成すを以てなり。
十の中に就きて、老陽位の一を除けば、則ち餘りは九なり。故に九を老陽の數と爲す。十の中に就きて、少陰位の二を除けば、則ち餘りは八なり。故に八を少陰の數と爲す。十の中に就きて、少陽位の三を除けば、則ち餘りは七なり。故に七を少陽の數と爲す。十の中に就きて、老陰位の四を除けば、則ち餘りは六なり。故に六を老陰の數と爲す。
又一より十に至る之積は、則ち五十五を成す。之を天地の數と謂ふ。今試みに五指を屈伸して之を數ふ。先づ大指より屈して一と爲し、食指を二と爲し、中指を三と爲し、無名指を四と爲し、小指を五と爲す。再び小指より伸ばして六と爲し、六と五とは、即ち十一。無名指を七と爲し、七と四とは、即ち十一。中指を八と爲し、八と三とは、即ち十一。食指を九と爲し、九と二とは、即ち十一。大指を十と爲し、十と一とは、即ち十一。一指毎に、皆十一なり。五指を合して、五十五を成せば、則ち天地の數なり。葢し既に掌中に具はれり。
又天地の數に就きて、其の五十を以て蓍の數に充て、餘の五は之を虚にして、以て卦位に擬す。卦位は六虚なり。五は則ち一足らず。蓍は四十九を用ゐる。五十は則ち一餘り有り。並びに未定なり。筮する時に方り、蓍は其の一を虚にす。葢し其の餘り有るを去りて、之を足らざるに歸す。是れ感應の機なり。乃ち蓍の數退きて四十九を成し、而して卦位進みて六虚を具へ、以て六十四を待つ。數是に於て定まる。蓍のコは、圓にして神なり。故に其の七を七にす。卦のコは、方にして以て智なり。故に其の八を八にす。七を用ゐ八を求め、九と六與を得。以て吉凶悔吝の趨く所を推す。凡そ是れ數理の秘なり。獨り易を然りと爲すのみならずして、而して萬物の數も、亦皆此に越えず。
文政癸未嘉平月 福知山城主源綱條校字
(本文はtaiju生作「漢文エディタ」原文よりHTMLに変換したものである。原文は後日利用の便を考えて、このファイルに含めてある。又、上下のコラムを連動させるスクリプトも入っている。)