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2020.10.24
周作人のエッセイについて(1)〔続〕松枝茂夫の『鏡花縁の話』のことⅡ
『鏡花縁』の最もユニークな点の一つは、作者が時代に先駆ける進歩的思想を披露していることだという。清朝のガリヴァー旅行記に登場する不思議な国の紹介を通してその具体的な表れをたどってみる。
正月の中旬に南海に漕ぎ出した唐敖の船は、各所の島で不思議な草木鳥獣を見るが、国名や生き物の名などは多く『山海経(せんがいきょう)』などの古書に基づくという。
最初に訪れた「東口山」という島にある「君子國」は礼譲の国である。市場の売り買いでも、売り手は良い品を一文でも安く売ろうとし、買い手は少しでも高く買おうと競り合って、仕舞いには喧嘩口論になる。諷刺ともユーモア(幽默)とも受け取れるが、存外作者は大真面目でユートピアを描こうとしているのかとも解せられる。また、二人の上品な紳士から中国の風俗作法について礼教の本旨に反するのではないかと指摘を受け、尤もだと引き下がるのは、社会改良意見を開陳したものだ。隣の「大人國」は人格者の「大人」が集まっている所で、人は足から出る五彩の雲に乗って地上五寸を浮遊して移動するが、その雲の色は貧富貴賤によらず全て品行に基づいて変わる。役人が足に紅い綾布を巻いて動くのは、その雲が黒か灰色であるのを人から見咎められぬ用心である、というのは役人に向けた諷刺に違いない。次の「勞民國」の住人は絶えず体を揺さぶって労役に暇が無いが、精神的な苦労をしないので皆長寿である。そして島の海岸伝いに「聶耳(じょうじ)國」「無腸國」「犬封」「鬼國」「玄股國」「毛民國」「眦騫國」「無晵國」「深目國」等の小国を過ぎ、「黑齒國」に入る。これは「君子國」に隣接しており、島を一周したことになる。歯に至るまで全身真っ黒な住人は眉と唇だけ赤く、着衣も赤い。しかし眉目は美しく、「しかも書卷の氣が滿ち滿ちてゐて甚だ奧床しく感ぜられて來る」(p.15)人々である。女学塾の学生ですら、多九公を負かすほどの才智を持っている。林之洋は到る所で商売に熱心で、この黒人国で白粉や臙脂を売ろうとするが見事に失敗する。
次の「靖人國」は小人国でこれは大人国の反対、体も小さければ徳も低い。「跋踵國」「長人國」と身の丈はどんどん大きくなり、やがて「白民國」に入る。土地も人民も家具調度も飲食物もすべて白ずくめで、衣食住とも頗る贅を尽くしている。ここの書塾には白皙明眸の美貌の学生を鼈甲縁の眼鏡をかけた美丈夫の先生が教えていたが、黒歯国で懲りた唐敖たちは自らを無学の「晩生」と卑下して早々に退去し、外から講義を窺うと豈図らんや先生、孟子の簡単な句も碌に読めずに訳の分からない文句を羅列しているのだった。「淑士國」を経て「兩面國」へ行くと、ここは恐しい国である。
一行は更に「穿胸國」「厭火國」「結胸國」「長臂國」「翼民國」「豕喙國」「伯慮國」「岐舌國」「智佳國」を過ぎて「女兒國」に赴く。これはアマゾネスの国であり、女は男装して外事をこなし、男は脂粉結髪、耳輪に纒足(てんそく)、描き眉に口紅という様である。ここで林之洋は国王(女王)に惚れられて皇后に指名され、そのためにえらい目に遭うことになる。
著者はこれは纒足反対論であると共に男女平等思想の表れであると評価する。
唐敖はやっとの思いで林之洋を助け出すと、「軒轅國」に行く。ここは西海の大国で、折柄諸国の王が会して芝居に興じている。「長股國」「三身國」「周饒國」「交脛國」「三首國」「奇肱國」「驩兜國」等々。そこから先は「三苗國」「丈夫國」等を経て「不死國」へ向かうが、突然の嵐で三日間飄流し、一万里を隔てた「小蓬莱」という小島に漂着する。唐敖はここで仙山に入り、一行と別れる。船は更に半年の旅を経て、翌年半ばに嶺南に帰る。唐敖の娘小山は父の帰りを待ちながら、折柄則天武后の制定公布した女子のための科挙に及第することを目指して学問に勤しんでいた。この女科挙は架空の設定だが、男女の平等を述べ来たった作者の理想がここに表されている。
唐小山は途中「女兒國」の世子若花を伴い、ほどなく小蓬莱に父を尋ねるが見つからない。ある不思議な老人から父の手紙を渡されるが、それには名を閨臣と改めるべきことが書いてあった。「これはつまり則天武后の僞周朝で才女となつても、實は唐朝閨中の臣であるとの意が籠つてゐるのである。」(p.24)その後、鏡花塚、水月村を経て泣紅亭に到ると、才女に至るべき百人の名が記してある。これを書き写して中国に帰り、女子の科挙を受け、百人の合格者の内に入るが、それは仙島で書き写した通りの結果である。これは物語の最初に、武后の命に従って花を咲かせた百花仙子が天帝に叱られ、地上に降された者たちなのであった。この試験と祝宴の描写に全体の四分の一強の筆を作者が費した後、唐閨臣は再度父を訪れて小蓬莱に赴き、仙女となる。都では叛乱が起きて中宗が復位し、武后は則天大聖皇帝と尊まれて、翌年また女子の科挙を行う詔命を発する。前年及第した才女たちも再び紅文宴に赴くように命ぜられる。鏡花の縁はまだ果てずに、物語は後続を予告して全100回の長篇を終える。
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