孟子 梁惠王章句 上
 

孟子まうし

 

梁惠王りやうのけいわう章句しやうく じやう


1)  孟子まうしまみりやうの惠王けいわうわういはそうシテとほシトセ千里せんりきたまたまさルカ ラントスルコトくに
孟子まうしこたヘテいはわうなんかならズシモハンまたルノミ仁義じんぎ而已矣。王なにもつセントくに大夫たいふセントいへ庶人しよじんセント上下しやうかこも〴〵ルニくにあやふ矣。
萬乘ばんじようくにニテしいスルきみ、必千乘せんじよういへナリ。千乘之國ニテスル、必百乘ひやくじよう之家ナリばんせん焉、千ルスラ焉、不おほカラ矣。いやしクモサバのちニシテさきニスルコトヲ一レ、不ンバうば
いまルナリ じんニシテツルおやもの也。未ルナリ ニシテのちニスルきみ也。わうまたハンノミ仁義じんぎ而已矣。なんかならズシモハント
孟子見梁惠王。王曰、叟不遠千里而來。亦將有以利吾國乎。
孟子對曰、王何必曰利。亦有仁義而已矣。王曰何以利吾國、大夫曰何以利吾家、士・庶人曰何以利吾身。上下交征利而國危矣。
萬乘之國弑其君者、必千乘之家。千乘之國弑其君者、必百乘之家。萬取千焉、千取百焉、不爲不多矣。苟爲後義而先利、不奪不饜。
未有仁而遺其親者也。未有義而後其君者也。王、亦曰仁義而已矣。何必曰利。
孟子梁惠王に見ゆ。王曰く、叟千里を遠しとせずして來る。亦將に以て吾が國を利すること有らんとするかと。
孟子對へて曰く、王何ぞ必ずしも利と曰はん。亦仁義有るのみ。王は何を以て吾が國を利せんと曰ひ、大夫は何を以て吾が家を利せんと曰ひ、士・庶人は何を以て吾が身を利せんと曰ふ。上下交利を征るに國危し。
萬乘の國にて其の君を弑する者は、必ず千乘の家なり。千乘の國にて其の君を弑する者は、必ず百乘の家なり。萬に千を取り、千に百を取るすら、多からずと爲さず。苟くも義を後にして利を先にすることを爲さば、奪はずんば饜かず。
未だ仁にして其の親を遺つる者有らざるなり。未だ義にして其の君を後にする者有らざるなり。王よ、亦仁義を曰はんのみ。何ぞ必ずしも利と曰はんと。

2)  孟子まみ梁惠王わう沼上せうじやうかへりミテ鴻鴈こうがん麋鹿びろくいは賢者けんじやまたたのシムカレヲ
孟子こたヘテ、賢者ニシテのちシムレヲ。不けんナラいへどリトシマ也。いはけい-靈臺れいだいけいえい庶民しよみんをさ、不シテナラ。經始キモうなが、庶民ノゴトクきた。王いまセバ靈囿れいいう麀鹿いうろくこゝ。麀鹿濯濯たく〳〵タリ白鳥はくてう鶴鶴かく〳〵タリ。王いまセバ靈沼れいせうこゝチテうををどルト
文王ぶんなうもつたみちからつくだいせうしかたみくわん-らくヒテ靈臺、謂ヒテ靈沼。樂シムナリルヲ麋鹿びろく魚鼈ぎよべついにしへひとともシムゆゑシムナリ也。
湯誓たうせいいはいつほろビンわれなんぢビントたみほつ之偕ビントいへどリト臺池だいち鳥獸てうじうひとたのシマンヤ
孟子見梁惠王。王立於沼上、顧鴻鴈・麋鹿曰、賢者亦樂此乎。
孟子對曰、賢者而後樂此。不賢者雖有此不樂也。詩云、經始靈臺、經之營之。庶民攻之、不日成之。經始勿亟、庶民子來。王在靈囿、麀鹿攸伏。麀鹿濯濯、白鳥鶴鶴。王在靈沼、於牣魚躍。
文王以民力爲臺爲沼。而民歡樂之、謂其臺曰靈臺、謂其沼曰靈沼。樂其有麋鹿・魚鼈。古之人與民偕樂。故能樂也。
湯誓曰、時日害喪。予及女偕亡。民欲與之偕亡。雖有臺池・鳥獸、豈能獨樂哉。
孟子梁惠王に見ゆ。王沼上に立ち、鴻鴈・麋鹿を顧みて曰く、賢者も亦此れを樂しむかと。
孟子對へて曰く、賢者にして後に此れを樂しむ。賢ならざる者は此れ有りと雖も樂しまず。詩に云く、靈臺を經始し、之を經し之を營す。庶民之を攻め、日ならずして之を成す。經始亟し勿きも、庶民は子のごとく來る。王靈囿に在せば、麀鹿攸に伏す。麀鹿濯濯たり、白鳥鶴鶴たり。王靈沼に在せば、於に牣ちて魚躍ると。
文王民の力を以て臺を爲り沼を爲る。而も民は之を歡樂し、其の臺を謂ひて靈臺と曰ひ、其の沼を謂ひて靈沼と曰ふ。其の麋鹿・魚鼈有るを樂しむなり。古の人は民と偕に樂しむ。故に能く樂しむなり。
湯誓に曰く、時の日害か喪びん。予女と偕に亡びんと。民之と偕に亡びんと欲す。臺池・鳥獸有りと雖も、豈に能く獨り樂しまんやと。

3)  梁惠王りやうのけいわういは寡人くわじんケルヤくに也、つくスノミ焉耳矣。河内かだいきようナレバすなはうつたみ河東かとう、移ぞく於河内。河東凶ナルモまたしかさつスルニ鄰國りんごくせい、無ごと寡人もちヰルガ一レ。鄰國たみくはすくなキヲ、寡人之民不ルハおほキヲなんゾヤ
孟子まうしこたヘテいはわうこのたゝかヒヲもつヒヲたとヘン塡然てんぜんトシテ兵刃へいじんすでせつよろひキテへいはしあるい百歩ひやつぽニシテのちとゞマリ、或五十歩ごじつぽニシテ而後止マルもつ五十歩わらハヾ百歩すなは何如いかん。 曰不可ふかナリルノミ百歩ナラ耳。レモまたルナリ
、王ラバレヲすなはカレのぞムコトたみおほキヲ鄰國りんごくヨリモ也。不ンバたが農時のうじこくルナリカラゲテラフ也。數罟そくこンバ洿池こち魚鼈ぎよべつルナリカラゲテラフ也。斧斤ふきんもつときレバ山林さんりん材木ざいもくルナリカラゲテもちヰル也。穀魚鼈カラゲテラフ、材木不レバカラゲテヰル使ムルナリたみヲシテやしなクルヲはうむリテセルヲカラ一レうら也。養クルヲリテセルヲカラシムルハ王道わうだうはじメナリ也。
五畝ごほたくウルニこれもつテセバくは五十ごじふもの一レきぬ矣。雞豚けいとん狗彘こうていやしなクンバあやまツコトとき七十しちじふ者可ラフ一レにく矣。百畝ひやつぽでんクンバうばフコト數口すうこういへ、可カル一レウルコト矣。つゝし庠序じようじよをしへかさヌルニこれもつテセバ孝悌かうてい頒白はんぱくもの-たい道路だうろ矣。七十きぬラヒテ黎民れいしよこゞしかしかうシテわうタラいまルナリ これ也。
狗彘こうていラヘドモひと、而不おさフルコトヲみちレドモ餓莩がへう、而不ひらクコトヲ。人スレバすなはいはあらわれ也、としナリなんことナランシテころ、曰フニ也、へいナリわう、無クンバつみスルコトとしすなは天下てんかたみいたラン
梁惠王曰、寡人之於國也、盡心焉耳矣。河内凶、則移其民於河東、移其粟於河内。河東凶亦然。察鄰國之政、無如寡人之用心者。鄰國之民不加少、寡人之民不加多、何也。
孟子對曰、王好戰。請以戰喩。塡然鼓之、兵刃既接。棄甲曳兵而走。或百歩而後止、或五十歩而後止。以五十歩笑百歩、則何如。曰、不可。直不百歩耳。是亦走也。
曰、王如知此、則無望民之多於鄰國也。不違農時、穀不可勝食也。數罟不入洿池、魚鼈不可勝食也。斧斤以時入山林、材木不可勝用也。穀與魚鼈不可勝食、材木不可勝用、是使民養生喪死無憾也。養生喪死無憾、王道之始也。
五畝之宅、樹之以桑、五十者可以衣帛矣。雞豚狗彘之畜、無失其時、七十者可以食肉矣。百畝之田、勿奪其時、數口之家、可以無飢矣。謹庠序之ヘ、申之以孝悌之義、頒白者不負戴於道路矣。七十者衣帛食肉、黎民不飢不寒、然而不王者、未之有也。
狗彘食人食、而不知檢。塗有餓莩、而不知發。人死則曰、非我也、歳也。是何異於刺人而殺之、曰非我也、兵也。王、無罪歳、斯天下之民至焉。
梁惠王曰く、寡人の國に於けるや、心を盡すのみ。河内凶なれば、則ち其の民を河東に移し、其の粟を河内に移す。河東凶なるも亦然り。鄰國の政を察するに、寡人の心を用ゐるがごとき者無し。鄰國の民少きを加へず、寡人の民多きを加へざるは、何ぞやと。
孟子對へて曰く、王戰ひを好む。請ふ戰ひを以て喩へん。塡然として之を鼓し、兵刃既に接す。甲を棄て兵を曳きて走る。或は百歩にして後止まり、或は五十歩にして後止まる。五十歩を以て百歩を笑はゞ、則ち何如と。曰く、不可なり。直だ百歩ならざるのみ。是れも亦走るなりと。
曰く、王よ如し此れを知らば、則ち民の鄰國よりも多きを望むこと無かれ。農時を違へずんば、穀は勝げて食らふべからざるなり。數罟洿を池に入れずんば、魚鼈は勝げて食らふべからざるなり。斧斤時を以て山林に入れば、材木は勝げて用ゐるべからざるなり。穀と魚鼈と勝げて食らふべからず、材木勝げて用ゐるべからざれば、是れ民をして生くるを養ひ死せるを喪りて憾み無からしむるなり。生くるを養ひ死せるを喪りて憾み無からしむるは、王道の始めなり。
五畝の宅、之に樹うるに桑を以てせば、五十の者以て帛を衣るべし。雞豚狗彘の畜ひ、其の時を失つこと無くんば、七十の者以て肉を食らふべし。百畝の田、其の時を奪ふこと勿くんば、數口の家、以て飢うること無かるべし。庠序のヘを謹み、之に申ぬるに孝悌の義を以てせば、頒白の者道路に負戴せず。七十の者帛を衣肉を食らひて、黎民飢ゑず寒えず、然り而して王たらざる者は、未だ之有らざるなり。
狗彘人の食を食らへども、檢ふることを知らず。塗に餓莩有れども、發くことを知らず。人死すれば則ち曰く、我に非ず、歳なりと。是れ何ぞ人を刺して之を殺し、我に非ず、兵なりと曰ふに異ならん。王よ、歳を罪すること無くんば、斯ち天下の民至らんと。

4)  梁惠王りやうのけいわういは寡人くわじんねがハクハやすンジテケントをしヘヲ。 孟子こたヘテ、殺スニもつテスルトぼうやいば、有ルカもつことナルコト。 曰、無ナルコト。 以テスルトせい、有ルカナルコト。 曰、無ナルコト
くりや肥肉ひにくうまや肥馬ひば、民飢色きしよく餓莩がへうひきヰテけものラハシムルナリ也。獸相食あひはムスラにくリテたみ父母ふぼおこなフニせい、不ンバまぬかひきヰテけものラハシムルヲ一レいづクンゾランヤルニ父母也。仲尼ちゆうじのたまハクはじメテつくようカランカのちセルナリかたどリテもちヰルト一レいかこれ使メンヤたみヲシテヱテ
梁惠王曰、寡人願安承ヘ。 孟子對曰、殺人以梃與刃、有以異乎。 曰、無以異也。 以刃與政、有以異乎。 曰、無以異也。
曰、庖有肥肉、廏有肥馬、民有飢色、野有餓莩。此率獸而食人也。獸相食且人惡之。爲民父母行政、不免於率獸而食人、惡在其爲民父母也。仲尼曰、始作俑者、其無後乎。爲其象人而用之。如之何其使斯民飢而死也。
梁惠王曰く、寡人願はくは安んじてヘへを承けんと。 孟子對へて曰く、人を殺すに梃を以てすると刃と、以て異なること有るかと。 曰く、以て異なること無しと。 刃を以てすると政と、以て異なること有るかと。 曰く、以て異なること無しと。
曰く、庖に肥肉有り、廏に肥馬有り、民に飢色有り、野に餓莩有り。此れ獸を率ゐて人を食らはしむるなり。獸の相食むすら且つ人之を惡む。民の父母と爲りて政を行ふに、獸を率ゐて人を食らはしむるを免れずんば、惡くんぞ其の民の父母と爲るに在らんや。仲尼曰はく、始めて俑を作る者は、其れ後無からんかと。其の人に象りて之を用ゐると爲せるなり。之を如何ぞ其れ斯の民をして飢ゑて死せしめんやと。

5)  梁惠王りやうのけいわう晉國しんこく天下てんかキハつよキモノこれヨリモそうところナリ也。およビテ寡人くわじんひがしやぶレテせい長子ちやうし焉、西にしうしなフコトしん七百里しちひやくりみなみはづかしメラル。寡人ねがハクハかはツテ死者ししやひとタビすゝガンこれいかセバすなはナラント
孟子こたヘテはう百里ひやくりニシテもつわうタル。王ほどこ仁政じんせいたみはぶイテ刑罰けいばつうすクシ税斂ぜいれんふかたがやをさくさぎ壯者そうしや暇日かじつをさ孝悌かうてい忠信ちゆうしんリテハつか父兄ふけいデヽハヘシメバ長上ちやうじやう、可使せいシテぼうもつしん堅甲けんかふ利兵りへい矣。
かれうばとき、使耕耨こうじよくシテやしなフコトヲ父母ふぼ。父母凍餓とうが兄弟けいてい妻子さいし離散りさん。彼かん-できスルニ、王キテせいセバこれたれてきセンゆゑ仁者じんしやシトてき。王カレトうたがフコト
梁惠王曰、晉國天下莫強焉、叟之所知也。及寡人之身、東敗於齊長子死焉、西喪地於秦七百里、南辱於楚。寡人恥之。願比死者一洒之。如之何則可。
孟子對曰、地方百里而可以王。王如施仁政於民、省刑罰薄税斂、深耕易耨、壯者以暇日修其孝悌忠信、入以事其父兄、出以事其長上、可使制梃以撻秦・楚之堅甲利兵矣。
彼奪其民時、使不得耕耨以養其父母。父母凍餓、兄弟・妻子離散。彼陷溺其民、王往而征之、夫誰與王敵。故曰、仁者無敵。王、請勿疑。
梁惠王曰く、晉國の天下に焉よりも強きもの莫きは、叟の知る所なり。寡人の身に及びて、東は齊に敗れて長子死し、西は地を秦に喪ふこと七百里、南は楚に辱めらる。寡人之を恥づ。願はくは死者に比つて一たび之を洒がん。之を如何せば則ち可ならんと。
孟子對へて曰く、地は方百里にして以て王たるべし。王如し仁政を民に施し、刑罰を省いて税斂を薄くし、深く耕し易め耨り、壯者は暇日を以て其の孝悌忠信を修め、入りては以て其の父兄に事へ、出でゝは以て其の長上に事へしめば、梃を制して以て秦・楚の堅甲利兵を撻たしむべし。
彼は其の民の時を奪ひ、耕耨して以て其の父母を養ふことを得ざらしむ。父母は凍餓し、兄弟・妻子は離散す。彼の其の民を陷溺するに、王往きて之を征せば、夫れ誰か王と敵せん。故に曰く、仁者は敵無しと。王よ、請ふ疑ふこと勿かれと。

6)  孟子まみ梁襄王りやうのじやうわうデヽゲテいはのぞムニ人君じんくんケドモ而不おそルヽ焉。卒然そつぜんウテ、天下いづクニカさだマラント。吾こたヘテ、定マラントいつたれニセント。對ヘテ、不このスコトヲニセント。孰くみセント
こたヘテ、天下ルハくみ也。王知ルカなへ乎。七八月しちはつぐわつかんひでりスレバすなは矣。天油然いうぜんトシテおこくも沛然はいぜんトシテふらセバあめ、則勃然ぼつぜんトシテキンこゝ矣。ごとクナレバクノたれとゞメンこれ。今天下之人ぼくスルニいまこのころスコトヲもの也。ラバスコトヲ、則天下之民ベテくびのぞマン矣。まことクナレバクノ也、民スルヤ クガ一レひくキニ。沛然トシテたれとゞメント
孟子見梁襄王。出語人曰、望之不似人君、就之而不見所畏焉。卒然問曰、天下惡乎定。吾對曰、定于一。孰能一之。對曰、不嗜殺人者能一之。孰能與之。
對曰、天下莫不與也。王知夫苗乎。七八月之閨A旱則苗槁矣。天油然作雲、沛然下雨、則苗勃然興之矣。其如是、孰能禦之。今夫天下之人牧、未有不嗜殺人者也。如有不嗜殺人者、則天下之民皆引領而望之矣。誠如是也、民歸之、由水之就下。沛然誰能禦之。
孟子梁襄王に見ゆ。出でゝ人に語げて曰く、之を望むに人君に似ず、之に就けども畏るゝ所を見ず。卒然問うて曰く、天下惡くにか定まらんと。吾對へて曰く、一に定まらんと。孰か能く之を一にせんと。對へて曰く、人を殺すことを嗜まざる者能く之を一にせんと。孰か能く之に與せんと。
對へて曰く、天下に與せざるは莫し。王夫の苗を知るか。七八月の閨A旱すれば則ち苗は槁る。天油然として雲を作し、沛然として雨を下せば、則ち苗は勃然として之に興きん。其れ是くのごとくなれば、孰か能く之を禦めん。今夫れ天下の人牧するに、未だ人を殺すことを嗜まざる者有らず。如し人を殺すことを嗜まざる者有らば、則ち天下の民は皆領を引べて之を望まん。誠に是くのごとくなれば、民の之に歸するや、由ほ水の下きに就くがごとし。沛然として誰か能く之を禦めんと。

7)  齊宣王せいのせんわうウテいは齊桓せいくわん晉文しんぶんことキカクヲ。 孟子こたヘテいは仲尼ちゆうじ、無くわんぶんことこゝもつ後世こうせいつたフル焉。しんいまルナリ レ二これ也。クンバムコトすなはわう
とく何如いかんナレバすなはキカわうタル。曰やすンジテたみ而王タランニハキナリとゞムルモノ。曰ごと寡人、可キカンズ一レ乎哉。曰ナリト。曰なにツテルカわれナルヲ。曰しんケリ胡齕ここつ、曰、王堂上だうじやう。有キテ而過グル堂下だうか。王見、牛いづクニカクト。對ヘテまさ ちぬラント一レかね。王曰。吾しの觳觫こくそくトシテごとクナルニクシテつみクガ死地しち。對ヘテしかラバすなはメンカルコトヲ。曰なんケンヤ也。以ひつじヘヨト。不、有リヤトこれ。曰、有リト之。曰レリタルニ矣。百姓ひやくせい皆以スモシメリト也、臣もとヨリレリ之不ルヲ一レ
王曰しかまこと百姓ノイフこと齊國せいこくいへど褊小へんせうナリト、吾なんシマン一牛いちぎうすなは觳觫トシテクナルニクシテ罪而就クガ死地ゆゑヘシナリ。 曰、王カレあやシムコト於百姓之以スヲ一レシムト也。以せうだい、彼いづクンゾラン。王いたマバクシテ罪而就クヲ死地、則牛羊ぎうやうなんえらバン。 王笑ヒテなんゾヤ哉。我あらザルナリシミテざい而易フルニテセシニ也。むべナルカナ乎、百姓フヤシメリト
、無カレいたムコト也。すなは仁術じんじゆつナリ也。見いまレバナリ 也。君子くんしケルヤ禽獸きんじう、見テハクルヲルニスルヲ。聞キテハこゑラフニにくこゝもつ君子とほザクルナリ庖廚はうちゆう。 王よろこビテいは他人たにん心、われそん-たくスト夫子ふうしヒナリ也。すなはおこなヒテかへツテもとムレドモ、不。夫子言おい戚戚せき〳〵タルモノ焉。ゆゑ-がつスルわうタルニものなんゾヤ
、有まう於王ことハヾちからルモグルニ百鈞ひやつきんしかグルニいちうめいルモルニ秋毫しうがうすゑ、而輿薪よしんすなはゆるスカ。 曰いないまおんルモおよブニ禽獸きんじうしかこうルハいた百姓ひやくせい者、ひとなんゾヤ與。しかラバすなはいちう之不ルハガラメナリルガもち焉。輿薪よしん之不ルハ、爲メナリルガめい焉。百姓之不ルハやすンゼ、爲メナリルガおん焉。ゆゑ之不ルハタラ、不ルナリ也、あらザルナリルニあた
、不あたかたちなにもつことナルカト。 曰わきばさミテ太山たいざんエンニ北海ほつかいゲテわれ一レまことルナリ也。メニ長者ちやうじやランニえだ、語ゲテ我不一レ。是ルナリ也。あらザルナリルニ也。 ゆゑ之不ルハタラ、非ミテ太山ユル北海たぐひ也。王之不ルハタラ、是之類ナリ也。
うやまヒテらうおよボシ之老いつくシミテえうボサバ之幼、天下めぐラスたなごゝろいはたゞ寡妻くわさいいた兄弟けいてい、以をさムト家邦かはう。言フノミゲテくわフルコトヲこれ而已。ゆゑセバおんやすンズルニ四海しかい、不レバンズルコト妻子いにしへひとゆゑ-おほいグル一レ焉、スノミ一レ而已矣。今、恩ルモボスニ禽獸、而ルハ於百姓者、ひとゾヤ與。はかりアリテしかのち輕重けいちようものさしアリテ長短ちやうたん。物みな。心はなはダシト。王はか
そもそおこ甲兵かうへいあやウクシ士臣ししんかまヘテうらミヲゥ侯しよこうしかのちこゝろよキカ於心。 王曰しかラズ。吾なんカランレニまさルナリ メントおほいほつスル。 曰、王之所スル、可キカクヲ。 王笑ヒテ而不。 曰メカ肥甘ひかんルガ一レ於口與、輕煖けいだんルカからだ與。そもそメカ采色さいしよくルガ一レルニ於目與、聲音せいおんルカクニ於耳與。便嬖べんぺいルカ使-れいスルニまへ與。王ゥ臣しよしん、皆足レリきようスルニ一レすなはメナランカレガ。 曰、否ラズ。吾不ルナリメナラレガ
しかラバすなは之所おほいほつスルキノミ已。欲スルナリひら土地てうセシメしんのぞミテ中國ちゆうごくしづメント四夷しい也。以かくのごと一レムルハ一レスルキナリ リテもとムルガ一レうを。 曰ごとかくはなはダシキカ。 曰ほとんダシキモノこれヨリモ。縁リテムルハいへどのちわざは。以かくのごと一レムルハ一レスルつくシテ心力しんりよくストモのちリト。 曰、可キカクヲ
鄒人すうひと楚人そひとたゝかハヾすなはもつストいづレカツト。 曰、楚人勝タント。 曰しかラバすなはせうもとヨリカラてき一レだいくわヨリカラ一レしゆうじやくヨリカラ一レきやう海内かいだいはう千里せんりナルきうアリせいあつメテたもいつ。以ふくスルハはつなにことナランヤ於鄒スルニ一レ哉。なん またかへもと矣。
今、王おこせいほどこサバじん使メン天下つかフルヲシテほつタント於王みかどたがやヲシテ皆欲サント於王商賈しやうこヲシテ皆欲をさメント於王行旅かうりよヲシテ皆欲デント於王みち、天下之欲スルにくマントきみヲシテ皆欲おもむ-うつたヘント於王ごとクナレバかくたれとゞメント。 王曰、吾くらクシテムコトこゝ矣。ねがハクハ夫子ふうしたす、明ラカニをしヘヨ。我いへど不敏ふびんナリトこゝ-ミント
、無クシテ恆産こうさん而有ルハ恆心こうしん者、ノミクストごとキハたみすなはケレバ恆産ツテ恆心いやしクモクンバ恆心放辟邪侈はうへきじやし、無キノミ已。およンデおちいルニつみしかのちしたがヒテけいスルハなみスルナリ也。いづくクンゾリテ仁人じんじん一レくらゐ、罔シテ而可ケンヤをさ也。
ゆゑ明君めいくんせいシテたみさん、必使あふギテハつかフルニ父母ふぼシテハやしなフニ妻子さいし樂歳らくさいニハ終身しゆうしん凶年きようねんニハまぬか死亡しばうしかのちリテぜんゆゑしたがフヤかろいま也制スルニ之産、仰ギテハフルニ父母、俯シテハフニ妻子、樂歳ニハ終身くるシミ、凶年ニハ於死亡すくヒテおそルヽノミルヲなんいとまアランヤをさムルニ禮義れいぎ哉。王ほつセバおこなハントこれすなはなん かへもと矣。
五畝ごほたくウルニもつテセバくは五十ごじふ者可一レきぬ矣。雞豚狗彘けいとんくていやしな、無クンバうしなフコトとき七十しちじふ者可ラフ一レ矣。百畝ひやつぽでんクンバうばフコト八口はつこういへカル一レウルコト矣。つゝし庠序しやうじよをしヘヲかさヌルニテセバ孝悌かうてい頒白はんぱく-たい道路だうろ矣。イタルラヒ黎民れいみんこゞしかしかうシテわうタラいまルナリ これ
齊宣王問曰、齊桓・晉文之事、可得聞乎。 孟子對曰、仲尼之徒、無道桓・文之事者。是以後世無傳焉。臣未之聞也。無以則王乎。
曰、コ何如、則可以王矣。曰、保民而王、莫之能禦也。 曰、若寡人者、可以保民乎哉。 曰、可。曰、何由知吾可也。 曰、臣聞之胡齕、曰、王坐於堂上。有牽牛而過堂下者。王見之曰、牛何之。對曰、將以釁鐘。王曰、舍之。吾不忍其觳觫若無罪而就死地。對曰、然則廢釁鐘與。曰、何可廢也。以羊易之。不識、有ゥ。曰、有之。曰、是心足以王矣。百姓皆以王爲愛也、臣固知王之不忍也。
王曰、然。誠有百姓者。齊國雖褊小、吾何愛一牛。即不忍其觳觫若無罪而就死地、故以羊易之也。 曰、王無異於百姓之以王爲愛也。以小易大、彼惡知之。王若隱其無罪而就死地、則牛羊何擇焉。 王笑曰、是誠何心哉。我非愛其財而易之以羊也。宜乎、百姓之謂我愛也。
曰、無傷也。是乃仁術也。見牛未見羊也。君子之於禽獸、見其生不忍見其死。聞其聲不忍食其肉。是以君子遠庖廚也。 王説曰、詩云、他人有心、予忖度之。夫子之謂也。夫我乃行之、反而求之、不得吾心。夫子言之。於我心有戚戚焉。此心之所以合於王者、何也。
曰、有復於王者、曰吾力足以擧百鈞、而不足以擧一秩A明足以察秋毫之末、而不見輿薪、則王許之乎。 曰、否。 今、恩足以及禽獸、而功不至於百姓者、獨何與。然則一樗V不擧、爲不用力焉。輿薪之不見、爲不用明焉。百姓之不見保、爲不用恩焉。故王之不王、不爲也、非不能也。
曰、不爲者與不能者之形、何以異。 曰、挾太山以超北海、語人曰我不能。是誠不能也。爲長者折枝、語人曰我不能。是不爲也。非不能也。 故王之不王、非挾太山以超北海之類也。王之不王、是折枝之類也。
老吾老以及人之老、幼吾幼以及人之幼、天下可運於掌。詩云、刑于寡妻、至于兄弟、以御于家邦。言擧斯心加ゥ彼而已。故推恩足以保四海、不推恩無以保妻子。古之人所以大過人者無他焉、善推其所爲而已矣。今、恩足以及禽獸、而功不至於百姓者、獨何與。權然後知輕重、度然後知長短。物皆然。心爲甚。王請度之。
抑王興甲兵、危士臣、構怨於ゥ侯、然後快於心與。 王曰、否。吾何快於是。將以求吾所大欲也。 曰、王之所大欲、可得聞與。 王笑而不言。 曰、爲肥甘不足於口與、輕煖不足於體與。抑爲采色不足視於目與、聲音不足聽於耳與。便嬖不足使令於前與。王之ゥ臣、皆足以供之。而王豈爲是哉。 曰、否。吾不爲是也。
曰、然則王之所大欲可知已。欲辟土地朝秦・楚、莅中國而撫四夷也。以若所爲求若所欲、猶縁木而求魚也。 曰、若是其甚與。 曰、殆有甚焉。縁木求魚、雖不得魚無後災。以若所爲求若所欲、盡心力而爲之、後必有災。 曰、可得聞與。
曰、鄒人與楚人戰、則王以爲孰勝。 曰、楚人勝。 曰、然則小固不可以敵大、寡固不可以敵衆、弱固不可以敵彊。海内之地、方千里者九。齊集有其一。以一服八、何以異於鄒敵楚哉。蓋亦反其本矣。
今、王發政施仁、使天下仕者皆欲立於王之朝、耕者皆欲耕於王之野、商賈皆欲藏於王之市、行旅皆欲出於王之塗、天下之欲疾其君者皆欲赴愬於王。其若是孰能禦之。 王曰、吾惛不能進於是矣。願夫子輔吾志、明以ヘ我。我雖不敏、請嘗試之。
曰、無恆産而有恆心者、惟士爲能。若民則無恆産、因無恆心。苟無恆心、放辟邪侈、無不爲已。及陷於罪、然後從而刑之、是罔民也。焉有仁人在位、罔民而可爲也。
是故明君制民之産、必使仰足以事父母、俯足以畜妻子、樂歳終身飽、凶年免於死亡、然後驅而之善。故民之從之也輕。今也制民之産、仰不足以事父母、俯不足以畜妻子、樂歳終身苦、凶年不免於死亡。此惟救死而恐不贍。奚暇治禮義哉。王欲行之、則盍反其本矣。
五畝之宅、樹之以桑、五十者可以衣帛矣。雞豚狗彘之畜、無失其時、七十者可以食肉矣。百畝之田、勿奪其時、八口之家可以無飢矣。謹庠序之ヘ、申之以孝悌之義、頒白者不負戴於道路矣。老者衣帛食肉、黎民不飢不寒、然而不王者、未之有也。
齊宣王問うて曰く、齊桓・晉文の事、聞くを得べきかと。 孟子對へて曰く、仲尼の徒は、桓・文の事を道ふ者無し。是を以て後世に傳ふる無し。臣も未だ之を聞かざるなり。以むこと無くんば則ち王かと。
曰く、コ何如なれば、則ち以て王たるべきかと。曰く、民を保んじて王たらんには、之を能く禦むるもの莫きなりと。曰く、寡人のごとき者も、以て民を保んずべきかと。曰く、可なりと。曰く、何に由つて吾の可なるを知るかと。曰く、臣之を胡齕に聞けり、曰く、王堂上に坐す。牛を牽きて堂下を過ぐる者有り。王之を見て曰く、牛何くにか之くと。對へて曰く、將に以て鐘に釁らんとすと。王曰く、之を舍け。吾は其の觳觫として罪無くして死地に就くがごとくなるに忍びずと。對へて曰く、然らば則ち鐘に釁ることを廢めんかと。曰く、何ぞ廢むべけんや。羊を以て之を易へよと。識らず、ゥ有りやと。曰く、之有りと。曰く、是の心以て王たるに足れり。百姓は皆王を以て愛しめりと爲すも、臣は固より王の忍びざるを知れりと。
王曰く、然り。誠に百姓のいふ者有り。齊國は褊小なりと雖も、吾何ぞ一牛を愛しまん。即ち其の觳觫として罪無くして死地に就くがごとくなるに忍びず、故に羊を以て之を易へしなりと。 曰く、王よ百姓の王を以て愛しむと爲すを異しむこと無かれ也。小を以て大に易ふ、彼惡くんぞ之を知らん。王若し其の罪無くして死地に就くを隱まば、則ち牛羊何ぞ擇ばんと。 王笑ひて曰く、是れ誠に何の心ぞや。我は其の財を愛しみて之に易ふるに羊を以てせしに非ざるなり。宜なるかな、百姓の我を愛しめりと謂ふやと。
曰く、傷むこと無かれ。是れ乃ち仁術なり。牛を見て未だ羊を見ざればなり。君子の禽獸に於けるや、其の生くるを見ては其の死するを見るに忍びず。其の聲を聞きては其の肉を食らふに忍びず。是を以て君子は庖廚を遠ざくるなりと。 王説びて曰く、詩に云く、他人に心有り、予之を忖度すと。夫子の謂ひなり。夫れ我乃ち之を行ひて、反つて之を求むれども、吾が心を得ず。夫子之を言ふ。我が心に於て戚戚たるもの有り。此の心の王たるに合する所以の者は、何ぞやと。
曰く、王に復す者有り、吾が力は以て百鈞を擧ぐるに足るも、而も以て一窒擧ぐるに足らず、明は以て秋毫の末を察るに足るも、而も輿薪を見ずと曰はゞ、則ち王は之を許すかと。 曰く、否と。 今、恩は以て禽獸に及ぶに足るも、而も功の百姓に至らざるは、獨り何ぞや。然らば則ち一窒フ擧がらざるは、力を用ゐざるが爲めなり。輿薪の見えざるは、明を用ゐざるが爲めなり。百姓の保んぜられざるは、恩を用ゐざるが爲めなり。故に王の王たらざるは、爲さざるなり、能はざるに非ざるなりと。
曰く、爲さざる者と能はざる者との形は、何を以て異なるかと。 曰く、太山を挾みて以て北海を超えんに、人に語げて我能はずと曰ふ。是れ誠に能はざるなり。長者の爲めに枝を折らんに、人に語げて我能はずと曰ふ。是れ爲さざるなり。能はざるに非ざるなり。 故に王の王たらざるは、太山を挾みて以て北海を超ゆる之類に非ず。王の王たらざるは、是れ枝を折る之類なり。
吾が老を老ひて以て人の老に及ぼし、吾が幼を幼しみて以て人の幼に及ぼさば、天下は掌に運らすべし。詩に云く、寡妻を刑し、兄弟に至り、以て家邦を御むと。斯の心を擧げてゥを彼に加ふることを言ふのみ。故に恩を推せば以て四海を保んずるに足り、恩を推さざれば以て妻子も保んずること無し。古の人の大に人に過ぐる所以の者は他無し、善く其の爲す所を推すのみ。今、恩は以て禽獸に及ぼすに足るも、而も功の百姓に至らざるは、獨り何ぞや。權ありて然る後に輕重を知り、度ありて然る後に長短を知る。物皆然り。心を甚だしと爲す。王よ請ふ之を度れ。
抑も王は甲兵を興し、士臣を危うくし、怨みをゥ侯に構へて、然る後心に快きかと。 王曰く、否らず。吾何ぞ是れに快からん。將に以て吾が大に欲する所を求めんとするなりと。 曰く、王の大に欲する所を、聞くを得べきかと。 王笑ひて言はず。 曰く、肥甘の口に足らざるが爲めかと、輕煖の體に足らざるか。抑も采色の目に視るに足らざるが爲めかと、聲音の耳に聽くに足らざるか。便嬖の前に使令するに足らざるか。王のゥ臣、皆以て之を供するに足れり。而ち王豈に是れが爲めならんかと。 曰く、否らず。吾是れが爲めならざるなりと。
曰く、然らば則ち王の大に欲する所は知るべきのみ。土地を辟き秦・楚を朝せしめ、中國に莅みて四夷を撫めんと欲するなり。若く爲す所を以て若く欲する所を求むるは、猶ほ木に縁りて魚を求むるがごときなりと。 曰く、是のごとく其れ甚だしきかと。 曰く、殆ど焉よりも甚だしきもの有り。木に縁りて魚を求むるは、魚を得ずと雖も後の災ひ無し。若く爲す所を以て若く欲する所を求むるは、心力を盡して之を爲すとも、後必ず災ひ有りと。 曰く、聞くを得べきかと。
曰く、鄒人と楚人と戰はゞ、則ち王以て孰れか勝つと爲すと。 曰く、楚人勝たんと。 曰く、然らば則ち小は固より以て大に敵すべからず、寡は固より以て衆に敵すべからず、弱は固より以て彊に敵すべからず。海内の地、方千里なる者九あり。齊は集めて其の一を有つ。一を以て八を服するは、何を以て鄒の楚に敵するに異ならんや。蓋ぞ亦其の本に反らざる。
今、王政を發し仁を施さば、天下の仕ふる者をして皆王の朝に立たんと欲し、耕す者をして皆王の野に耕さんと欲し、商賈をして皆王の市に藏めんと欲し、行旅をして皆王の塗に出でんと欲し、天下の其の君を疾まんと欲する者をして皆王に赴き愬へんと欲せしめん。其れ是のごとくなれば孰か能く之を禦めんと。 王曰く、吾惛くして是に進むこと能はず。願はくは夫子吾が志を輔け、明らかに以て我にヘへよ。我不敏なりと雖も、請ふ之を嘗試みんと。
曰く、恆産無くして恆心有るは、惟だ士のみ能くすと爲す。民のごときは則ち恆産無ければ、因つて恆心無し。苟くも恆心無くんば、放辟邪侈、爲さざる無きのみ。罪に陷るに及んで、然る後從ひて之を刑するは、是れ民を罔するなり。焉くんぞ仁人の位に在る有りて、民を罔して爲むべけんや。
是の故に明君は民の産を制して、必ず仰ぎては以て父母に事ふるに足り、俯しては以て妻子を畜ふに足り、樂歳には終身飽き、凶年には死亡を免れ、然る後に驅りて善に之かしむ。故に民の之に從ふや輕し。今や民の産を制するに、仰ぎては以て父母に事ふるに足らず、俯しては以て妻子を畜ふに足らず、樂歳には終身苦しみ、凶年には死亡を免れず。此れ惟だ死を救ひて贍らざるを恐るゝのみ。奚ぞ禮義を治むるに暇あらんや。王之を行はんと欲せば、則ち盍ぞ其の本に反らざる。
五畝の之宅、之に樹うるに桑を以てせば、五十の者以て帛を衣るべし。雞豚狗彘の畜ひ、其の時を失ふこと無くんば、七十の者以て肉を食らふべし。百畝の田、其の時を奪ふこと勿くんば、八口の家以て飢うること無かるべし。庠序のヘへを謹み、之に申ぬるに孝悌の義を以てせば、頒白の者も道路に負戴せず。老いたる者は帛を衣て肉を食らひ、黎民は飢ゑず寒えず、然り而して王たらざる者は、未だ之有らざるなりと。
1
○ 見ゆ−お目通りする、会う。「みる・あふ」等の訓みがよいともいう。
○ 梁惠王−前四〇〇〜三一九(在位前三六九〜三一九)。戦国時代魏国の第三代君主。中央諸侯の間で初めて王を称する。前三六二年、安邑から大梁(開封)に遷都し、国号を梁と改める。孟子(前三七二カ〜二八九)は前三二一、三二〇年(又は前三三六年とも)頃恵王に見えたという。
○ 叟−翁、老人。ここは敬称。
○ 千里−孟子が生まれた鄒城から開封まで三〇〇キロ、臨緇から開封までは更に遠い。
○ 對−問いに答える、お答えする。
○ 何必−どうして〜ばかりだろうか。
○ 亦−強調・詠嘆の意。いったい、なんといっても。
○ 仁義−政治の基本に求められる博愛と道義。
○ 何以−どうして、どのようにして〜だろうか。
○ 大夫−周代、王・諸侯に次ぐ身分の一。卿(大臣)と士(官僚一般)の間の地位にある者や諸侯の家老など。
○ 士−官職に就いて教養のある人。また学徳の備わった人。ここは前者。
○ 交−代わる代わる、一緒になって。
○ 征る−取り合う、奪う。
○ 萬乘之國−乗は兵車を数える単位。兵車一台、これに甲士三人・歩卒七二人・車士二五人がつく。これを戦時に一万出せる大国、天子(万乗之君)を指す。周代の制に、天子は方千里を治め、戦時には兵車万乗を出すといわれた。
○ 千乘之國−諸侯・公卿。方百里を治め、戦時には兵車千乗を出す。
○ 百乘之家−諸侯の大夫。
○ 弑す−下位者が上位者を殺すこと。弑は音「シ」だが、慣用的に「シイする」と訓む。
○ 苟くも−仮にも、少しでも〜すれば。
○ 後にす−後回しにする、軽視する。
○ 先にす−優先する。
○ 饜く−満足する、気が済む。
○ 遺つ−捨てる。

2
○ 沼上−池のほとり。「上」は近傍の意。
○ 鴻鴈−大小の雁(かり)。秋になると北地から飛来する。
○ 麋鹿−大小の鹿。「麋」は馴れ鹿、トナカイの類。
○ 詩−詩経。この詩は『詩経』大雅「霊台」。
○ 經始−測量して位置を定める。家屋を建て始める。
○ 經營−測量して建築する。
○ 靈臺−天文を見て災いを占う所。ここは見晴らし台などをいう。
○ 攻む−造る、整える。
○ 亟−速やかに造るように促すこと。「勿」は無に同じ。
○ 靈囿−霊は尊い、優れたの意を含む美称。孟子は庶民が王を尊んで付けたものとする。囿は鳥獣を飼育する庭園、動物園。霊囿・靈沼で宮殿の苑地の造成を指す。
○ 麀−牝鹿。〔対〕(ぼ)
○ 攸−後出の「於」と同じく調子を整える語とみる。「処・所」の意味もある。
○ 濯濯・鶴鶴−肥えて毛並みがつややかである貌。
○ 霊沼−御苑の池。
○ 牣−いっぱいに満ちる。
○ 文王−姫昌、西伯昌。殷末の周国の君主。子の武王(姫発)が周王朝の始祖だが、建国後文王と追号した。
○ 謂ふ−呼ぶ、となえる、名づける。
○ 魚鼈−魚類。
○ 偕に−一緒に。
○ 湯誓曰−「時日曷喪。予及汝皆亡。」(『書経』商書「湯誓」)。民衆が夏の桀王を怨んだ語という。時(旹)は是、「この」の意。害は音「カツ」(=曷)、「なんぞ・いつか・いづれか」の意。及は與に同じ。
○ 雖も−〜であっても、〜であるけれども。
○ 豈能〜哉−どうして〜できようか(いや、できはしないのだ)。反語形。
○ 獨り−自分だけ。

3
○ 寡人−諸侯の自称。徳が寡い人の意。「諸侯(略)其與民言、自稱寡人。」(『礼記』曲礼)
○ 河内−河南省の黄河北岸の地。
○ 凶−凶作。
○ 河東−山西省の黄河以東の地。
○ 粟−穀物。アワ・籾米。
○ 察−調べてみる。観察(推察)する。
○ 不加少−さほど減少しない。
○ 何也−どうしてか、どういうわけか。
○ 請ふ〜せん−どうか〜させてください。(「請ふ〜せよ」とあれば、「どうか〜してください。」の意。)
○ 塡然−太鼓の音の形容。ドンドンと。
○ 既に−今や〜している。
○ 甲−(皮製の)よろい。金属製の物は鎧。日本語の「かぶと(兜)」は冑。甲冑の字の理解が日中で反転することに注意。
○ 兵−武器。兵刃も同じ。
○ 走る−逃げる、逃走する。
○ 或は−ある者は、ある場合は。
○ 何如−どうであるか。
○ 不可−よくない。
○ 直だ〜耳−〜だけだ。
○ 五畝−周代の一畝は六〇尺四方、約一・八アールという。五畝は約九アール、約二七五坪になる。井田制では私田が百畝(約一・八ヘクタール)とされた。
○ 帛−絹、絹織物。
○ 狗彘−畜類の総称。ブタは通称「豬(^)」で、「豚」は小さなもの、豕・彘・豨・豭等は方言であるという。
○ 畜−音「キク」。養う意。
○ 失時−適期を間違える。
○ 田−田畑、耕地。五穀を植える耕作地を「田」(漢音「テン」)といい、麻を植える土地を「疇(ちゅう)」、野菜や果樹を植える区画を「圃(ほ)」という。「畑・畠」は国字。「畑」は焼き畑、「畠」は水を張らず乾いた田に由来する。
○ 奪時−収穫の時期に徴用するなど、農事に必要な時期を奪い取る行為をいう。
○ 數口−数人。
○ 庠序−地方の学校。夏王朝では校、殷王朝では序、周王朝では庠と呼んだ。
○ 申−重ねる。
○ 孝悌−孝は親に事えること、悌(弟)は兄や長上に事えること。
○ 頒白−白髪交じりの頭髪、老人。「頒」は斑の意。
○ 負戴−荷物を背負い、頭に載せる。荷役の労働に從事することをいう。
○ 衣帛食肉−「五十始衰、六十非肉不飽、七十非帛不暖、八十非人不暖、九十雖得人不暖矣。」(『礼記』王制)、「五十非帛不煖、七十非肉不飽。」(『孟子』尽心上)
○ 黎民−庶人。「黎」は黒、また衆の意。無帽の人民を謂うとも衆庶の意ともいう。前者の意では「黔首(けんしゅ)」に同じ。
○ 然而−そうでありながら、それなのに。
○ 人食−「食」は食物の意味では音「シ」。
○ 檢−おさめる、おさえる、取り調べる。検束と解釈して訓んだが、次の章から見ると「狗彘人食(じんし)を食らひて而(しか)も檢(しら)ぶることを知らず。」とも訓める。人を食い物として食う、という表現である。
○ 塗−道。〔例〕道聴塗説。
○ 餓莩−餓死者。
○ 發−倉廩を開いて、窮民に廩米を与える。
○ 歳−実り、収穫の出来具合。
○ 罪す−罰する、非難する。
○ 斯ち−「斯」は則に同じ。「ここに、すなはち」の意。

4
○ 梃−真っ直ぐの丸棒、棍棒。杖。
○ 庖−台所。庖厨。「くりや」の語は、「くり(涅=泥土)」で壁を塗った建物の意。
○ 且−「〜スラ且ツ」で「〜ですらも」の意。小を挙げて後の大(況〔ま〕して・況〔いは〕んや)を類推させる。抑揚形。
○ 民父母−「君子之所謂仁者其難乎。詩云凱弟君子、民之父母。(略)使民有父之尊、有母之親。如此而後可以為民父母矣。非至コ其孰能如此乎。」(『礼記』表記)。『大学』『孝経』等にも見える。
○ 在−断定の辞。「惡在」で「どうして〜(すること)であるはずがあろうか、いやとうていありえないのだ。」となる。
○ 仲尼−孔子の字。
○ 俑−殉葬する人形。「塗車・芻靈、自古有之、明器之道也。孔子謂為芻靈者善、謂為俑者不仁、不殆於用人乎哉。」(『礼記』檀弓下)、「芻靈、束草為人馬、靈名之也。」(『釈名』釈喪制)。明器や芻霊などの単純な形の副葬品を人に似せた点を孔子が憎んだという。
○ 無後−子孫が絶える。
○ 如之何−それがどうして〜しようか、いやとうていできようはずがないのだ。
○ 斯民−この(眼前の)人民。

5
○ 晉國−戦国時代の韓・魏・趙は春秋時代の晋を分割して出来たもので、三晋といった。春秋五覇の流れを汲む者として誇称したもの。
○ 敗於齊−前三四一年、馬陵の戦で龐涓が孫臏に敗れ、太子申が戦死した(捕虜になった)という。
○ 喪地於秦−前三三〇〜三二八年、佚した商鞅によって強大になった秦に度々封地の割譲を余儀なくされた。
○ 比−代、替の意という。
○ 洒ぐ−恥を雪ぐ。
○ 方百里−前出「千乗之国」=諸侯・公卿クラスの領地を指す。現状の梁を踏まえる。
○ 税斂−税を取り立てること、課税。
○ 易む−治む。田地を管理する。
○ 耨る−雑草を刈り取る。
○ 壯者−働き盛りの若者。
○ 長上−目上の者。
○ 梃−丸棒、棍棒。〔前出〕
○ 制す−制は製に同じ。日本語で創作的作品に「制作」をあて、もの作りに「製作」をあてさせるいわれは未詳。
○ 撻つ−棒で叩く。「捶」も同じ。
○ 堅甲利兵−堅いよろいや鋭い刃物を持った装甲兵。
○ 奪民時−農繁期に徴用すること。
○ 陷溺−水に溺れさせる。理不尽に苦しめることの喩え。
○ 征−征伐する。敵地に行って攻撃すること。
○ 敵す−刃向かう。抵抗する。
○ 請勿−どうか〜しないでほしい。

6
○ 梁襄王−?〜前二九六(在位前三一八〜二九六)。恵王の末子。前三一〇年、秦から帰順した張儀を宰相としたが、張儀は一年で没した。孟子は襄王即位当初に謁見したか。
○ 嗜む−ひどく愛好する。
○ 與す−助力する、付き従う。
○ 七八月−周暦の七八月は夏暦の五六月に当たる。夏暦が伝統的な陰暦になる。
○ 油然−雲がむくむくと湧き起こる貌。
○ 沛然−雨がざあざあと降って来る貌。後出の「沛然」は怒濤の勢いという類の形容語。
○ 勃然−むっくり起き上がる貌。
○ 興之−「之」は特に指示するわけでなく、動詞に添えるだけの働きの場合もあり、訓読しなくても意味の通じることが多い。
○ 牧−治める。牧民。元来、家畜を養う意。
○ 引領−首を伸ばす。期待して注目する喩え。
○ 歸す−帰順する。従う。
○ 由ほ〜ごとし−猶ほ〜ごとし、に同じ。ちょうど〜するのと同じである。比況の再読文字。

7
○ 齊宣王−?〜前三〇一(在位三一九〜三○一)。田斉第五代君主。祖父以来、都の臨緇に学者を集め、稷門辺に邸宅を与え、厚く待遇した(稷下の学士)。 孟子は前三一九年頃、梁(魏)を去って斉に行き、宣王に謁見したかという。
○ 齊桓晉文−春秋五覇の代表である齊の桓公と晉の文公。斉桓公(在位前六八五〜六四三)は管仲を登庸して国力を増し、前六五一年、葵丘に諸侯を会盟して最初の覇者になった。晋文公(前六九六〜六二八〔在位前六三六〜六二八〕)は前六三二年、城濮の戦いで楚を下した後、諸侯を会盟して覇者となった。五覇の名称には諸説あり、どれにも斉桓・晋文は必ず入るので覇者の代名詞とされた。
○ 仲尼之徒−孟子は孔子の徒に私淑すると述べ、曾子・子思の系統にあるとされる。孟子自身の系統には万章・公孫丑らがいる。
○ 無道−「仲尼之門、五尺之豎子、言羞稱乎五伯。」(『荀子』仲尼)
○ 是以−こういうわけで、そこで。「是以(是用)」「於是」等は具体的な指示性を持たせず「ここ」と訓ませる(ここをもって、ここにおいて)。〔比〕以是(これをもって)は「これにより・このときに」等の意。
○ 無以−以は已の意という。
○ 王−王道。
○ 何如−どのような。状態を問う。
○ 保んず−安んずる、守る、養う。
○ 胡齕−宣王の家臣の名。
○ 釁る−新たに鋳た鐘などに犠牲の血を塗って聖化し、神に捧げる儀式。血祭を行う。
○ 舍く−捨て置く、赦す。
○ 不忍−「忍ぶ」は「忍びず」とバ行上二段に訓む。残酷な行為にも平然としている意。否定形でそれができないことを表す。
○ 觳觫−おどおどと悸(おび)える貌。畳韻(じょういん)の形容語。
○ 然らば則ち−それならば。
○ 何可−どうして〜してよい(できよう)か、いやとうていよく(でき)ないのだ。反語形。可は反語表現では、平安時代の訓み慣わしで「〜べけん(や)」という「べし」の古い未然形を用いた言い回しをとる。
○ 易−易占・交易の意では音「エキ」、簡易・安易の意では音「イ」。
○ ゥ−諸は之於・之乎の合字。ここは之乎で疑問形になる。「これを、これに」等と訓む例も多い。
○ 足る−十分である。「足らず」と四段活用に訓む。
○ 百姓−「ひやくせい」と訓み、人民の意。
○ 愛−惜しむ(吝む)。〔例〕割愛。
○ 固より−もともと、もちろん。
○ 褊小−狭小。
○ 異しむ−疑う。〔例〕 驚異。
○ 惡知之−どうしてその深意がわかるはずがあろうか、いやわかろうはずがないのだ。後でその「深意」を解説するためにわざと空とぼけた言い方をしたもの。
○ 隱む−憐れむ。惻隠の心を表す。
○ 何擇−何の区別もないのだ。
○ 何心哉−どういうつもりだったのだろうか。
○ 宜乎−もっともなことだ。
○ 傷む−悲しむ、嘆く。
○ 仁術−仁を行うよい方法。
○ 君子遠庖廚−「君無故不殺牛、大夫無故不殺羊、士無故不殺犬豕。君子遠庖廚。」(『礼記』玉藻)
○ 説−悦ぶ意では音「エツ」。
○ 他人有心、予忖度之−『詩経』小雅・小旻「巧言」。忖度は推し測る、推量する意。「度」も推量の意では音「タク」。借りて「没頭致度存候。」などと日本の書簡文でも用いた。
○ 〜之謂也−〜のことをいう(呼ぶ)のだ。
○ 夫子−先生。大夫の尊称。
○ 乃ち−「・・・こそ〜であるのに」という語感を表す。
○ 戚戚−心が動く、感動する様子を表す。
○ 所以−わけ、理由、根拠。
○ 何也−どういうわけか。
○ 復す−申し上げる、復命する。
○ 百鈞−鈞は三十斤、六、七キログラム相当か。百鈞は大層な重量という喩え。「權者銖・兩・斤・鈞・石也。所以稱物平施知輕重也。本起於黄鍾之重。一龠容千二百黍、重十二銖。兩之爲兩。二十四銖爲兩。十六兩爲斤。三十斤爲鈞。四鈞爲石。」(『漢書』律暦志)
○ 明−目が利くこと。
○ 秋毫之末−秋に生え替わった細い獣の毛の先。毫末。
○ 輿薪−車一杯に積んだ薪。
○ 許す−承知する、容認する。
○ 獨何與−いったいどうしてか。独は強意。
○ 見−受身の助字。助動詞「る・らる」をあてて訓む。
○ 形−姿、有様。具体例で理解に至ろうとする。
○ 語ぐ−話す、伝える。
○ 是不爲也−これはしない例である。婉曲に断わる表現か。
○ 運於掌−たやすく治めることができる、意のままである。
○ 刑于寡妻・・・−『詩経』大雅・文王之什「思斉」。
○ 加ゥ彼−他の人々に推し及ぼしていく。
○ 古之人−古代の聖賢。
○ 所以大過人−誰よりもはるかに優れているわけ。
○ 無他−ほかでもない。まさにこのことである。
○ 所爲−人々への恩愛・敬愛の行為。
○ 權−はかりの錘(おもり)。竿は衡。
○ 度−物差し。度量衡は、物差しと桝と竿秤の意から、長さ・容積・重さの意を表す。
○ 度之−心をよく度って(そうして仁政を布いて)いただきたい。
○ 士臣−軍人。将兵。
○ 構怨−仇怨を結ぶ。敵対関係を形成する。
○ 可得聞與−お聞かせ願えるか。聞かせていただけるか。
○ 肥甘−肥えて旨いもの。美味佳肴。
○ 輕煖−軽くて暖かい上等な衣服。
○ 采色−色とりどりの装身具や調度品。
○ 聲音−音楽の演奏。
○ 便嬖−媚び諂(へつら)う近習や美人たち。
○ 使令於前−用事を言いつける。
○ 供す−用意する、差し出す、提供する。
○ 而ち−そうしてみると、それでは。
○ 豈に〜や・か−あるいは〜であろうか、恐らく〜であろう。(疑問を含んだ)推量。
○ 辟く−開拓する、開墾する。
○ 朝す−朝貢する。
○ 莅む−君臨する。
○ 中國−国土。四夷に対して自民族の領土を誇称した語。
○ 四夷−中国周辺の異民族に対する蔑称。東夷・西戎・南蛮・北狄。夷狄・蛮族。
○ 撫む−鎮撫する、征服する。
○ 猶ほ〜ごとし−ちょうど〜するのと同じことだ。比況形の再読文字。
○ 縁木求魚−見当違いの努力をする、徒労であることの喩え。「縁る」は従う意。
○ 殆ど−〜に近い、〜すると言ってもよい。
○ 鄒人−鄒の人民、鄒国。鄒(邾)は齊周辺の小国。孟子の生国。
○ 以爲−思う。
○ 海内−四海の内、国内、天下。四方を海と考えた古代中国人の世界観に基づく表現。
○ 方千里者九−「凡四海之内九州、州方千里。」(『礼記』王制)。ただし秦楚齊燕韓魏趙が当時の大国で、戦国七雄と呼ばれる。
○ 蓋ぞ〜ざる−どうして〜しないのか。どうか〜していただきたい。「蓋(葢・盖)」は盍の意のとき、音「カフ」。盍自体が何不の仮借で使われた。反語形の再読文字。
○ 亦−いったい。
○ 反其本−根本に立ち返る。
○ 發−「おこす・ひらく・はじむ」等と訓む。
○ 朝に立つ−仕官する。
○ 商賈−商人。「商」は行商人、「賈」は商店主。
○ 市に藏む−市場に商品を貯える。
○ 行旅−行人=旅人。
○ 出於塗−領内を通行する。
○ 愬ふ−訴える。
○ 孰能禦之−こうした趨勢を誰も止めることはできない。
○ 惛し−愚か、不明。
○ 輔く−輔弼する。
○ 雖不敏−愚かであるが。謙遜するときの常套句。
○ 嘗試−試みる。「嘗」も試みる意。
○ 恆産−定職、定収入。
○ 恆心−心変わりしないこと。〔類〕節度、節操、特操。
○ 士−官吏・知識階層。
○ 爲能−できると思う(見做す)。
○ 放辟邪侈−あらゆる邪まなこと。無軌道な振舞い。
○ 無不爲已−何でも始めるのだ。
○ 從ひて−罪を犯したことで。
○ 罔民−通常、「民をアミす(シふ)」と訓み、「人民を欺して罪に陷れる」と訳すが、ここでは「民をナミす」と訓み、「人民を無視する、眼中に入れない」と解釈する。今でいう人権無視と同様の行為であり、人権意識すら無い社会は外見上の身分制度の有無に拘らず、今日なお存在していることを我々は国際社会で見聞している。もちろん、定訳で意味は通じるが、罔は無・蔑の感じに近いと見て仮りに訓み直した。
○ 焉くんぞ〜べけんや−どうして〜できようか、いやとうていできようはずがないのだ。反語形。
○ 而可爲−通例では「コレナすべけんや」と訓み、「いったいどうしてできようか。」と訳す。ここでは前述の「罔民」の訓み替えに従って、「(而は強意ではなく接続詞)ヲサむべけんや」と訓み、「どうして治めることができようか。」と訳してみた。(その場合或いは「之を」が必要か。ただし、「ナす」と訓んでも同じ疑問は残る。)
○ 制産−生業が成り立つように統御する。
○ 仰・・・俯・・・−上は〜下は〜。対比して全体を謂う表現。
○ 樂歳−豊年。
○ 飽く−腹一杯食べる、十分満ち足りる。
○ 驅る−促す、教導する。馬を水辺まで連れて行って水を飲ませようとする感じがあり、次の「之に從ふや軽し」と呼応する。
○ 苦しむ−重税に困苦する。
○ 救死−辛うじて死を免れる。命を永らえる。
○ 贍る−供給が足りる。
○ 禮義−礼と義。人として実践すべき道理とけじめ。〔比〕礼儀は大小の作法をいう。


(本文はtaiju生作「漢文エディタ」原文よりHTMLに変換したものである。原文は後日利用の便を考えて、このファイルに含めてある。又、上下のコラムを連動させるスクリプトも入っている。)