時代私観(戸川秋骨) 1/21

時代私觀

戸川秋骨
(日高有倫堂 明411125

時代私觀目次


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◎ 思想上の日英同盟と親露主義

えいに親しむべきか、そもそもまたに近づくべきかは、我が經世家けいせいかの考慮をわづらはせし問題にして、諸家おの〳〵其のけんことにする所なるべし。日英同盟成れるの後といへどほ此の種の論議は時に應じて繰りかへされたり。外邦ぐわいはうに對する一國の關係は、必ず其等それらいつゑらんで提携し、を敵視するのほか餘地なきものか、門外漢の余の知るところにあらず。今や日英同盟の他日佛にちふつ協約あり日露益々ます〳〵親善ならんとするが如く、同時に歐州おうしうける英露の關係は昔日せきじつごとくに非ずしてすこぶ順調にあり。すなはち東邦に於ける亞布汗アフガン國境問題のごときも圓滿ゑんまんなる妥協を遂げたりと云ふ。極東きよくとうに於ける兩者の關係またの利害はなはだしく相反するものに非ざるし。けだし日英の同盟と共に日露の相提携するをば、それは世界の幸福なるべきか。く云ふ余はがらになき政治論を爲さんとするに非ず、いさゝか此の二大強國の關係より我が思想界の歸趣をうかゞはんとほつするのみ。我が國の思想界にもた日英同盟論と親露主義とあり。言はなは好事に過ぎたるのきらひあれども、大體だい〳〵かる名稱を加へて差支さしつかへなかる可し。
余はづ親露主義の如何いかなるものかをかん。日露の戰爭たけなはなるの時、世間が口を極めて敵國をのゝしり、しきりに人心を皷舞こぶしつゝありしに際し、一部の人士じんしが特に露西亞ロシア文學に憧憬しようけいこと有爲いうゐの靑年が多大なる其の影響をけつゝありしは、かつて余の注意したりし所にして又た世人せじんの共に認めたるところなり。余が所謂いはゆる親露主義なる名稱をあたへたるは斯くの如き一派の思想を指せるなり。彼等人士の憧憬するは必ずしも露西亞文學に限れるに非ず、或は佛蘭西フランス文學にあるい伊太利イタリイ文學に其の一味類似の傾向を追ふもの即ちれなり。しかも其の最も嗜好し私淑ししゆくするところは露西亞にあり。
いはくツルゲニエフ、トルストイ、ドストイエフスキイ、ゴルキイ、チエーホフ、アンドレエフ、メレジコヴスキイ是等これらの名は常に文壇ぶんだんに繰りかへされ、特に新進氣鋭の文人が愛好し、崇拜するところたり。今その實際の状態を云はんとせば、これを其の飜譯ほんやくいて見るにくはなし。飜譯界に於ては吾人ごじんは先づツルゲニエフの「オン、ゼ、イヴ」(その前夜)をぐ可し。トルストイの「チヤイルドフツド、ボーイフツド、云々」(生立おひたちの記)亦たすでに飜譯を見たり。更にツルゲニエフの「ルーヂン」(浮草)既に公にせられて、トルストイの「復活」またまさに世にいでんとせり。シンキウヰツチに至りては、嚴密なる意味に於て露西亞の作物さくぶつと見るには多少の異議ある可しと雖も亦た極めてこれに近きものなり。しかして其の「クオ、ヴアデス」(何處どこへ)「ザツト、サード、ウーマン」(二人畫工ぐわこう)もまた發賣はつばいされ、しかも頗る好評をはくせり。歐州文學のかず多きが中に此の最近に於ける飜譯を擧ぐるも猶ほ斯くの如し、是れあに露西亞文學萬歳ばんざいに非ずや。親露主義が翕然きふぜんとして思想界に勢を有すと云ふも决して誇大の言に非ず。識者はたんの現象をもつて書生仲間に於ける一時の風潮とる可からざるなり。
斯くの如きは事實明白に世に現はれたるものなり、れ隱れたるに於ては、其の勢力の如何いか深大じんだいなるかを知らず。例之たとへば相應に外國語をかいる學生に、その愛好し又た一讀したる西洋の作物を問へ、彼等は必ずツルゲニエフを以て答ふ可し、これ余が實驗じつけんしたる所なり。猶ほ聞くがごとくんば、山間の小都會においてすら、ツルゲニエフの英譯書えいやくしよは店頭の書架しよかかゝげらると云ふ。其の勢力の深甚しんじんなるむしろ意外とすべきのみ。人或は言はん开は作品の價値かちしくは其の趣味如何いかんによるに非ず、英譯書の解釋に容易たやすきがゆゑのみと。盖し开はまさに一面の理由なる可し、しかれどもはたしてそは理由のすべてなるか。斯く云ふ人はいまだ露西亞の作物を讀まざる人にはあらざるか、そもそまた讀みて而して猶ほ此のげんを爲すか。前者ぜんしやならば先づ一讀をわづらはすべく、一讀を煩はして後論議を試むべし、後者こうしやならば余は斯くの如き人を以て初より論議を交ふ可き人に非ずと云はんのみ。
然らば何故なぜに露西亞文學が斯くの如き勢力を有するや。余はかつ英吉利イギリス思想を説きて其の日本に行はれざる理由を述べ、たまたま露西亞文學のしかく好迎かうげいさるゝ所以ゆゑんに及べり。今再びこれこゝに説くことあたはざるもほ簡單にこれにきて一言いちげんせんか、の國情がわれ酷似こくじすると云ふにす可し。第一に露西亞は他の歐州の列強と離れて、や東邦趣味のあるところなり。第二に彼と我との間に於ける治者と被治者との關係すこぶる類似せり、彼の治者と被治者のあらそひは歐州の他の列強のそれの如くに非ずしてむしろ我のそれに近し。第三に歐州の新思想に逢着ほうちやくしたることの新しきが相似あひにたり。露西亞が所謂いはゆる歐州の文明もしくは新思潮を吸收せしは猶ほ古きことに非ずして、我が四十年來開明の風に觸れたると似たるものあり。れ斯くの如きを以て類似に非ずとなすものあらば、試みに我が國情と英吉利の國情とを比較せよ、しかして其の懸隔する所のはなはだしきを見ばたゞちに露西亞の我に近きをりやうするならん。余は今日露にちろの類似を説くに非ざるを以て多言たげんすること能はず、だかゝる事情より親露主義のしかく多大の勢力あるを一言するのみ。
ひるがへつて日英同盟とは如何いかなるものかを見んに、我が思想界に於てはとうより日英同盟なるもの成立してそんせり。だ其の同盟は親露主義の如く深き考慮あり若くは嗜好ありてのことなりしか、或は偶然の成行なりゆきレーゼー、フエヤ)によりて推移しきたりしものか、其の有樣は寧ろ後者の關係の如しと雖も、それは今余の言はんとほつする所に非ず。かく我が國の始めて米國に依りて誘導せられしより以來このかた、米國とその用語なる英語とを通して英國に結びしは事實なり。唯だそれ斯くの如き關係によりて成りし同盟なり、我が人士の英吉利思想を欽慕きんぼし、英吉利風を愛好して成りしものとはおのづから異なるものあり。同時に識者は自然の成り行きにしたがつて英に私淑ししゆくしたるなり、みづから進んで特に英風を紹介したるものに非ず。故に形の上においては同盟なりといへども、其の實質に於ては果してかくこれに影響せらるゝ處ありや、實に疑問なりとす。たゞ近時やうやく英の美風、其の長所を感得するものすくなからずと雖も、猶ほ一般に英吉利思想をよく了解しこれに心醉せる者を見ざるは事實なり。
例之たとへば文藝上の作品として敬重けいちやうせらるゝもの、英吉利の文學に於ては沙翁さおうあり、ミルトンあり其數實に夥多おびたゝしと雖も、古代より現代に至るまで幾多の作品のうち、眞に我が邦人に感化をあたへしもの幾許いくばくなる可きか。例之ば沙翁の如きは是を了解する二三の識者には絶好の大作なるべし、かもこれを實際に了知する者いくばくかある。實に余の如きも沙翁の著書に對してはほとんど門外漢なり。ミルトンの如きも文藝專門の士をよそにしてはこれを通讀したる者すら尠かる可く、いはんや其の鑑賞に至りては極めてまれなる可し。余はいたづらに自家を以て他を忖度そんたくするものに非ず。唯だ人の常に口にする沙翁の偉大なること、ミルトンの雄渾ゆうこんなることも、其の實際の結果に至りてはこれを我が思想界若しくは文壇の何處いづこに求め可きか、いさゝか疑問なりとなすのみ。沙翁、ミルトンの昔を語るは他のわらひを招くのおそれあり、ひるがへつて最近代の英吉利文學を見るにそのいづれが實際の結果を我が文壇に貢献したりしか。少くとも余は彼の露西亞文學の如くその具體的に顯著ならざるを認む。しからば果して英文學の効果は絶無ぜつむなりや。余の所謂日英同盟なるものは有名無實に過ぎざるか。なんぞ必しも然らん。英吉利の如き歴史を有し事々物々に根據を有し、其の基礎の確實なる、門閥もんばつ大家たいかの如きは、他の成りあがり者の如きとおのづから其の態度をことにし、其の我が思想界にあたふる影響に於てもた自ら漸進的にして、かも確實なる所あり。よしや我の嗜好より進むでこれを迎へたるに非ずと雖も其の親炙しんしやの日短からず從つてその溟々めい〳〵のうちにかうむりたる感化の如きはけだし少々ならざるべし。
余は日英同盟派を以て我が政海の官僚派とを比較せんと欲す。政治上に日英同盟を完成したるは桂侯の内閣にして、桂侯の内閣は山縣侯の餘黨よたうによりて成る。即ち官僚派なり。然れども余が思想界の日英同盟派を以て官僚派と云ふは、斯くの如き政治上の意義あるの故に非ず。其の勢力扶殖の道、頗る今の官僚派山縣一派の遣口やりくちに類するものあればなり。
思ふに英文學に關する飜譯は一沙翁のほか殆ど皆無の姿なり。近時マツクス、オオレルの飜譯續出すると雖もこれは果して英文學の代表と認むべきか頗る疑はし。少くとも著者は佛蘭西趣味に感化され居ること頗る多大なり。實際日英派は現代の文運に沒交渉なりと云ふも過言かごんに非ざるの感あり。たま〳〵二三の戯曲の紹介さるゝものありと雖も开はもとより論ずるに足らず。ことに公衆の注目する所のものは多く純英の産物に非ざるものに多し。重ねて言ふ事實果してかくして斯くの如しとせば日英同盟の關係は我が思想界に何等の關する所なきか。いはく極めてしからず。盖し此の派は別に偉大なる勢力範圍はんゐいうす。余の所謂官僚派とは即ちの勢力範圍を比較して呼びたるものなり。然らば思想界の官僚とは何ぞや、曰く敎育界より紹介さるゝ思想の範圍これなり。
英吉利の思想はしも、中學校の一年級より、かみは大學の文科大學に至るまで、終始一貫して、學生の腦裡に注入せらる。中學校の五年間はしばらく云はず、最も思想を消化し受納じゆなふる高等學校に於て、學生の受くる其の影響は幾ばくなるべきか。敎科書は多く名著の秡萃ばつすゐなりと雖も、其のかんに散見する英吉利の思想は决して少しとせず。彼等學生は高等學校の三年間、もしくは更に大學の三年間に於て、英文學の大體に通じ假令たとひ彼等の本性及び嗜好は親露的にして、其の學習する英文學は外部より單に注入さるゝものなりとするも、此の長年月の間、なんぞよく其の感化なくして過ぐるものならんや。彼等はスヰントンの如き敎科書によりて英文學の一端にも通ず、彼等はデイツケンズ、サツカレエの小説は云ふまでもなく、ステイヴンソンもキツプリングも一讀するの機會を有す。カアライルやラスキンは事古ことふりて、今やハリソンもラングも敎科書に收めらるゝなり。唯だ敎ふる者に文學的感情なく、刺戟しげき的活火を缺けばこそ、甚しき影響なきなれ、敎授者其人が英吉利思想を消化し會得ゑとくし、且つこれを愛好するものならんには、其の結果の顯著なるものあらん事うたがひれず。しかも斯く連年絶る間なく、人は更迭こうてつすると雖も材ははらず、諄々じゆん〳〵として訓育せらるゝの結果は自ら一種の影響をあたへてまた一種の思想を創り出す。あに官僚派の不言不語のかんに行政機關を占領し立法部をさへ卷席けんせきせんとするに比すべからずや。いはんや最近に至りては學校の敎科書も益々進みて劇にピネロを見、小説にハーデイを採り其のせい宛然ゑんぜん官僚派の議會を操縱せんとするが如きものあるに於てをや。
今の政界に官僚たうと政友會とが對抗するが如く、思想界のうち主として文界に於ては此の日英派と親露派との對抗を見る。あたかも在野黨と在朝黨との如きか。兩者必ずしも相爭ひ相そむくに非ずと雖も、前者の後者をもくして素養無き輕薄者流とするあれば、後者は前者を目して因循いんじゆん守舊の徒となす。余は今具体的に何人なんぴとが前者にして、何人が後者なりと指摘せざるべし。たしかく明確に指示することあたはざるなり。然れども大勢たいせいおのづから此の兩派に分岐せるは事實なり。例之ば上田敏氏(氏を以て日英派の代表とするには非ずと雖も)の英文學科の出身にして、クラシツクスの趣味あるが如き、島村抱月氏(氏に於ても目して純親露派とは云ふを得ざるが)早稻田より出でゝ自然主義を唱ふるが如き其の一端を見るに足るべし。
そもそ輓近ばんきん文壇の風潮は極めて親露派に傾けるが如しと雖も、博士坪内氏は英文學の研究より文壇に出でたり、夏目氏もとより英文學科の出身にして、又た最もよく英吉利思想を鑑賞し消化したる人なり。二葉亭氏の親露派なる、鷗外氏の局外に立てる等ありと雖も、要するに政界の官僚黨が人材を網羅するが如く、高材かうさいの士はかへつて日英黨にあり、時代の趨勢すうせいいまかならずしも全然親露主義に傾けるには非ざる可し。
余は相撲すまふ番附ばんづけの如くすゞろに人名を羅列するには非ず、唯だ具体的に斯かる二傾向を標示せんと欲せしのみ。しかもそれは眞に唯だ傾向に過ぎず。更に大局より見れば、斯かる分派ぶんぱもとより末葉まつえふの論のみ。日英の同盟も親露主義も要は國家の大計を定めんと欲するより出づるとせば、文壇の兩傾向も亦た我が思想界の發展をするよりおこれる現象に過ぎざるきのみ。
英帝の斡旋あつせんは列國の合同となり歐洲の平和をたり。すなはち從來反目はんもくきたりし、英佛の關係も、英露の關係もあるいはこれより一洗いつせんせられて、新天地にりたるにあらざるかと疑はる。我に於ても日英同盟にぐに日佛協約あり次に日露も融和せんとせり、之れ實に普遍の平和に非ずや。由來ゆらい我が經世家けいせいかは露國を敵視し來れり。然るに其の敵國も今ややうや與國よこくたらんとす、之れけいす可き事實に非ずや。
飜つて思想界の方面を觀るに英吉利思想と露西亞思想とは到底たうてい一致す可からざるか。一見いつけん兩者は甚しく相違せるものあり。健全にして秩序ある英吉利思想と、新進にして破壞的なる露西亞主義と、其相違する所决して少なからず。然れども秩序も破壞もそれは一時の現象なり、これを藝術のさかひより觀れば、彼と是としかく區別すべきものに非ざる可し。趣味の相違よりすればこそ各人個々の嗜好も出づれ、开は必しも反目し排擠はいせいすべきものに非ず。余を以て見れば兩者の調和はしかく困難なるものにあらず。各人互に心を開きを容れ他のちやうを認めんか、日英同盟と親露主義とは全然兩立し、提携して藝術の思想の世界に遊び得んなり。
若しそれ吾が國人こくじんに天性親露的思想ありとすれば、さらに英吉利的質實の風を以てこれを補ふもなるべく、はた英吉利的固牢こらうの傾向あらば露西亞的急激の思想を以てこれを緩和するの要あるべし。いづれにもせよ經世のこゝろざしあるもの、よろしく此の兩思想について一考をわづらはすべきなり。たゞ余をして言はしむれば、露西亞思想に於てもはた、英吉利氣質に於ても、共に深大しんだい莊重さうちようおもむきありて、輕佻けいてう浮華ふくわふうなきは兩者そのいつにす。而して兩者に共通のこの一てんもつとれに欠乏するところにして、かも未だ英吉利風よりも、はた露西亞主義よりも感化を受けざる處なるが如し。この一事けだ吾人ごじんの深くかんがむべき處ならん。
原文ルビなし。明らかな誤植は訂正した。
入力者の注記はで示す。

《一》
○順調にあり─順調である。
○开─音キ。「其」の古字。
○歸趣─落ち着くべきところ。
○好事に過ぐ─都合よく合わせた。
○慊─「嫌」が正しい。

《二》
○一味類似の─同じか似たような。

《三》
○若し夫れ─そもそもまた。
○深大─甚大。
○實驗─実際に体験すること。
○聞くが如くんば─話に聞いたとおりであるとすると。
○一讀を煩はす─どうか一度読んでいただきたい。
○しかく─そのように、それほど。

《四》
○レーゼー、フエヤ─フランス語のレッセフェール(laissez-faire)の英語読みか。「ゼ」は「セ」の誤植か。
○沙翁─シェークスピア(沙吉比亜)。
○幾ばくかある─幾らもいない。

《五》
○扶殖─「扶植」が正しい。
○マツクス、オオレル─Max O'Rell(Léon Paul Blouetの筆名)(一八四七─一九〇三)。

《六》
○スヰントン─William Swinton(一八三三─一八九二)。Studies in English Literature等。
○ハリソン、ラング─Jane Ellen Harrison(一八五〇─一九二八)、Andrew Lang(一八四四─一九一二)等を指すか。
○諄々─原文「惇々」。
○ピネロ─Sir Arthur Wing Pinero(一八五五─一九三四)。
○ハーデイ─原文「バーデイ」。Thomas Hardy(一八四〇─一九二八)か。
○宛然─さながら、あたかも。

《七》
○恰も─当時の読み癖としては「あだかも」かもしれない。
○クラシツクス─古典主義(classicism)。
○具体的に─「体」の字原文の儘。以下、例あり。

《八》
○與國─同盟国。
○全然─全く、すっかり。
○遊び得んなり─遊び得べし、の意。「なり」は余分か、或は「こと」を補うべきか。著者の文章には、この文末表現が頻出する。

《九》
○はた─あるいはまた。
○固牢─固陋。
○輕跳─輕佻が正しい。
○歸を一にす─「軌を一にす」が正しい。
○欠乏─「欠」字原文の儘。
○鑑む─鑑みる。