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2020.10.30
周作人のエッセイについて(2) 「人の文学」
先日の『鏡花縁の話』に併せて『模糊集』の翻訳のことを書こうと思ったが、材料がまだ揃っていないので先に周作人によるエッセイのうち執筆時期の早いものとして「人の文学」(『文藝論集』 現代支那文学全集12 東成社 1940.10)を採り上げる。これは堂々たる論文である。正しく『文藝論集』の周作人篇を代表する一編と言えるだろう。簡明な文章で論点を整理し、中国近代文学のあるべき始発点を定めようとしたものだが、そのまま「文学論」として一大基礎論となっている。こういう一見大上段に振りかぶったごとくに見える論題でありながら、少しの浮ついた印象も与えないのは、何と言っても明晰を極めた議論の整理にあるのだと思う。今年はウォルター・ペイターの『ルネサンス』(冨山房百科文庫)を読んで、晦渋な言い回しにちょっと戸惑いながらも結局各断章を手放すことができないで「結論」まで読み通してしまったという読書体験をした。分析の測鉛が深く下ろされていることを直感しながら、その信頼感を頼りに、全くもって初めてに近い藝術家と分野と作品との固有名詞の連続を追いかけたという体験だった。藝術論とはこういうものか、という新たな発見でもあった。併せて「ルネサンス」なるものにも多少の興味を覚えることができ、はるか昔大学の教養課程で聞きかじったヨーロッパ中世の口頭伝承の諸作品など、書名だけが無意味に近い音の羅列として記憶の片隅に残っていたものも、機会があれば読んでみようかという気持ちにもなったことだった。この周作人の「人の文学」は深さの感覚はそのままに、西洋流にソフィスティケートされた表現とは異なり、まことに伝統的な「論説」の体裁の中に、「文学」のあるべき礎石を配置しようとした正攻法の文学原論であり、ヒューマニズムの宣言として思想史的にも位置づけを要求する議論であろうと思う。不易の議論である。繰り返しになるが、いかにも堂々たる議論であり、『孟子』の印象にも近いものがあった。要約は例によって追記の中に書いていくことにする。
2020.10.25
周作人のエッセイについて(1)〔続〕松枝茂夫の『鏡花縁の話』のことⅢ
『鏡花縁の話』の中盤は異国巡りの粗筋の紹介で、最後に著者は「鏡花縁」の小説としての評価と文学史的位置づけ、日本における異国巡り譚の系列について補足している。どれも充実した内容のものだが、客観的な叙述に終始しているので、初め『鏡花縁の話』に期待した周作人の紹介やエッセーに触発されての感慨などは見えず、期待ははぐらかされてしまった。とはいえ、どうしてここに『鏡花縁の話』があるのかについては、偶発的な一夏の読書体験の整理という以上のものを考えてもおかしくはないに違いない。紹介の後は自分の附会の解釈になってしまうが、どうせ気楽な筆任せであるから、あまり気にもせずに書いてみる。
2020.10.24
周作人のエッセイについて(1)〔続〕松枝茂夫の『鏡花縁の話』のことⅡ
『鏡花縁』の最もユニークな点の一つは、作者が時代に先駆ける進歩的思想を披露していることだという。清朝のガリヴァー旅行記に登場する不思議な国の紹介を通してその具体的な表れをたどってみる。
2020.10.23
周作人のエッセイについて(1)〔続〕松枝茂夫の『鏡花縁の話』のこと
周作人のエッセイについてブログで紹介することを今月初旬に書いてから、周辺資料を集めたり他の人の小説等に浮気していて、思わぬ時間が経ってしまった。半分方は周作人の関係書誌が調べるほどに続々と出てきて、とても一通りでは済まないことにだんだん気がついたためもあった。そのわりには一覧できる作品年譜も、少しぐらい調べただけでは分からず、要するにアクセスしづらい状態でないせいもあるかと思う。関心自体は専門家の間に少なからずあるようで、いずれまとまった翻訳全集なども日本で出版される日が来るのかもしれない。現在時点では手間がだいぶかかるように思う。部外者がちょこっと調べてみて、作品順も分かる範囲で書き留めてみるのが、気楽でよいかと思った。もともとTaijuのノートであるから、凡てはその範囲に留まる。周作人の小説を数多く日本に紹介した松枝茂夫に『鏡花縁の話』と題する資料があったので、前記エッセイの解説の類かと思って調べたら、『鏡花縁』そのものの紹介だった。啓明先生周作人のエッセイの趣旨からは離れるが、この資料の紹介もついでに行っておきたい。
2020.10.05